目指すべき到達点は「人々の笑顔」 | tokaiama20のブログ

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 人生を山登りに例えるなら、目指すべき山頂が「人生の目標」ということになる。
 人生に目標を設定する人は多い。「他人を見下せる特権階級の地位を得る」ことを目標にする人が多い理由は、メディアが一生懸命「セレブ」や有名人を宣伝して、人々にコンプレックスと羨望を与えようとしているからだ。

 メディアの大部分が、人々が羨む豪華で贅沢な生活を送っている人を賞賛しているため、若者たちの目標も「羨まれるセレブになること」になってしまう。
 他人を見下せる人生こそが理想の目標ということになってしまっているのだ。
 だから、若者たちは安易に達成できるセレブ生活を追求して、強盗を繰り返したり殺人を行ったりする。
 若者たちには、ロレックスの腕時計やポルシェやフェラーリを所有したがる者が増えている。メディアがセレブ志向を煽るからだ。

 犯罪とは無縁の真面目な人生を目指そうとしても、自分がセレブになる目標は変わらない。その手段として、人々の幸福な生活ではなく、原子力開発や軍事産業の一員になって、皆殺し兵器開発の栄誉を求めたりするわけだ。
 例え原子力開発の結果、地球を放射能汚染して子供たちの未来を閉ざすとしても、自分が原子力村の利権のなかで優位に立てるなら、他人の不幸などには興味がない。

 以下に、原子力村の利権に寄生しようとする人の代表的な声が残されている。
 これはパンティ泥棒で知られる安倍派総務会長を務めた高木毅議員の父親のものだ。
 第3次安倍改造内閣で、復興大臣になった高木毅衆院議員(福井2区)。この高木新復興相の父親は、1979年から4期16年間にわたって福井県敦賀市長を務めた高木孝一氏だ。2012年6月、93歳で死去している。

 その高木孝一氏が、敦賀市長在任中の1983年1月26日、石川県羽咋市で行った原発講演会での講演内容が、「原発への警鐘」(内橋克人・著、講談社文庫)からの引用の形でインターネット上に出回っている。
 http://www.labornetjp.org/news/2015/1444315859492zad25714

  只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。
 …ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。

 ……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。

 そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。
 止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。

 敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。

 そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。

 100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。

 いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。

 …(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金! まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。

 それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。

 …で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。

 あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。
 今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。

 これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)
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 「50年後、100年後に生まれてくる子どもが全員障害児になってもいい。カネのために原発をやれ」……身の毛もよだつような原発推進派の本音があけすけに語られている。なるほど、ご本人が仰るとおり「正しく原子力発電所というものを理解」するには最適の発言だ。

ちなみに、今回の内閣改造で就任した息子の毅復興相は、自民党内で清和政策研究会(細田派)に属している。その会長の細田博之衆院議員が、自民党の原発推進派議員連盟「電力安定供給推進議員連盟」の会長であること、そして2013年7月、「原子力発電を推進しようって、みんな世界中が言っている」「福島の不幸で原発をやめるのは耐えがたい」と発言していることを、まだご記憶の方も多いだろう。(参考記事:2013年7月24日付け「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-24/2013072401_04_1.html )
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 引用以上

 上のリンクを読むと、原発利権のあまりの非人間性に度肝を抜かれるが、「金だけがすべて」という新自由主義の思想に染まってしまった人は、たぶん高木市長に同調し、他人の不幸よりも、自分がセレブに成り上がることの方の価値が高いと思うのではないだろうか?

 アメリカ流セレブでいえば、勝者が際限のない富を得て、贅沢の極みを尽くす人生が羨まれている。これが「アメリカンドリーム」というものだ。
 全盛期のタイガーウッズの生活が報道されたことがあるが、寝室が7つ、テレビが20数台、車が10台くらいあったそうだが、残念なことに、ウッズには体が一つしかないので、一度に寝られる寝室は一つ、見られるテレビも一つ、乗れる車も一台しかない。

 このことを秀吉や信長が話題にしたことがあるらしい。(後世の作り話だが)
 「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」
 https://beat0909.com/wakuwakublog/lifestyle/okitehanjouneteichijou/

 つまり、人間は限られた肉体と頭脳しかないので、やれることは限られている。どんなに背伸びしてみせたって、立って半畳、寝て一畳の空間しか占有できないし、一日2合半しか食べられない。自分に対して誇大妄想を抱くなという戒めである。

 別の言い方をすれば、どんなに羨まれるセレブ=世界の超大金持ちだって、一日に食べられるもの、動ける場所は限られていて、最底辺のホームレスと、何の違いもない。
 つまり、人生に本当の意味での差別は存在していない。
 天皇家だって、私だって、食べてるものに特別の違いはない。自家畑で自分で育てた野菜を食べている私の方が、もしかしたら贅沢な暮らしをしているかもしれない。

 「実体経済」という言葉があるのだが、これは人間が本当に必要な生活物資のやりとりの規模を言っている。人間社会全体で、年間8000兆円以下らしい。
 ところが、これに対して、先物取引とか株とかの投機経済を「金融経済」といって、その規模は、おそらく実体経済の数十倍になっている。
 金融経済とは、生活実態からかけ離れた虚構の資産である。しかし実体経済を支配することもできる。

 この金融経済の本質は紙や記録媒体に記された虚構なので、いつでも簡単に崩壊するものだ。その破局的崩壊が最初に世界で知られたのは1920年代末のニューデール大恐慌だった。
 https://timeway.vivian.jp/kougi-122.html
 NY株市場での大暴落の後、虚構経済に追い詰められて、たくさんの投資家たちが自殺した。ウオール街など摩天楼からの飛び降り自殺者が危険で歩けなくなったらしい。道路は血まみれで肉片が散乱していたそうだ。

 このように、セレブの世界は虚構に満ちているので、メディアの注目を集めて華やかな人生を送っている人が、いつ自殺に追い込まれるか分からない。
 だが、山奥のポツンと一軒家で、自給自足に近い生活を楽しんでいる人たちが、虚構に追い詰められることはない。
 電気やガスを止められても、清らかに流れる水と、暖かい家と畑があれば十分なのだ。

 人々は、いったい、どんな理由で、他人を見下せる贅沢な生活に憧れるのかといえば、たぶん、幼い頃から競争社会の宗教的洗脳を受けてきたからだ。
 「競争に勝って一番にならなければならない」
 という強迫観念に追い立てられて生きてきたからなのだ。塾に通い、有名な学校に進学し、一流の人間として社会から評価されなければならないと洗脳されるのだ。

 すると、そうでない、普通の生活を送っている人々を、見下し嘲笑する人間性が登場してくる。
 逆に、超特権階級に対する無限の羨望も成立する。天皇家やバフェットやビルゲイツを宗教的に信仰するようにもなる。
 さらに、他方で、植松聖のように、障害者が社会を悪化させていると妄想し、皆殺しにしようとする者が出てくる。ナチスはT4作戦で、ドイツ国内の障害者40万人をガス室に送り込んで殺害した。
 これが終わったのは、ヒトラーが自分の甥まで殺されたことを知ってからだ。

 日本で、障害者を強制的に不妊手術を行う「優生保護法」を成立させたのは、福田昌子、加藤シヅエ、太田典礼らの革新(社会党)系議員だった。市川房枝も賛成した。
 これにより数万人の障害者が強制避妊手術を受けさせられた。
 https://www.mag2.com/p/news/348601

 セレブへの憧れ、特権者への憧れは、対極に、底辺の人々への見下し、嘲笑、ときに憎悪さえ成立させる。
 米山隆一が、全国の過疎の貧村に集約農業を持ち込んだり、合理化を強要し、能登震災で追い詰められた過疎集落を、集団移転させて合理的効率的な生活をさせよと主張させていることが知られている。
 https://ameblo.jp/yoneyone00/entry-12819990560.html

 https://mainichi.jp/articles/20240126/k00/00m/040/382000c

 米山は元知事、衆院議員であるとともに医師であり弁護士である高知能の特権階級セレブといってもいいかもしれない。
 すると、自分の地位や評価への満足感が、その対極にある不合理と思われるライフスタイルへの否定になって現れてくる。

 もう回復の困難な貧村、過疎地方は、集団移転させてしまえ、農業は、すべて合理的な集約化農業に変えてしまえという上のリンクの主張が出てくるのだ。
 「ポツンと一軒家での自給生活など、もっての他!」
 という価値観になるだろう。「あらゆる存在は合理的であらねばならない」と一種の脅迫観念に入り込んでしまうのだ。

 だが、そこには、当の住人本人の価値観など考慮されない。すべては社会のためという屁理屈がつけられる。
 これが優生保護思想の本質なのだ。社会のためなら、小さな個人の幸せなどどうでもいいという集団主義の発想が出てくる。
 そんな思想が底辺の現実に生きている人々から出ることはありえない。必ず「有能で優れた為政者」から出てくるのだ。

 「有能な為政者」にとって、好ましいのは全体主義であり、「優れている」との評価である。逆に、好ましくない価値観は、「多様性」である。
 私個人の価値観をいえば、人生の豊かさを保証し、喜びを与えてくれるものは、「多様性」である。同じものしかない社会は、とても退屈で飽きがくる。
 私は、全世界で人間の数だけの多様性があってほしいと願っている。
 
 それは合理化、効率化とは逆の意味だ。みんなが「右向け右」を強要される社会など、まっぴら御免だ。
 米山隆一が、「農業を集約化することが正義」であるかのように言うが、私は、右向け右農業には魅力を感じない。それは全体主義の反映に他ならず、「優秀病」の行き着く先なのだ。

   あなたはあなたでいい 金子みすゞ
『私と小鳥と鈴と』
 私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
 
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 私は金子みすゞが自殺しなくてもいい社会を求めている。
 我々の目指す、人間の理想社会というものがあるなら、それは人々が、他の人々の笑顔だけを頼りに生きている社会だ。
 他人を見下す地位も財産もいらない。他人に秀でる必要はない。

 そこに、癒やされる笑顔があってくれればいい。
 それ以上、望むものはない。子供たちの未来が平和で安全でありますように……。