みなさん
おはようごうざいます
こんにちは
こんばんは
小学・中学部、国語・英語・社会担当の大石です。
今日は、みなさんに、とてつもないご老人をご紹介します。
お名前を、大嶋光義、通称大嶋雲八という方です。
えっ!ご存知ない?
確かに教科書にも載っていない方だし、よほどの歴史好きでないと
分からないかもしれません。
しかし!!!
岐阜県民を自負する皆さんなら、知っておいて欲しい人なのです。
1512年 美濃国関大島(現大垣)、または山県郡出身
美濃の斎藤氏に弓足軽として仕える。
その後、信長に召し出され、弓足軽頭(出世してる!)として仕える。
坂本の戦いで、信長に白雲をうがつような働きと激賞され、
信長の命(命令)により、名前を「雲八」と改める。
本能寺の変後は、米五郎左こと丹羽長秀に仕える。
賤ヶ岳の戦いで大活躍!8000石の知行を得る。
ちなみに七本槍で最も頑張った福島正則でも5000石というから
その活躍たるや!
その後、豊臣秀吉に仕える。
ところが、1600年関ケ原の戦いでは、東軍に属し、
家康から1万8000石の知行を現在の関市にもらい、大名となる。
その後、子供4に知行を分けて旗本となり、関藩は廃藩となる。
・・・ふむ
たしかになかなかのサクセスストーリーだが、
よくある話・・・
これのどこがすごいのか・・・
なんとこの大嶋雲八、関ケ原の戦いに参戦した年が、
なんと93歳
めちゃくちゃおじいちゃん!
しかも戦国時代の男性の平均寿命が37歳(諸説あり)
はーーーぁ!
めっちゃ老人!
もはや仙人か!というくらいの御高齢での関ケ原。
しかも活躍したとなれば、岐阜の誇る武将と胸をはれる
はずです。
ぜひ、夏休みや休日を使って、大嶋雲八の足跡をたどるのも
よいのではないでしょうか?
【明王山】明王山は雲八生誕の地と伝えられる岐阜県関市にあります。
歴史小説では雲八の60歳からの生涯が描かれていますが、じゃぁそれまでは何していたか…?
美濃の国、この関周辺で斉藤方の武将として、激しい戦いを繰り返していました。
この明王山に登ると、それまでの雲八の戦いの舞台を眺めることができます。
山頂からは素晴らしい眺めです。
ここに立ち、戦国時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか…。
アクセス
①各務原アルプスの登山口はいくつかありますが迫間不動を。
21号からドンキホーテの交差点を関方面に行きます。
②関には行かずにすぐに脇道に入ります。ほたるの里が目印。
③道なりに行って各務原公園を抜けてすぐを右折。
④これが目印。右折します。
駐車場が50台くらいのスペースがありますので、ご安心ください。
それでは戦国の世を思いながら、絶景をご覧ください。
もっと大嶋雲八!
近衛龍春さんの著作「93歳の関ヶ原、弓大将、大島光義(通称大嶋雲八)」
がありあすので、こちらもぜひお読みいただければと存じます。