ゆとり教育と教科書改訂②~何のための「ゆとり」だったか~ | 東海進学アカデミーのブログ

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前回の記事を自分で読み返してみると

感情が先走り わかりにくい表現が多かったですね

スミマセン


ちょっとおさらいさせてもらいますと

「ゆとり」の理念

子供になにがしかの能力を身に着けさせてあげる、という根本が欠落している

ex100マス計算を批判、「あんなもの学力ではない」

→ほほう、読み書き算盤は教育ではない、とおっしゃるわけですな



「ゆとり」の推進論者

三浦朱門(作家)「魚屋の息子が大臣・官僚になったりしないように」

寺脇研(文部官僚)「みんなは『ゆとり』で良くなった公立に行ってね」「でも僕の息子は私立進学校行かせるけどね♪」

→ツッコミ入れるのもバカバカしいですね、「恥」って知ってますか?


まぁとにかく「ゆとり」のバカバカしさ

みたいなものをお伝えしたかった訳です


さて今回は「何のため」だったか

そもそもなぜ「ゆとり」にこの教育が流れてしまったのか

ということです


いわゆる「受験戦争」「詰め込み教育」の弊害是正のため

というのが一番よく言われていますし

私も賛成です


そう、出だしから「~~するために」

ではなく

「~~しないために」

という発想から始まっていたのですね


明治以来、日本の教育というのは明確な目標を持って行われていました

「欧米に負けぬ国を作るため」(能力)

「そのような国の臣民(今の我々が考えるほど国粋主義的なニュアンスではなかったのではないでしょうか)として恥ずかしくない人間を育てるため」(道徳)


戦後も

「日本復興の人材を育てるため」


そう、明確な「~~するため」という意識を持った教育だったわけです

しかし

いつしかこれが

「~~しないため」

という消極的な発想に変わっていってしまうのですね


自分が記憶している80年代~90年代の教育現場・教育に関する評論は

①過度な戦争に対する反省~いわゆる自虐史観・戦争は一方的に日本が悪かった~

②摩擦は悪~子供と問題なくうまくやる先生は良い先生、「頑張れっていうな時代」の幕開け~

ってな感じのものが多かったのではないでしょうか


それらの結果として

①→小林よしのり・江川達也などに見られる反動=日本は全然悪くなかった・ない

②→コミュニケーションとれない・打たれ弱い若者増加=自殺者・引きこもり増加


があるのでは?と考えてしまします


これらの空気と「ゆとり」は密接なつながりを持っているように感じます