目につくところに

表示されていたので、

 

久しぶりに↓を

 

見ました。

いや、懐かしい。

 

 

例によって、

教育的に良くない

と判断されたモノは

 

やめなさい

 

と言われていたけれども、

 

 

これはあまりにも

メジャー過ぎて

 

結構見ることが

出来てました。

 

 

今見直して・・・

 

時代背景について

思いを馳せました。

 

 

文化は、余程強度がないと

普遍性を持たず、

 

色褪せることが多いのだけれど、

 

 

そのギャップを通して感じたこと。

 

 

私より上の世代(あたり)が

 

今の世代(あたり)からは

想像もつかないあらゆる貧しさを

 

体験、もしくは見聞きしていて、

そこから苦労したりもして

ようやく脱して、

 

みんな豊かになったんだ、

 

という喜びを謳歌している。

 

 

って80年代はそういう時代だけれども、

 

 

私達にとっての教育的存在が

私達に感じさせる違和感は

 

そこから来ているな、と。

 

 

例えば

偏差値至上主義だったり

 

一般的なレールからはずれるな、

 

といった、

どこかズレている教育的押し付けは

 

 

絶対的な恐怖が根底にあり、

謳歌している安定、安心感を

 

継続して次の世代に

持たせたい

 

という願いなのに対し、

 

 

安定、安心感を

デフォルト(初期設定)として

産まれてきた世代は

 

 

実体験として、肌でその恐怖を

理解出来るケースは少なく

 

多くがそのデフォルト状態に

絶対的信頼がなく、

 

さらに先に何があるのかを

試す事の方が興味深い。

 

その先が恐怖なのか、

安心なのかはわからずとも。

 

 

ケド

 

上の世代から見ると、

自分達が勝ちとったやり方から

 

外れようとするのを見るのは

 

恐怖と不安を彷彿とさせ、

 

 

何とか止めたくなってしまう。

 

 

そんなすれ違いの積み重ねを

繰り返してきた、という一面も

 

あるのではないかと思うのです。

 

 

良い悪いではなく、

流れと変化の話。

 

 

そして、流れと変化なので、

前世代の心情が理解出来なければ

 

前世代のやり方を、

参考にしても全てに従う必要はない。

 

 

そこをはき違えて、

背徳感や罪悪感を感じながら

 

 

従わなければならないんだ、

しょうがないんだ、

 

 

と押し込めれば

無意味な違和感、我慢、苦悩を

抱えながら生きていくことになる。

 

 

人間が好奇心や興味を

抑えて生きるのは、

 

とても辛い事なんじゃない?

 

 

こんな感じのギャップが

各世代で発生しているんじゃない?

 

 

そんな装備で大丈夫か?

だいじょうぶだぁ、問題ない。