来年の大河ドラマは鎌倉幕府です。
有史以来、最大の国難を乗り切った鎌倉幕府を再度研究報告させていただきます。



ステンレス製レーザーカット 北条ミツウロコ
熱田レーザー

北条時政(源頼朝の妻の北条政子の父)が北条家の繁栄を江ノ島弁財天37日間祈り続けていました。そして祈りの終わりの日の夜明。赤袴の女性(弁財天)が現れて、「あなたの前世の徳で、あなたの子孫は日本の国主となります」と、お告げをすると二十丈(60㍍)もある竜神に変身して海の中に去りました。
その後に残った三つの鱗を時政は持ち帰って北条家の家紋としました。
源氏の正統は滅び、鎌倉御家人の多くを滅ぼし、承久の乱の勝利で完全に国内政権を確立し、鎌倉を統一した北条家は有史以来の最大の国難である蒙古襲来を向かえます。

元寇
世界を統一し千年王国を夢見る大元帝国蒙古は遠くバクダットまでも武力で支配下に置き一億の民をまとめ、とうとう日本にも侵略の手を伸ばさんとします。国主、執権北条時宗は日本を守るため徹底抗戦を決意します。文永の役において博多に襲来した蒙古軍の当時のハイテク兵器、震天雷、毒矢などの異国の戦法により日本の負けは確実となりますが、神風により蒙古軍は玄海灘に飲み込まれ日本は奇跡的勝利をえます。世界最強大元帝国皇帝フビライハーンは日本を許さず、7年後、弘安の役に突入します。しかし、金沢流北条実政(金沢文庫の北条実時の子)考案の元寇防塁により蒙古軍の日本上陸は一歩も許さず、玄海に漂った4500隻、140000人の蒙古軍は再び神風により玄海の海に飲み込まれ多くの人命が失われました。
元寇で弱体化した平家である北条氏の鎌倉幕府はやがて衰退し、源氏の新田、足利により滅ぼされます。しかし、執権北条高時の次男時行は生き残り、その子時満は尾張横井村で身を隠し子孫は増えてゆき戦国期には横井(北条)時泰が織田信長に従い伊勢長島一向一揆、伊賀忍者と戦います。ミツウロコ(三鱗)家紋は現在まで多くの子孫が継続しています。尚、北条時行の奥さんは熱田大宮司藤原昌能の娘であり名古屋市南部、横井村の実家に身を隠したという記録があります。織田家は源平合戦で逃れた平氏が福井の織田剣神社の神主である藤原氏の養子となったという説があります。