薄暗明かりの館の中。
鎌倉は神武東征の時、蝦夷を殺戮し葬った場所ということで屍蔵といい、鎌倉という名になったという説がある。哀愁と悲劇の都である。
実政は同じくらいの年齢の若き武将と酒を飲み交わしていた。二人は幼馴染のようである。
酒のつまみは味噌、質素が北条家の家訓。奢侈し堕した時、北条は北条でなくなり滅びたのかもしれない。
「蒙古軍の再来を迎え撃つ、そなたの策は即実行じゃ。それにしてもよく戦ってくれた。時定叔父 総大将の武藤殿 勇気ある武士団の力なくば負けていた。公家衆は幕府を恨むやからもいて、蒙古の力を逆利用し幕府転覆を図るやからもいる」

 実政
「公家集のわけのわからぬやつらは肝を食べられるという恐怖を味わわねば決して覚ることはない。とりあえずは俺の考案した石堤防はこの大きさで湾岸に張り巡らす。さっそく現地に戻り詳しい視察をする」
(歴史上、総延長は14キロ以上、堤防の高さは2~3メートル、底辺が約3メートル、上部が約1メートルの石を積み上げたものだ)。

若き武将
「国難に登場する熱田大神!楊貴妃の伝説は使える。その情報を全国に流し武士と民に勇気を与えよう。次に公家衆ばかりでなく、北条の中でも反北条もいる。それらが足利らとくっつき何をしでかすかわからん状況じゃ。そこで、ここだけの話とするがワシの策を聞いてくれ。
{反幕府連中を締めるために逆に海を渡り敵に攻め入る命令をだす。そなたは再度、総司令官として鎌倉より現地へ下向する。地頭 武士連には石堤防を作った後に敵地侵入することとする。。

幕府は本気だということを顕示せねば反北条のかく乱戦法により幕府転覆を図ることは確実じゃ。
ゆえに敵方からは多くの使いが「言うことをきかざれば攻める」とよく脅迫に来るゆえ、そのようなやからは全て打ち首として見せしめとする。
引くにひけぬようにならざれば一体化が図れず、敵の策にはまるのみ。
そなたが現地にとどまりある程度の石堤防が完成したら敵地侵略は中止とする。そして蒙古再大襲来に備える。ここまで強行せざれば反北条をたばねることはできぬ}

実政
「さすが執権、北条時宗!そなたこそ北条をたばねる者。自らが憎まれ役をかってでるとは。そればかりでなく蒙古軍の戦死者まで供養することも実行しようとしている。一見、強行には見えるが人の道は踏み外しておらぬ」
若き執権は北条時宗だった。