神は何処にでもいる。

ニュースを見て不安に思うこと

 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ブードゥー教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、とにかくそれぞれの心に神が存在する。同じ教派の中にも派閥があり主張が異なる。


 その主張が正しいとしよう、事によると他者を否定する自分達の神が正しいと。しかしながら相手にも神は存在し自分達の正義を主張している、自分達が正義。


 なるほど、エルサレム。聖地が同じキリスト教、イスラム教、ユダヤ教がそれぞれの正義を主張し戦争を繰り返した。同じキリスト教のカトリックとプロテスタントも戦争。

 宗教対政治もそれぞれの利害により戦争がある。

 日本でもつい最近、私事ながらごく近所で争いがあった。富岡八幡宮の事件。

 営団地下鉄東西線、門前仲町駅すぐにある富岡八幡宮での殺人事件。駅すぐ、というよりこの一体の土地を富岡八幡が所有し地主。駅や町が富岡八幡宮に属している。

 その裕福な家族である実の姉弟の殺人事件。弟夫婦が姉を日本刀で殺害し、弟が妻をも殺害して自殺した。2017年12月7日門前仲町の富岡八幡宮、先に宮司に就いた弟が解任されその後宮司になった姉を殺した。


 思想や利害により争いを繰り返す。

 臨界点を超えると正義云々でなく相手を打倒することが目的となる、自分や家族や神の命さえも掛けて。


 政治が腐っている、以前から腐っているが最近は画像で伝えられるものも増えてきた。

 そこに立ち向かう正義。

 他にも正義はたくさんあるのだけど排除し台頭しようとする、共闘すべきはして修正すべきはする当たり前の事柄が出来ないのか。


 500人程の組織で管理職をしていた、全体は1万人で所属部署が500人。

 目的が営業により利益を得る、としよう。具体的には予算の達成。予算達成にはいくつかカテゴリやプロセス他がある、ざっくりとは設備投資や人材育成。設備投資の効果は想定しやすいが人材育成の効果確認は難しく幅がある。効果の幅も絶大だが。

 組織には優秀な人材のみか、同じことを説明しても理解度に差がある。

 例えば 「A」と顧客に説明する教育をしても、相手に伝えることが出来ない従業員がいる。従業員に能力の違いもあるし顧客にも違いがあるからだ。「A」と説明しても「E」と受け取る、要因は様々、発音だったり環境だったり流れだったり。


 原因はこうだ。


 好きな人がいてその人の言うことは素直に聞ける。

 「キスをしよう」、同じことを嫌いな人物に言われたら?好きな人でも違う。どうしようもなく場違いで困惑する場面でせがまれても、言い方によっても受け取り方が変わってくる。


 世の中は集合体だ。生きている時間も環境も性別も身長、体重、力、魅力、食べ物、色々違いがあり考えも違う人間や動植物が暮らしている。自然さえも蔑ろにすると結局は自分達を苦しめる。

 草食動物に肉を食べさせると生理的に問題が生じるように、それぞれの生き方がある。全てを同じように教育し成果を挙げるということは出来ない、マネジメント以前の問題だがマネジメントをすればよく分かる。規模が違うだけでも様変わりする。


 つまり、皆が同じように感じる事は無理で、極力多くの利益を出す事がズームされる。マイノリティもあるが母体が力尽きては誰も助けられない、凍った湖で溺れている人を助けるのに自分の足場も固めずに手を掴み落ち溺れる人数が増えるという。


 何故部分的に協力することが、長所を活かし短所を補う事が出来ないのだろう。

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する