ダイハツの崩壊 | tokaiama20のブログ

tokaiama20のブログ

ブログの説明を入力します。

 ダイハツ自動車が、過去の不正を内部告発によって摘発され、窮地に立たされている。

 ダイハツの大規模不正問題、全車種生産停止の影響と軽自動車業界再編の可能性(2023)
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78547

 日本の自動車工業は、ほぼ同じ内容の大規模な不正摘発が数回起きている。だから、ダイハツの問題を聞いて、「またか……」という印象を否めない。

 三菱自動車 リコール隠し (2000~2004)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%9A%A0%E3%81%97

 三菱自動車燃費不正問題 (2016)
 https://www.nikkei.com/article/DGXZZO99954700S6A420C1000000/

 スバル自動車不正問題(2017)
 https://bizspa.jp/post-91078/

 日産自動車不正問題(2018)
 日産、完成車検査で未実施など新たな不正発覚 2018年9月26日
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78547

 スズキ自動車不正問題(2019)
 スズキの検査不正、一気に拡大 隠蔽が常態化 2019年4月13日
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43717720T10C19A4EA5000/

 日野自動車 エンジン不正問題(2022)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E5%95%8F%E9%A1%8C

 トヨタといすゞを除いた全メーカーが不正行為を働いていたということになるが、実は、トヨタだって実に胡散臭い。
 たまたま、巨大な経済力と権力を行政に公使できる立場からもみ消したとしか思えない。

 2006年に、トヨタはリコール隠しの不正で熊本県警に摘発されている。
 https://response.jp/article/2006/07/13/83817.html

 またトヨタは販売店段階で、深刻な不正が多発していた。
 トヨタ販売店の不正車検、12店で1300台超確認 スピード優先か 2021年9月29日
 https://www.asahi.com/articles/ASP9Y52H2P9YOIPE005.html

 1995~2017年頃、、奥田硯・張富士雄体制で、バブル時代を引きずった利益至上主義の悪弊が露骨に表に出て、トヨタ本部から、各販売店にノルマ向上など、ブラック企業といわれるほどの圧力がかけられていた。
 豊田英一郎が目指した大衆に寄り添う路線を、奥田・張の金儲け一辺倒の新自由主義コンビが、金儲け至上主義路線に変えてしまった。
 
 奥田硯・張富士雄こそ、トヨタを中国進出の泥沼に引きずり込んだ張本人である。
 おかげで、いずれ習近平台湾侵攻とともに、トヨタは中国の数百兆円資産を失う運命にある。
 レクサスという金持ちに媚びを売る金儲けブランドができたのも、張富士雄の発案だった。
 レクサス登場と同時に、それまでの主力だったカローラなど大衆車部門に対して、合理化の締め付けが行われ、各販売店が不正車検に手を染めるようになった。

 私も被害者の一人になった。私は、1998年頃、近所にあった黄金通のカローラ愛知からタウンエースを購入し、車検も任せていたのだが、2004年頃、車検終了後、全ブレーキ交換の費用を支払った車が、突然キーキー音を上げた。
 新品のはずのブレーキパッドが、4本とも、まったく変えられないで、代金だけ取られていたのだ。
 こうした犯罪的なデタラメ車検をトヨタが繰り返した理由は、張富士雄による金儲け優先体制にあったと思う。

 上に挙げた、すべての日本自動車企業の不正は体質的なもので、それは経営陣が、販売競争で社員たちに苛酷なノルマを強要し、金儲け至上主義の新自由主義の洗礼を受けていたからである。
 「金儲けがすべて、株主を儲けさせることが企業の使命」という価値観を竹中平蔵が日本中に拡散し、経団連はじめ、日本の経営者すべてが呪いのように洗脳されてしまっていたのだ。

  だから、バブルの夢が覚めないまま、不毛の30年がはじまった1990~2008年の時代というのは、日本企業総ブラックといえるほど、利益至上主義で、平然と不正を行う体質が、多くの企業に蔓延してしまっていた。
 この時代は、底辺の労働者に、すべての負荷を押しつけるブラック社会に成り果てていた。

 当時、私はトラック運転手として働いていたが、日16時間労働で、おまけに、かつてとは比較にならない低賃金の苛酷労働に辟易していた。
 タクシーに乗務したときは、毎日300Km以上の流し運転を強要された。
 私も、日本社会に絶望して、日本が核攻撃を受けて全滅することを期待したものだ。

今回、ダイハツの不正問題が外部委員会によって報告されているが、そのブラックな内容は、バブル崩壊後の日本社会の構造的不正問題と何一つ変わっていない。

「まさにブラック企業」ダイハツ不正問題、第三者委報告書に激震『で?』『なんでそんな失敗したの』具体例見て「今のうちの会社…」と震え上がる声も 12/21(木)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/cfb07f89871a1ecc7cfdad61c8f6ddff913b8c68

 結局、儒教的な社会序列関係にあぐらをかいた上司が、経営陣からの合理化命令を、現場に転嫁し、現場は、対応しきれずに、やむをえず不正に走ったという構造であって、一連の不正、とりわけ日野自動車問題と何一つ変わっていない。
 彼らは、ビッグモーターの悪質な不正と何が違うというのだろか?

 封建的な職場の序列関係の中で、風通しの良い上下関係はありえない。一方通行の命令システムがあり、現場からの意見には「下のくせに生意気だ」という身分主義的な否定しか返ってこない。これは一度でも実務を経験した者が最初に感じる序列風土だ。
 結局は、序列という価値観、すなわち儒教思想の問題であり、そんな序列秩序によって維持される企業城下町の差別制度が問題なのだ。

 序列価値観がもたらしているのは、上下の秩序を守るという身分意識であり、これが成功体験を重ねると、今回のような問題が起きても、「隠蔽し、問題を外に出さない」という強烈な保守意識が働き、上司は問題隠蔽のため権力をふるうことになる。
 そして結局、今回のような企業の存立を揺るがすような巨大問題になる。

 組織を合理化し、拡大してゆくと、結局、組織の秩序を守ることが最大課題になり、不正を問題にすることは禁忌になってしまうのだ。
 これは自動車業界だけでなく、官僚組織、行政組織のすべてに共通する本質である。
 「不正を許さない組織」というのは、身分序列を許さない組織と言い換えてもよい。

 結局、企業組織の最終目標が新自由主義による金儲け絶対主義に収斂するのだから、みんなが対等の立場で対話できる自由な組織風土がなければ、100%、企業組織は不正に向かって突っ走るのだ。
 それはレミングの群れが断崖絶壁に向かって突進するのと同じで、最後は不正による自滅が待っている。新自由主義を信奉すれば、必ず破滅が待っている。

 スズキ自動車の不正だけは、結果が逆になった。燃費不正検査をやり直してみたら、むしろ燃費が向上してしまったのだ。
 これは鈴木修の厳しいコンプライアンス思想が関係していた。鈴木修はインドの自社工場で特権を謳歌しようとしていた上位者たちから、個室を奪い去り、自ら社員食堂の順番に並び、不正を一掃しようとしていた。

 今回のダイハツ不正問題によって、スズキは、ますます地位を安定させることになるが、新社長は、かつての張富士雄レクサスのような金儲け優先路線に向かいそうな傾向があり、とても心配だ。

 金儲け一辺倒の新自由主義思想は、自動車企業にも「儲かる商品」の開発と販売拡大だけを、人倫よりも優先させて強要していた。
 新自由主義思想が経営者たちを呪縛していなければ、豊田英二や章一郎のように、大衆生活に寄り添って、人々を幸せにすることを企業利益よりも上位に置いた経営を行っていたかもしれない。

 豐田章雄や、佐藤恒治が、EVや水素、燃料電池にも傾斜しているが、やはり、新自由主義的金儲け優先の姿が見え隠れしていて、バブル時代に幻想に囚われたまま、周囲が見えずに自滅していった、たくさんの人々に共通する不安がある。
 安倍晋三による消費税爆上げで、底辺で支えてきた日本経済は死に向かって転がり落ち続けている。
 だから、今は、もうすぐ再びデフレに陥ることが約束され、再び、豊田英二、豊田章一郎の思想に立ち戻らなければ、豊田は崩壊に向かうしかない。

 私はEVが陳腐化し、存在理由を失うことを5年くらい前から何度もブログに書いてきた。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081317.html

 実は同じことが、現在、トヨタが傾注している水素自動車や燃料電池車にも言えるのだ。固体電池が開発されようが、流れを変えることなどできない。
 社会全体が消費税など重税によって身動きが取れなくなり、大衆の生活が窮乏化しているとき、新しい投資を要求する、新しい産業など成立する余地はない。

 仮に水素車、燃料電池車、固体電池EV車が実用化されたとしても、充電や燃料供給インフラへの巨大投資の余力は、日本社会に残されていない。
 そもそも実績のない新興技術に投資した場合、失敗のリスクが非常に大きい。何が起きるか全体像が見えてないのだ。
 だから、大規模投資に向かう力は湧き出てこない。

 水素車、燃料電池車の問題は、水素供給インフラの見通しが立たないだけではない。水素の持つ物理的性質から水素タンクの寿命は十数年しかないといわれている。
 ところが、交換したくとも非常に高価だ。車一台分にも匹敵するのだ。
 これに対し、旧来のガソリン車は50年でも持つし、問題点は洗いざらい明らかにされている。
 今後、EV同様、どんな恐ろしい不安材料が出てくるか分からない水素車、燃料電池車などより、旧来車、とりわけ高燃費のスズキアルトを使うことの方が桁違いにメリットが大きい。

 だから、私は何年も前から、すべての車をEVにすると菅義偉が宣言した2030年になっても、道路を走っているのはスズキアルトガソリン車だと何度も書いた。
 中国や北欧のような法的強要や公的援助があったとしても、低燃費ガソリン車の優位性が変わることはない。
 EV車は崩壊する。テスラは数年後にはこの世に存在していない。残念だがホンダも追従すると書き続けている。

 「一番使われているものが、一番強い」という法則が死ぬことはない。ガソリン車の優位はあと100年は変わらない。
 もしも、虚偽にすぎない二酸化炭素問題を持ち出すとしても、問題の本質は、無用なエネルギー浪費の抑制であり、そうであるなら、エネルギー車をできるだけ削減して、可能な限り自転車社会にすることが合理的である。
 この見栄張り浪費文明をやめさせることが、一番合理的なのだ。

 だから、私は、自転車インフラの整備こそ、未来のためにもっとも有効、合理的であると書いてきた。
 もちろん坂道の多い中津川市などでは、固体電池自転車を使えば良い。
 これがもっとも正しい選択肢である。水素自動車の普及ではないのだ。