縄文人が超遠洋航海を行ったこと | tokaiama20のブログ

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 私は、7300年前に、地球史上最悪の鬼海カルデラ噴火が起きたとき、事前にそれを察知した九州の縄文人たちが、超遠洋航海によって、南北アメリカ大陸先住民や、中東先住民になったと考えている。

 西日本の縄文遺跡は、巨大噴火の影響で、東北方面に比べて極端に少ない。だから九州縄文人は、この噴火で全滅したというのが定説である。
 だが、九州縄文遺跡には、例え石灰岩質であっても、縄文人骨が一つも発見されない。
 巨大噴火から逃げたとしか考えようがないのである。

 この時代の人骨が発見される遺跡は、遠く安曇野まで行かねばならない。それより九州寄りの人骨遺跡は、ほとんど発見されていない。逆に東北北部や北海道には、縄文人骨遺跡が頻繁に発見されている。
 https://mb1527.thick.jp/joumonzenki.html

 古代人は、予知、テレパシーのような超能力や霊的世界との交流が普通にできたと私は考えていて、未来を予知するなど朝飯前だっただろう。(私も、わずかながら霊、超能力を体感できている)
 そして、我々が想像するより、何桁も上の超常能力を持っていた。日本に数十万を超える宗教的(霊的)遺構=宗教施設が存在しているのが、その証拠である。
 もしも霊的存在が空想上のものに、すぎないなら、これほどの霊的施設が現存する理由がない。超能力も同じだ。
 
 縄文人が米大陸先住民になったという説には、「そんな馬鹿な」と思う人が大半だろう、しかし、当時の海洋環境を考えれば、実は、それほど困難なことではない。
 なぜなら、当時、海洋は今より、何倍もう降水量が多かったので、長期航海でも飲料水の心配は少なかった。

 7000年前は温暖で、日本列島は豊かな照葉樹林帯の植生になっていた。海洋生物相も今とは比較にならなほど豊かだった。
 またサハラ砂漠や中東は、大規模な針葉樹原生林に覆われていて、極端な変動は少なかったように思われる。
 http://atmenv.envi.osakafu-u.ac.jp/aono/clihis/

 戦前の話だが、有明海では百歩歩けばたくさんの海産物が入手できたという古老の話がある。これは干潟だが、沿岸部では、イカやキス、鰯など海産物は驚くほど豊かだった。
 遠洋航海に出ても、船にマグロや鯖やトビウオが船に飛び込んでくるなど日常茶飯事だったといわれる。
 だから、7000年前の海洋の豊かさは推して知るべしだ。気温が高い時期の遠洋航海で、食料を得るのに、さほどの困難さはなかったと考えられる。

 7000年前、縄文人たちは、古代船の建造技術を持っていた。石斧があれば、容易に大木を丸木舟に加工することができた。おまけに、縄文の名の通り、ロープ作りの名人だった。
 また布被服も、考古学上は25000年ほど遡ることができる。しかし、皮革を使えば、十分に布と同等の性能を得ることができた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E6%9C%8D

 そこで、長さ10m、幅が1mの丸木舟が数十艘、あるいは数百艘あり、それをロープで結合すれば、恐ろしい嵐にも耐える柔軟な大型船ができる。これを筏のように組み上げて、帆を張り、ロープを構造材として、柱を立てて皮を張れば、大型耐候帆船が成立する。まるで宇宙船のようなものだ。
 これで16世紀のスペイン、ポルトガルなみの航海能力があったと考えられる。コンチキ号のような脆弱なバルサ舟など必要なかった。

 こんな船で外洋に繰り出せば、魚が船に飛び込んでくるし、雨水も大量に確保できる。毛皮で屋根を貼れば、太陽光も防ぐことができる。海上での植物栽培さえ可能だった可能性がある。
 これによって、縄文人には数年にわたる超遠洋航海が十分に可能だったと思われる。
 あとは、リングワンデリングに陥らないよう天体観測によって航路を定めればいい。
 この技術は、現代のポリネシアの漁民たちにも引き継がれている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

 ちなみに、下呂市金山地区には、当時の天体観測の精度を示す遺跡が残されていて、6000年間、ほとんど観測点が動いてない驚異的な精度が確認されている。この技術を用いれば、地球上を自由に測位航海ができた。

 人類の祖先は、「アフリカのイブ」ということになっていて、アフリカから人類が移動したという学説なのだが、モンゴロイドがどの段階で登場し、南北アメリカ大陸や中東の先住民になったかという問題は、まだ解決していない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89#:~:text=%E6%9D%B1%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%8C%97%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%AF%92%E5%86%B7,%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%AC%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 以下は、https://www.amazon.co.jp/review/R29IHLC53Z0083  から抜粋。

 アメリカの形質人類学誌(American Journal of Physical Anthropology)に、1977年に掲載された「Y染色体の印を持つ者とベーリング海峡からの分散(Y Chromosome Markers and Trans-Bering StraitDispersals)」という論文によれば、男系子孫にのみ伝わっていくY染色体DNAの情報から人種のルーツの祖先を正確に辿れる手法において、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDグループとEグループのみであり、DグループとEグループはおよそ5万年前に分化した近縁グループである。

 そのうち、Dグループが相当な頻度で存在するのは、日本とチベット、インド洋のアンダマン諸島のみで(日本はD2のみ 40~50%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットはD1 16% +D2 33%)、その他の地域では D1、D2共非常に少ない。

  他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてのみで、何と近くの中国、韓国の人々にはDグループとEグループがほとんど全く見られない遺伝情報である。

 D2系統の人々はどこから移動してきたのだろうか? チベットには、日本と同様にD系統が約半分存在するが、D系統の亜型の D1と D2が混じったものである。日本が D2系統のみであり、華南やインドシナ半島に D1系統がわずかに存在することから、チベット方面から華北・朝鮮半島を通って日本にやって来たと考えられる。

 D系統の祖型であるD* は、ベンガル湾東部のアンダマン諸島に、部落ごとに集中して存在している。さらに、D系統 と E系統が分岐する前の、DE*(DE祖型)は、アフリカのナイジェリアで5例見つかったと報告されているので、このあたりが日本人の先住民である縄文人のルーツであると考えられ、このために、現在沖縄やアイヌ人にも残っている日本古来のアニミズム(精霊信仰)は、アフリカが発祥であると考えられる。

 中略
 同じく、祖先を調べるのにミトコンドリアDNAで調べる手法がある。これは、子供(男子も女子も)は母親からのミトコンドリアDNAのみを受け継ぐもので、母親の祖先を調べるには有効な方法で、ちなみに、日本人の母親のルーツは、16人の母親で、トルコ、バイカル湖西部周辺、チベット、中国、台湾、東南アジアなどがいる。

 さらに興味深いのは、南北アメリカ大陸のネイティブ・インディアンの男性にもY染色体DNAのYAP+が多く見られる顕で、これは結論から言えば、南北アメリカ大陸のネイティブ・インディアン出自やインカ帝国を築いたのは、古モンゴロイドの縄文人であるからである。

 恐らく、中米のマヤ帝国も古代縄文人が築いたのではないかと思われる。
 南米アンデスから発見された2体のミイラのDNA鑑定を行ったところ、これらのミイラが成人T細胞白血病に関連する稀少なウイルスに感染している事が判明したが、このウイルスは、現在おもに南西日本とチリの一部の地域でのみ見つかるウイルスで、両地域の関係を強く示唆するものであった。

 このウイルスが、1500年ほど前の物と思われるミイラから発見された事により、ウイルスが現代日本人の移動により感染したのではない事が明確となり、この研究が発表された権威ある「Nature Medicine」によると、ウイルスに感染した古モンゴロイドが、1万年以上前に南米に進出したと考えられている。

 ところで今から約6300年前(放射性炭素年代測定)の縄文時代に、鹿児島の薩摩硫黄島「鬼界カルデラ」が大噴火し、爆発規模はフィリッピン・ピナツボ火山の10~15倍。雲仙普賢岳のおよそ100倍と驚異的で、過去一万年の日本火山史の中では最大の噴火である。

 上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く、東北地方にまで飛散ほどで、南九州一帯は、60cm以上の厚さで埋め尽くされた。異彩を放つ黄色やオレンジ色の火山灰地層。これこそが「鬼界カルデラ」の大噴火がもたらした火山灰「アカホヤ」。 今、その分厚い地層の下から次々と遺跡が発掘されている。

 そこからは日本列島の南で大発展を遂げながら忽然と消えた、幻の文化の姿が浮かび上がってきている。日本最古で最大級の定住集落が発掘されただけでなく、出土する遺物や遺構の多くが、それまでの縄文時代という概念を揺さぶるものだった。 海洋民の存在を感じさせる世界最古の舟作り工具、貝殻文様の土器。独特の燻製施設や大量の石の炉跡、最古の耳飾りや巨大な壺型土器などなど、不思議で謎に満ちた遺物遺構が続々と出てきた。 そこは鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡の上野原遺跡(うえのはらいせき)である。

 その大噴火雲が日本国中を覆い、作物がまったく採れなかった時期がある事が地層の研究が分かっており、古モンゴロイドの縄文人が黒潮に乗ったベーリング海峡ルートと、南太平洋ルートで南北アメリカ大陸に渡った事が最近の研究で分かっている。

 この痕跡は、太平洋の孤島バヌアツや南米エクアドルからは次々と縄文土器と思われるものが発見されており、中でもバヌアツで発見された土器は青森で製作された正真正銘の縄文土器である事が確認されている。
 エクアドルで発見された、アメリカ大陸最古に属するバルディビア土器は、その文様の形態が縄文土器そのものであると、スミソニアン協会のエバンス博士等は主張しており、ワシントンDCのスミソニアン博物館には、縄文土器とバルディビア土器を比較したコーナーがあり古代縄文人が太平洋をわたった可能性が指摘されている。
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 長いので一部だけ引用

 上の論文は、アマゾンの書評の引用なのだが、私が長年考えてきた縄文人移動説と、蘇州呉国民、九州上陸説を見事に説明できるものだ。
 日本古代史の疑問符を洗いざらい解決できるピントの合った学説として、私は高く評価している。

 Y染色体による遺伝を調べると、日本人男子は、チベットとアンダマン諸島に共通するというのだから、もしかしたら地球上最期の未開島である北センチネル島の恐ろしい原住民もモンゴロイドである可能性がある。

 人類、民族の移動には、必ず必然的な巨大イベントが伴っている。
 それは鬼海カルデラ噴火のような史上最大級の噴火であったり、呉越戦争で敗戦国民が坑刑によって皆殺しにされる寸前に、命からがら船で逃げ出したり、あるいは新羅、濊族エベンキに追われて日本に渡った弓月氏=百済民のような極限の状況が民族移動に必要である。
 朝鮮渡来人たちが、何のイベントもないまま、三々五々、日本列島に移動してきたなどという従来の学説には、本質的な欠陥がある。

 移住する理由があるから移住したのであって、思いつきで三々五々移動したなどと宣う歴史学者には開いた口が塞がらない。
 もう一つ、古代の移動ルートは海上以外、考えにくい。陸上は障害が多すぎるのだ。例外的に、起伏の少ない、安全性の高いシルクロードのような陸上移動も選ばれた。
 日本では東山道が、内陸移動ルートとして選ばれたが、これには馬を移動させるという特別な目的が含まれていたと私は考えている。

 シルクロードも東山道も、古代には駅馬制が適用されていて、人が東山道沿いに定着して「国」を作り出すという目的が含まれていたように思う。
 古代の国は、国境など無意味だった。国境は未開地であり、領有することなど不可能だった。
 ただ道沿いに人が住み着いて生活を展開することが国を意味した。言い換えれば、国とは道だったのだ。

 同じ意味で、呉から越に追われて船で脱出した人々は、同じ照葉樹林帯の台湾、山東、朝鮮南岸、九州に上陸し、沿岸沿いに展開したので、それが「倭」だったと考えられる。
 倭という国は、それら沿岸住民と交易範囲を意味したのであって、特定の地域を意味したことなどありえない。古代の国とは道によって定められたのだ。

 歴史学者が、古代国家に無理矢理国境という属性を定めようとしても、まったく無意味なことだ。国家とは、道=交易範囲という属性しかないのだから。
 それから戦争が多発することで、徴兵や徴税の目的で、地域を暴力的に囲うようになり、ここではじめて国境を画定し、明確な国家権力が確立されていったのだ。

 だから、古代史と国家を見る上で、一番大切な視点は、「道=交易範囲」である。
 日本古代史でも、もっとも重要な視点は、モノの流通経路と範囲であり、例えば、姫川の翡翠の出土範囲や諏訪の黒曜石ナイフの出土範囲で、縄文時代の本質が明らかになる。

 7300年前、九州の縄文人は、破局的噴火災害を予知し、巨大な丸木舟筏船団を作って世界の海に乗り出した。そして南北米大陸の先住民となった。
 すると、いかにもたくさんの人々が同時に移住したかのように想像するだろうが、事実としては、わずか数名が上陸し、繁殖すれば十分に米大陸先住民として全土の主になることができる。

 だから、大規模な民族大移動を想定する必要などまったくない。数名が1年程度あれば、太平洋を漂流しながら、天体観測し、米大陸にたどり着くことができたのだ。
 仮に6名が上陸し、30年で二倍になったとすれば、千年もすれば数兆人に増えることができるのである。
 もちろん実際には、戦争や災厄で激しい人口淘汰が起きるので、7000年かかって億の単位になることしかできなかった。

 現在、南米大陸の99%にスペイン・ポルトガル人の遺伝形質が含まれているが、モンゴロイドで占められていた南米に、コーカソイド、スペイン人の血が入ったのは、わずか500年前であり、しかも数百名の兵士にすぎなかった。
 民族というのは、我々の想像よりも容易に、遺伝形質を変化させることができる。

 1900年前後、朝鮮李朝は、大韓帝国という日本の傀儡国家に代わったが、1910年の国家消滅前、1907年の人口は1300万人だったといわれる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD

 これが、1910年以降、1945年まで「日本国民」ということになった。
 だから、彼らの多くが「日本国民」としての権利を持って日本に移住してきた。その総数は、実に300万人を超える(非正規、密入国を含む)。五人に一人だ。
 これだけの人々が、100年前に日本人として日本国家に溶け込んだ。
 
100年の間に、日本人1億人のうちの、相当割合に李朝朝鮮国民の血が入ることになったので、現在、その子孫は、おそらく1000万人を大きく超えているだろう。
 つまり、日本人の相当部分が朝鮮人という事態になっている。もしかしたら数千万人に及んでいる可能性さえある。

 例えば、移住先として多いのが、広島、兵庫、大阪、愛知、東京などの就業先に恵まれた大都市だった。
 現在、ここに住む人たちの血に、朝鮮民族の血が流れていない人の方が少ないかもしれない。
 これは、南米を侵略したスペイン・ポルトガル人が、南米モンゴロイドを駆逐したのと同じ構図である。

 だから考古学、文化人類学のなかで、「日本人の遺伝子」として取り上げられているデータには、大きな間違いが含まれている。日本人に混ざった朝鮮系の血を軽く見すぎているのだ。
 大都市の居住者の多くに朝鮮系の血が流れているので、彼らの遺伝子から古代史を推理するのは間違っている。

 もしも、日本人の遺伝子を正しく調べたいなら、朝鮮系の混血の機会の少なかった、南西諸島や脊梁山地の秘境住民の遺伝子を調べる必要がある。
 日本人一般の遺伝子解析は、ほとんど無意味だと指摘しておきたい。

 今後、安倍晋三による外国人単純労働者の移住解禁によって、年間数十万人という東アジアの若者たちが移住してくるので、ますます遺伝子解析は複雑化してゆく。
 日本文化も短期間に大きく変化してゆかざるをえない。
 自民党は、地方の生活を破壊し、消滅させる新自由主義の政策を続けてきた。
 すべてを市場原理によって振り分け、バス便など交通機関も「儲からない」という理由で廃止し、地方を守っている「防人」を追放しているのである。

 日本文化の破壊者として君臨している自民党や維新を、多くの若者たちが支持しているように見える以上、「日本」は際限なく壊れ、そして歴史から消え去ってゆくのだろう。