忘年山行 霧積温泉金湯館に泊まり鼻曲山に登る 日程:2025.12.7(日)-12.8(月)
2025.12.7(日)
朝9時頃の遅い出発で、高崎で信越本線(横川行)に乗り換える。途中の伊勢崎付近からは先月登った妙義山がすぐ近くに聳え、そのずっと右側に雪をかぶった浅間山、その右にこれから登る特徴のある鼻の形の鼻曲山が見える。
信越本線終点の横川駅には他のメンバーより1時間早く着いたので、昼食後に駅近くの碓氷関所と横川茶屋本陣、峠の釜めし本舗おぎのや 横川本店資料館を見学する。
碓氷関所は、江戸時代には東海道の箱根関所、同じ中山道の福島関所とともに重要な3大関所とされていた。徳川幕府は関所で「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まりました。ここには通行人がこの石に手を置き、手形を見せて許可を得ていたという由来を持つおじぎ石などもあります。皇太子殿下が軽井沢によくお越しになって峠の釜めし本舗おぎのやに駅弁を注文されていたそうです。
2時頃他のメンバーが到着すると宿のマイクロバスで霧積温泉金湯館へ移動。ここは作家の森村誠一が学生時代に霧積を訪れ、有名な小説「人間の証明」の着想を得たことで有名です。彼はこの地で西条八十の詩「麦わら帽子」を知った。「麦わら帽子」は、母と子の会話形式で、風で渓谷に落ちた帽子への思いを綴っている。森村氏は、この詩に感動し、昭和50年秋に取材のために再び霧積を訪れ、この取材に基づいて小説を書き上げた。
夕食は鮎の塩焼きと、てんこ盛りの天ぷら、具だくさんの豚汁でした。夕食の後、部屋で飲み直しながら歓談して10時ころ就寝。
12.8(月)
朝食後、宿の前で記念撮影してから8時出発。
以下に行程図と標高図を示します。
行程
スタート地点 8:06-9:03 十六曲峠分岐 -9:27 霧積ノゾキ 9:34-11:10 鼻曲峠 -11:39
大天狗 11:53- 鼻曲山 12:24-13:48 長日向バス停
ヤマレコの記録 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-9045949.html
金湯館を出発して水車を右手に見ながら道路の登山口まで戻り、落ち葉が深い沢沿いに登ってゆく。尾根筋へ出る際に道を間違えたようで少し急登。その後十六曲峠分岐までは尾根筋を登る。その後少し下って霧積ノゾキへ
少しフラットな所で小休止してから鼻曲峠まで急登。途中で黄緑色のウスタビガの蛹(さなぎ)が見られた。蛹は穀物などを入れる叺(わらむしろで作った袋)に形が似ていることからヤマカマス(山叺)とも呼ばれ、繭は歴史的に百日咳の治療など、民間療法として様々な用途に使用され、糸は天蚕糸として利用されていた。鼻曲峠から少し行くと鼻曲山の東壁が聳える。切り立った崖で、ここは日本武尊が東征の途中、発見したという水場。一滴の水もなく疲れはてた武尊が、カラスが飛び立った跡に行って見ると、岩壁の中央からカラスの口に似た巨岩が突き出し、冷水が滴り落ちていたという。
この後、最後の急登を登ると鼻曲山山頂。ここから東を見ると、右から剣ノ峰、角落山、雨坊主山、その背後には榛名山が見渡せる。角落山は高崎市倉渕町の烏川源流部にあって、鼻曲山、浅間隠山とともに、角落火山群の名峰である。平安時代の武将・源頼光の四天王の1人である碓氷貞光が鬼と戦い、鬼の首を切り落とした際に鬼が命からがら逃げ込んだのが角落山とされている。西に続く剣ノ峰へは、中間の鞍部を経て1時間。次回はぜひセットで登りたい。
頂上で記念撮影をしてから昼食を摂り、12:24下山開始。約1時間20分で長日向バス停へ到着した。最後の別荘地の上で雄大な浅間山が姿を見せてくれた。
最後に今回の山行を企画していただいた皆さんに感謝申し上げます。







