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消えてしまったホームページからの抜粋です~楊貴妃は熱田大神の化身


奈良時代、蒙古以上の国力を持った唐が日本に襲来していたのなら現在の日本はありません。世界最古の国~日本を守るため日本の八百万の神々は集いに集い、熱田大神にお願いするしか方法がないという結論となりました。結果、玄宗皇帝は熱田大神の化身~楊貴妃により唐は崩壊!日本は救われました。
以下、消えてしまったHPからの抜粋です。管理人様には申し訳ないのでファン限定記事とします。



或いは問う。熱田本社正北、いにしへより古祠あり。内に小五輪形の石を安んす。俗、楊貴妃の石塔といひし。貞享作り替えの時、これを廃せり。古記に有りや。
曰く、熱田古録に、御殿より北に御墓所一つ。合わせて二つ。一つは、天神七代の御在所という説あり。一つは、出雲国氷川上にて素戔嗚尊斬り給いし大蛇の御舎利を埋めたまう御墓とも云うなり。この墓について、様々の異説ありといへり。
これらも妄誕の甚だしきものにして、楊貴妃をいはす後人の付会と見えたり。
 
 熱田神宮に楊貴妃の石塔・・・? 噴飯物とは真しくこういうことを言うのだろう。尤も、楊貴妃の伝説は熱田に限らず、また名古屋に限らず、日本各地に点在する。それらが全て、論拠も乏しい荒唐無稽の妄想に過ぎないことは、論議の俎上に載せるまでもない。
 ましてや、こんなデタラメな伝説を引き合いに出して「何故、何処其処の地には美人が多いか?」なぞという妄想の拠り所とするなどは、愚かな恥曝し以外の何物でもない。そんな論を堂々展開することなぞ、自らのクソをひけらかすことにも劣る。しかしながら、そのようなことを記した書籍が一般書店で売られているという現状も、真しくデタラメが世間に知れ渡る経過だと思って眺めれば、なかなかに興味深い。
 尤も、如何なデタラメであっても、その根拠をこじつけようとする人はあるもので、熱田神宮と楊貴妃の繋がりもハチャメチャな理屈付けがされてもいる。楊貴妃と熱田明神は同一とするものだ。『名古屋史蹟名勝紀要』に曰く、「楊貴妃即熱田大明神、唐の玄宗に日本侵略の意ありこれを防ぐべしとて、熱田大明神選ばれて彼土に女身と化生、それが楊貴妃で、やがて馬嵬ばかいに殺されたが、霊は尾張熱田に還られたとの不稽な伝承から、熱田神域内に楊貴妃廟なるもの、その墓なるものも生じた」と。現在の熱田神宮の祭神は熱田明神ではないので、当然のことながら、この説話が熱田神宮の参拝栞に記述されることはない。しかし、江戸後期に成立した『尾張名所図会』にはハッキリと描かれている。その頃には既に、このような楊貴妃説話が伝承されていたのだろう。
 日下英之氏『熱田歴史散歩』に云う、熱田神宮と楊貴妃とを結び付ける伝説とは、「恐らく鎌倉時代の元寇が契機となり、それ以後に成立したものと考えて間違いなかろう」と。確かに、元寇以前に海の向こうからの侵略など思いも寄らぬことであっただろうから、それ以後の成立と云うのは先ず間違いあるまい。
 因みに、楊貴妃が生きたのは西暦719~756年で、日本の歴史分類上で言えば《奈良時代》に当たる。元寇は、《文永の役》が西暦1274年、《弘安の役》が西暦1281年だ。
 
 さて、『塩尻』本文に拠れば、楊貴妃の石塔と呼ばれたものは、貞享作り替えの時に廃されたと云う。ここに云う「貞享作り替え」とは、1686年の遷宮を指す。相当に大掛かりな改装だったらしく、熱田境内の殆どの建造物がこの時に一新されている。即ち、件の石塔の廃止も、その境内改造の一つだった。
 今では見ることの出来ない《楊貴妃の石塔》だが、貞享作り替え以前の熱田の境内を描いた絵図には、それと思われる姿が描き残されている。確かに「熱田本社の北」に描かれており、恐らくには、ここに云う「石塔」とみて正しいのだろう。説明の便宜上からか、今も絵図上の石塔は《楊貴妃の石塔》と呼ばれたりする。
 右に、件の古絵図を一部分ながら転載しておく。但し、現在の境内とはまるで違っており、楊貴妃の石塔があった位置を、単純に現本殿の北西に重ねることは出来ない。
 前掲の『名古屋史蹟名勝紀要』に拠れば、「貞享三年の破棄以前は、大宮の西北隅、破棄以後は東北、俗称「お清水」の辺り、明治末までもまだまだその跡らしいものがあった。一旦破棄されたが、物好きによりて、また東北にしつらえられたのである」らしい。この痕跡も今や全く見当たらない。
 
 「出雲国氷上川にて素戔嗚尊斬り給いし大蛇」とは、言うまでもなく「ヤマタノオロチ」を指す。その骨をわざわざ熱田の境内に埋めたなどというのは、余りに突拍子もない。確かに熱田の御神体が、ヤマタノオロチの尾の中から出てきたという「草薙ノ剣」であるという繋がりはある。しかし、だからといって、ヤマタノオロチの骨をわざわざ埋めるなど、先ずあり得ないだろう。
 但し、妄誕の甚だしきものとは、荒唐無稽であるが故に面白い!という側面も確実にある。即ち、デタラメだと思う事柄全てを一概に否定する気は、僕にはない。