公正な裁判が行われるように図った鎌倉幕府五代執権 北条時頼



「月刊歴史街道」野村敏雄(作家)


「公平さ」のもつ意味と価値 ~引用資料



時頼の政治の特質は、公平を第一に心がけ、全体として御家人の保護、弱者の救済を図り、その間一貫して質素倹約を奨励したことであろう。


そうしたなかで引付衆を新設して、訴訟の迅速、正確、公平を図ったことは特筆に値する。引付の創設は、時頼23歳の時だが、いかに裁判制度が公正で、精度の高い、優れたものかを見てみよう。


引付は一番から三番まであり、その長官を頭人といい、幕府最高機関の評定会議を行う評定衆の中から選ばれた者が兼任し、その下に五人の引付衆を置き、さらにその下に五人の奉行人が付属し、訴訟に審理や事務を担当した。訴訟は次の三種に別れていた。


①庶務沙汰、所領に関する裁判は幕府及六波羅の引付で扱った。


②検断沙汰、謀反、夜盗、窃盗、強盗、殺害、刀傷などの裁判は、鎌倉では侍所、京都では検断奉行が扱った。


③雑務沙汰、賃借。質入、売買、奴婢、誘拐などの訴訟は、鎌倉では政所、六波羅では引付、幕府の分国では問注所で扱った。


訴訟を起こすには、原告が解状(訴状)と具書(証拠書類)を備えて、鎌倉か六波羅の問注所に差し出すと、賦別奉行から引付へ配り、それを引付の開こう(書類の出納、記録、文案作成などを司る)が受け取って、専任の奉行(担当裁判官)が決まるのである。


そこで被告に下問状を発して答弁書を提出させ、原告を弁駁を許可するが、ここでは原告側に立つ本奉行に対し、被告側に立つ合奉行がいて、さらに両奉行を監督する証人奉行がいた。さらに訴訟当事者の代理人も、弊害のない程度でこれを許可した。


こうして原告、被告が法廷で対決するまで三問三答させ、なお弁論すべきことがあれば、追訴状の提出を許可し、口頭弁論(法廷対決)が行える道を開いた。しかも訴訟手続き上の不法や、判決に不服がある者は、覆勘、庭中、越訴という再審、上告の道も開かれていた。


これは現行の裁判と比べてもさして遜色のない。こう見ると、当時これだけ進んだ司法制度を作り上げた時頼には、公平こそ人間社会を構成する基本理念だとする考えが強くあったのであろう。