前回からの続き
 

熱田小社にて、北条実政は神社から酒を振舞われている。
 

巫女
「やはり何かにお気づきになられましたね」

実政
「土と石の大堤防のことです」

御子
「今宵は社務所にお泊りになり、もし明日お時間がございますならば熱田神宮並みのお力を持たれております神域にご案内させていただきます。熱田神宮は幕府より次回の合戦の祈祷を命ぜられますゆえ幕府への全面的協力を本宮の宮司よりおおせつかっております」

あたりはもう漆黒の闇である。実政は言葉に甘えることとし、その晩、夕餉が質素ながらふるまわれた。


石の屏風~天下峰(弘法山)へ

次の日、実政と御子は三河まで馬を走らせた。御子は外柔内剛のなかなかのお転婆娘のようである。熱田小社より約5里。矢作川を超え、眼前に三河富士といわれる村積山(標高256メートル)が見えてきた。
持統天皇は花のさく美しき山にみとれ花園山と命名されている。天皇の三河探訪の理由は謎だが、郷土史家の資料では皇統の歴史的情報コントロールだという仮説がある。

村積山の北東の天下峰に向かう。巨石が連なる山だ。標高は360メートル。山麓の渓谷は激流と巨岩、湖と変化に富んだ渓谷は昇仙峡のようだ。現実を忘れさせるような雄大な自然。この一体は古い歴史があり持統天皇はここも皇祖鎮祭のため訪れている。現在はロッククラインミングの練習場でもある。

晩秋の紅葉が美しい。二人は馬を木につなぎ頂上を目指した。巨石の連続する細い道を登りつめれば急に視界が開け頂上に到達した。御子は深い祈りを山の神にささげている。実政も思わず手を合わし元軍との戦いから無事帰れた感謝を神に感謝した。北方には初雪がきた御岳が遠望でき、西方には熱田神宮の祭神ヤマトタケルノミコトが命を落とすきっかけとなった伊吹山がみえる。
「御子殿は馬で近隣の多くの神社を巡拝されているようだな。この尾州、三河はそなたの庭のようであるな」

御子
「多くの神社に戦の勝利を祈願させていただきました。これからも続けるつもりでございます。戦で大地を血で汚した人間の罪を神様にお詫びしなくてはなりませぬ。それがなされなくば人間は同じ過ちを何回も繰り返します」

実政
「そなたは神宮の中ではかなりの立場らしき力をもっておられるようだが、巫女というのは神との対話をつかさどるのがお役と存ずる。某が思いついた策は人間の十倍の高さのある土塁の大堤防で敵の侵入を阻止しようと思い、いろいろ考えていたが、そなたのお陰で何かよき案が浮かぶ寸前ではあるな」

御子
「このたびの戦は勝たねばなりませぬ。邪神には負けるわけにはゆきませぬ。神国日本を守らねばなりませぬ。祈祷だけでは勝てませぬ。祈祷と勝利の方法が組み合わさって勝利という結果がうまれます」

実政は巨岩を凝視していた。
「わかった!」と彼は叫び。急に御子を抱きしめた。強い抱擁だった。実政は御子に口づけをした。御子はとまどいながら彼に身を任せた。永い永い時間がたったような気がした。

実政は御子を腕の中で抱きながら巨岩に横になっている。
「敵が侵入してくる博多湾岸に我らが逃げ込んだ大堤防のような高いものではなく人間よりは高い程度でよいので石の堤防を張り巡らすという策を思いついた。石なら近隣から運搬可能だ。高さも高すぎねば何十里にも渡り張り巡らすことができる。武士も民も肝を食べられたくないならばいかようにも協力をおしまぬことであろう。そればかりでなく、そなたから教えられた楊貴妃の話は万民を勇気つけるにはもってこいの話だ。大いに鎌倉から広めよう」

御子は涙を流しながら
「これでこの国は救われます」と今度は自ら彼に身をまかせた。

御子
「実政様だけにご苦労をさせてはなりませぬ。私は多くの神社仏閣を巡り、それぞれが同じ想いで共通の敵に打ち勝つよう結びの力で難局に対処されるようお伝えさせていただく努力を惜しみませぬ。難局打開のため多くの神社等を周ることは宮司様から許可をいただいております。それゆえ本日もご案内できたのでございます」

21世紀になり自然との共生がうたわれ、一の宮巡拝会という組織もでき、オートバイのカリスマ的な人が全国の一の宮をオートバイで廻った本を読んで刺激をうけ一宮を周る人が年齢を問わず増えつつあることは喜ばしいことである。御子は愛馬で巡拝するという神社巡拝の魁ともいえるわけだ。

御子
「戦いに勝利するためには天空の神々同士の戦い、つまりこちら側の神々が勝利すれば現界の人間界が勝利するわけでございます。私は全神社仏閣の結びを熱田神宮をつうじ提唱させていただき霊的石築地という防塁を結びたいと存じます。あなたさまは現界の防塁を考案されたわけでございます」

時刻はもう夕刻に近い、実政は再び御子に口づけをした。着やせする御子は意外に大きい乳房のようで若い実政はもうとまらない。その夜、二人は深い仲になった。

後年、徳川家康の先祖がこの山で天下泰平を祈ったという伝承がある。天下峰が太古のピラミッドという説もある。徳川が天下を取ったそのパワーはこの天下峰より来ていることも一因なのだろうという人もいる。現在、この山の山麓には松平東照宮が鎮座している。南方の村積山から伸びる環状配置の多くの神社群が存在する。有名な神社は岡崎市の伊賀八幡、岩津天神などがある。弥生、縄文の時代には古代王朝が栄えたという証拠のようだ。郷土史家の研究では東三河地方は徐副が訪れたという伝承があり多くの史跡が残されている。持統天皇は三河を神話の世界に昇華?させ真の歴史隠滅を図ったという説がある。そして日本の縄文時代が天変地異により滅びたという仮説がある、地軸が7度傾いたという天変地異だったというのは事実らしい。大陸に避難した人々も多かったであろう。弥生文化大革命により弥生時代が始まり日本の真正歴史は変化していったようである。徐福の文化的貢献を隠滅するために持統天皇は史実を隠したのであろうか?大陸から不老不死の薬をもとめ日本にやってきた徐福。再び大陸に戻らず偽書と言われる古文献によると日本が世界最古の国とあることに気づき永住したという仮説を立てる人もいる。事実、沖縄海底遺跡が話題になっているが、明らかに人工的な巨石は世界最古の巨石文明が日本にあった証拠であり、でてくる石器が1万年以上前という炭素測定もでている。記紀や偽書が日本は神の国であり世界最古の国ということはあながちカルトの範囲と断定はできないわけである。