小泉進次郎は竹中平蔵の操り人形 | tokaiama20のブログ

tokaiama20のブログ

ブログの説明を入力します。

 今朝は8時に書き始めて、いきなりパソコンが誤作動の連続、まともに動かず、管理者CMDから、SFCをかけたら、不可アンサーばかりで、再起動してCHKDSKをかけて、それからSFCファイル再生を行ったら、実に2時間半を要して11時前になってしまった。
 予備のパソコンはウィンドウズ7で、なぜか、ほとんど動かなくなってしまった。

 地震前兆かもしれないが、普段とフリーズの仕方が違うので、たぶん昨日書いた記事による自民党右派からのハッキング攻撃である可能性が強いと思う。自民党青年部の主力も統一教会である。
 コンタクトログをとっているが、侵入者は、すべて海外プロクシ名義だった。
 これまでのハッキング技術が、一般的なセキュリティシステムでは防げないことが分かったので、私は2万円以下の中古パソコンしか使わないが、これまで3台が回復不能の破壊を受けた。
 とりあえず、書き進める。
***********************************************************

 竹中平蔵が日本国民を90歳まで働かせると表明したのは、2019年のことだ。
  https://president.jp/articles/-/30182

 自民党内は、竹中平蔵が持ち込んだ新自由主義一色に染め上げられている。小泉進次郎も例外ではなく、竹中平蔵主義のフルコピーであることを自分で表明した。

 小泉進次郎氏「死ぬまで働け」戦慄の年金プラン “標準モデル”は萩本欽一…なんでそうなるの? 2024/09/11
 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/360359

 自民党総裁選や立憲民主党代表選で「最も議論して欲しいテーマ」は「年金、医療、介護などの社会保障対策」──。7~8日実施のJNN(TBS系列)世論調査の結果で「次の自民党総裁にふさわしい人」のトップ(28.5%)は小泉進次郎元環境相(43)だが、過去の提言や講演をひもとくと、思い描く社会保障プランは非常に危うい。

 進次郎氏は自称、国会議員初の「人生100年時代」の提唱者だ。2016年4月、進次郎氏を中心とする自民の若手グループが社会保障に関する提言集をまとめた。
 確かに〈人生100年生きていくことが当たり前になる未来〉と出てくるが、続くのは〈もはや戦後のやり方は通用しない〉という強い言葉である。

 否定したのは〈「20年学び、40年働き、20年休む」という人生こそが普通で幸せ〉との考え方だ。
 「一本道のレール」にたとえ、〈「一度レールから外れてしまうとやり直しがきかない」そんな恐れから小さなチャレンジにも踏み出せない〉と説き、〈この国の閉塞感を生み出している〉と断じた。そして高らかにこう宣言したのだ。
 〈政治が、そのレールをぶっ壊す〉

 父・純一郎元首相譲りのフレーズだが、後に進次郎氏はこの提言を「私たちのバイブル」とまで言っている。
 16年10月、再び進次郎氏を中心に提言集「人生100年時代の社会保障へ」を発表。年金を受け取る時期を選べる受給開始年齢の柔軟化を訴え、〈年金保険料はいつまでも納付できるようにする〉〈高齢者がより長く働くことが当たり前になる〉とブチ上げた。

「進次郎氏が18年10月に党厚労部会長に就く前後には、当時の安倍政権が年金受給開始年齢の上限を引き上げる議論を開始。2年後に改正年金法が成立し、22年4月から上限は従来の70歳から75歳まで伸びた。
 進次郎氏の提言はすでに結実しています」(自民党関係者)

 進次郎氏は「65歳以上は『高齢者』なんてナンセンス」と年齢前提の社会保障制度の見直しや、現在16~64歳の「現役世代」の定義を「18~74歳」に変更などと講演やインタビューで繰り返す。年金の受給開始年齢は「80歳でもいいのでは」と語ったこともある。

 意味するところは「死ぬまで働け」──。いつも標準モデルに掲げるのはタレントの萩本欽一(83)だ。

 18年3月には地元・横須賀市の「0歳児からの国政報告会」にサプライズゲストとして招き、70代で大学に通った欽ちゃんを「人生100年時代をすでに体現している」と持ち上げた。

 「欽ちゃんの生き方は素晴らしいが、実践できる高齢者は少ない。特殊なケースを例に挙げ、一般の高齢者の尻を叩くのは言語道断。いかにも『銀のさじ』をくわえて生まれてきた世襲議員の発想で、光を浴びている人しか見ようとしない。中間層以下を置き去りにし、誰もが豊かで希望あふれる老後とは真逆の発想です」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 進次郎氏のいじめの対象は解雇規制緩和の労働者だけではない。仮に総理になれば、老人いじめも加速。「欽ちゃん化」を求められる高齢者じゃなくとも「なんでそうなるの?」と突っ込みたくなる。
******************************************************
 引用以上

 私の世代である1950年代生まれの社会環境を主導したのは、1910~20年代生まれの田中角栄、後藤田正春、野中広務、三木武夫、大平正芳らだったが、いずれも自民党議員でありながら、徴兵され戦場で辛酸を舐めさせられた強烈な体験が、人生観の基礎にあった。
 エリート軍人だった中曽根康弘を別にすれば、軍国主義の恐ろしさを肌身で思い知らされた人たちだった。

 だから彼らは、体験派の反戦主義者だった。非核三原則や武器輸出禁止などの反戦政策を作ったのも彼らだ。社会党や共産党の議員ではなかった。
 ところが、1930年代以降に産まれた政治家たちは、徴兵や軍隊生活を体験していないので、上から一方通行の軍隊組織、軍備増強や、核兵器開発に、体験による抵抗感のない人たちだった。彼らの脳裏に反戦という言葉は存在しなかった。

 海部俊樹、橋本龍太郎、麻生太郎、小泉純一郎、安倍晋三らは、戦後世代で「戦争を知らない子供たち」であって、戦争の惨禍に想像力も働かないため、軍国主義の復活に積極的だった。
 さらに、その子供世代である小泉進次郎、杉田水脈、小野田紀美、高市早苗らは、アニメ、ゲーム戦争の世界にリアリティを感じているだけの空想世代であって、空想や妄想の範疇にある核武装を推進している。

 彼らの特徴は、竹中平蔵流の新自由主義に洗脳されて、「金だけが唯一の価値」と信じきっていて、全員が、合理化、効率化を推進するファッシズム思想にどっぷりと浸りこみ、LGBTや女性解放思想を敵視し、障害者、労働者保護思想を無駄な存在とみなし、戦前の男系封建社会への回帰を求めている人たちだ。

 つまり、経営者、資本家の思い通りに人々を動かし、徴兵し、首を切れる社会を求めている。「労働者は人間ではない、ただの産業ロボットにすぎない」とい認識が彼らの共有思想だ。
 おまけに、全員が「新古典主義」ともいうべき、封建制への回帰に憧れを抱いていて、女性天皇反対や、労働者保護法制の廃止を口にしている。
 それは、その意味するところに想像力がまったく働いていないからだ。

 新自由主義とは?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9#:~:text=%E3%80%8C%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%80%8D%EF%BC%88en,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%80%82

 「人類の存在価値は金儲けだけ」という思想をフリードマンらが提起したが、彼の所属するユダヤ人コミュニティの本質もまた、「金で人を支配する」ものである。
 元々ハイエクは、アルゴアの祖父、ユダヤ人=アーマンドハマーの設立したアメリカ共産党の思想に影響されていたが、やがて米共産党は、ネオコンへと右旋回していった。
 それが新自由主義思想の母体となった。

 アメリカ共産党の主力は、トロツキストであり、それがネオコンの源流なのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BF%9D%E5%AE%88%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)

 竹中平蔵は、ハーバード大学で、ロックフェラー経済研究所に所属したが、この思想的共有こそ新自由主義の総本山だった。竹中は金融ユダヤ人のコピーである。
 竹中こそ、今の小泉進次郎や高市早苗の共有する自民党思想のモデルをもたらし、自民党員に洗脳し続けた人間なのだ。
 それは、日本では統一教会の教義とも結びつくことになった。

 今の自民党には、底辺の生活苦を体感的に理解できる人材は皆無であり、全員が金儲けにしか興味がない。ろくな苦労もしたことがないので、貧しい人たちへの連帯感もゼロであり、彼らの興味は、戦争ゲームや、ユダヤ金融資本による投機、金儲け、自分の利権を自慢することにしかない。

 それは維新も、立憲も、国民、公明も同じで、だから、彼らの全員が、消費税に賛成し、軍備増強に賛成し、小泉純一郎が2000年頃、竹中平蔵とともに宣言したように、「日本を金融国家(博打立国)にする」という投機国家戦略に賛成している。

 さらに、新自由主義は、経済学でいえば「新古典主義」であり、ケインズ経済学が真正面から否定した「セイの法則」さえ復活させている。
 これは、「景気を左右する要素は、需要ではなく供給である」と決めつけた、1900年前後の超時代遅れの経済理論で、これによってニューデール大恐慌が発生したと断じられている妄想である。
 
 「景気の本質が需要」であることを、どうしても理解できないから、愚かな消費税導入やプライマリーバランス論が出てきて、社会経済に冷水を浴びせ続けている。
 私個人は、無制限の需要拡大が自然破壊、人間の秩序、道徳、愛情破壊を招くことから反対しているのだが、それでも、最低限の景気は必要だと考えている。
 消費税は絶対に存在してはならないものだ。

 高市早苗は公共財政投資を推進するとは言っているが、土台が新自由主義と国粋主義なのだから、投資分野が国防のみに向いて、民衆の生活苦の救済には役だたないことが分かりきっている。
 小泉進次郎は、労働者保護法制を廃止して企業のやりたいように解雇させろと主張している。すでに竹中平蔵によって、それが導入され、企業は600兆円超える内部留保を持ち、やがてユダヤ金融資本への献金になるにちがいないというのに、資本家を儲けさせることが国力充実という、陳腐な妄想から一歩も出られない。
 本当は、労働者を豊かにすることが国力充実であることが、まるで理解できないのだ。

 時間に追われて書いたので、この問題は、いずれ書き直すつもりだ。