カルマを理解していない「神の選民」たち | tokaiama20のブログ

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 釈迦は、考える必要のない問題として、4つのことを挙げていると、テーラワーダ仏教教会が説明している。
https://j-theravada.com/dhamma/sehonbunko/buddhagaoshietakarma/

 ① 釈迦(仏陀)とは何なのか?
 ② 禅定とは何か?
 ③ 業とは何か?
 ④ 社会とは何か?

 釈迦は弟子の比丘尼に対して、霊の人生への関与問題を問われたとき、「無記=霊の存在を考える必要はない」とも言った。
 https://ameblo.jp/aimiyume3/entry-12545917112.html

 「目に見えない、今後がどうなるかわからない事や、ものに捉われすぎるよりも、現実の苦しみ、苦しみの原因、苦しみを無くす方法についてしっかりと学び、実践して、
苦しみを確実に無くすことが、何よりも重要である。」と答えられた。
 お釈迦様の教えの一部である「無記」はつまり、あるかどうか判らないものにこだわりすぎるなということでしょう。

 これは、とても良い訳と思えるので紹介したが、世の中には「答えの出ない問題」がある。これを無理に考えると、良い結果が生まれないので、釈迦は「無記」という回答を行った。
 その「無記」のなかに、霊界の問題とカルマの問題が含まれている。

 それでも、カルマの問題は、釈迦の示した教えのなかの核心的課題である「因果応報」と密接に連関しているので、解釈経典に無数に登場してくる。
 カルマとは因果応報の原理である。我々の物質的人生は、カルマによって定められる。カルマとは、我々の人生が存在する本当の理由である……と解釈を語る人も多い。

 Weblio から一部引用してみよう
 https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E

 スピリチュアルな観点からの「カルマ」は、人間の魂が持つエネルギーの総体として捉えられることが多い。スピリチュアルな世界では、カルマは前世や今世、来世にわたって影響を及ぼすとされ、自分自身のカルマを浄化することで、より良い人生や魂の成長が促されると考えられている。

 「仏教」における「カルマ」とは
 仏教においては、「カルマ」は「業」とも呼ばれ、人間の行為が次の生に影響を与えるという考え方が基本である。仏教では、カルマが蓄積されることで輪廻転生が続くとされ、悟りを開いてカルマを断ち切ることで、輪廻から解脱し、涅槃に至ることができるとされている。

 「業(カルマ)」とは
 「業」とは、カルマの日本語訳であり、人間の行為や意識が生み出す善悪の実体を指す。業は、善業と悪業に分けられ、善業は幸福や良い転生をもたらし、悪業は苦難や悪い転生をもたらすとされている。業は、インド哲学や宗教において重要な概念であり、人間の行いや心の働きが宇宙の法則によって報いられるという考え方に基づいている。

 「カルマ」の梵語とは
 「カルマ」の梵語は、「कर्म」(karma)であり、「行為」や「業」を意味する。梵語は、インドの古典語であり、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教などの聖典が記されている言語である。カルマの概念は、インド起源の宗教に共通して見られ、人間の行いや心の働きが宇宙の法則によって報いられるという考え方に基づいている。

 「カルマ」を用いた例文
 1. 彼女は前世で善行を積んだため、今世では幸福な人生を送っていると言われている。
 2. 彼は悪行を繰り返していたため、カルマによって次の生では苦難に見舞われることになった。
 3. 仏教徒は、悟りを開いてカルマを断ち切ることで、輪廻から解脱し、涅槃に至ることができると信じている。

 「カルマ」とは、自分が行った行動・態度は自分に帰ってくるという意味である。一般的に、「カルマ」という言葉は悪い行いのみが影響を及ぼすという意味にとらえがちだが、実は善悪を問わないニュートラルな言葉である。
 さらに、「カルマ」は現在進行形で、常にそれぞれの人に積み上げられているものだ。つまり、善行を重ねれば明るく良い結果が生まれ、悪事を繰り返せば同様の壊滅的結果が生じるという意味がある。

 ちなみに、「カルマ」は必ずしも人の行動・態度から生じるのではなく、思考や欲望、性癖も関係している。それは、行動の根幹は精神と直結し、心の内は行動に現れるためだ。

 「カルマ」は、スピリチュアルの世界、いわゆる魂の世界を解釈する際にも使われる。スピリチュアルの世界でのカルマは、自分自身の行動・態度・思考が自分に帰って来るだけではなく、前世の悪事・善行も今世に影響を与えるという考えだ。
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 一部引用以上

 なんでカルマを引用しているかというと、私のように世間的な富や名誉の人生から落ちこぼれた貧乏老人は、自分自身の人生を振り返って、若い頃なした悪行が、今の自分に反映している現実を非常にリアルに理解できるのだ。
 毎日考えることは、「ああ、あのとき、あんな悪いことをしたから、今の自分の苦しみがあるのだ……」という因果応報の経路ばかりなのだ。

 これが、名誉や財産や地位や、たくさんの家族に恵まれている人には、なかなか理解できないだろう。また、自分の人生の汚点を、他人を見下すことによって覆い隠そうとしている人にも理解できないだろう。
 これは、誰からも見放された、何も守るもののない落ちこぼれ老人の特権なのである。
 だから、私は、どんなカルマが、自分の人生を演出してきたのか、普通の人よりも、はっきり理解できていると思っている。
 そしてカルマについて、考えることも多く、その深い真実に気づかされるのである。

 もう人生の出口、終着駅がはっきりと見え始めている私にとって、他人に対して優しくできなかった偏狭な自尊心が、どれだけ私の人生を窮屈で悲惨なものにしてきたのか後悔しかない。
 もっと他人の笑顔のために生きれば良かった……利他主義に生きれば良かった……そうしていれば、温かい思い出に浸りながら次の人生に迎えただろうと、後悔しながら物質的肉体の終焉を待つばかりだ。

 まあ、70年も生きていると、あらゆる物質的な満足が虚構にすぎないことを思い知らされる。高級車も豪邸も美人妻もイケメン夫も、他人を見下す地位も、貯め込んだ財産も、まるで過ぎ去る雲のように不確実で、一瞬の夢幻にすぎない。自分にとって何の価値もない。
 秀吉が死ぬ間際に「浪速のことは夢のまた夢」と辞世を述べたのと同じだ。

 そんな物質的虚構なんかより、人生で接点のあった他人との関わりで、相手のひとときの笑顔が心を癒やしてくれたことこそが、人生でもっとも価値の高い実存であり、果実なのだと思えるようになる。
 財産という物質的虚構と、「他人に親切にできた」という精神的果実(自己満足)の比較評価ができるようになる。それが70年という人生体験である。
 
 ただし、財産や地位に執着のある人には無理だ。真実を見抜くことができる資格は、守るべき価値への執着のない人生である。それは、人生の本当の喜びは、他人の小さな笑顔を見て刹那の満足を得ることでしかないと知ることだ。

 人生とは何か? 釈迦は「無記」としたが、何の物質的価値も持たない貧乏老人にとっては、真実を知るための虚構のプロセスであり、真実のように思い込まされている茶番劇であることが、はっきりと理解できる。
 我々の肉体、我々の人生は、生まれる前から定まっている。それを定める正体は「前世のカルマ」である。

 人はカルマのために肉体を持ち、カルマを解消するための人生経験を重ねる。その人生で克服できなかったカルマは、さらに次の人生に持ち込まれる。
 こうして、数百、数千の輪廻転生を繰り返しながら、少しずつカルマの少ない人生に向かってゆく。完全にカルマから脱却できれば、それは双六の上がりのようなもので、もう物質的肉体を得る必要もなくなる。
 これがヘーゲルの指摘した「イデー=絶対精神」である。

 こう考えれば、カルマの全体像が朧気に見えてくる。我々の物質的人生は、カルマのための茶番劇なのだ。
 だから、突然人生の終焉を突きつけられても、心配する必要はない。すぐに次の肉体が待ち構えて、その人生で克服できなかったカルマの課題に向き合う人生が始まるからだ。

 だが、ここでカルマの原理を理解できず、現世的利益がすべてと信じて、他人を見下したり、命を平気で奪ったり、たくさんの人々に苦痛を与えることと引き換えに、自分の強欲を満たそうとする愚かな人々の群れがいる。
 例えば、ロシアのプーチンだったり、中国の習近平だったり、イスラエルのネタニヤフだったりする。

 彼らの本質は、戦争を仕掛けることで自分の権力や財産を拡大しようと狙う強欲である。
 プーチンは23年間のロシア独裁を、数百万の命を奪うことや、人々の願いを武力で弾圧することで、人生の最期に、自分の権力を最大に拡張する自己満足で飾り、虚栄心を満足させようとしている。

 習近平も同じだ。その本質は、自分がどれほど大きい存在かを見せつけたいナルシズムだけだ。彼は、始皇帝や毛沢東と肩を並べて崇拝されたいことだけが人生のモチベーションだった。

 ネタニヤフだけは少し違う。彼の所属するリクードは、サンフェドリンというユダヤ教長老派の指揮下にあり、自分たちを「神の選民」と信じて、「(神との)約束の地」を得るためには、どんなに凄まじい謀略や残虐行為を働くことも許されると信じている。
 彼らは、幼い頃から旧約聖書を暗唱する義務があり、そのなかに残酷な陰謀殺人の教書として創世記34章がある。」
 https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/ot/gen/34?lang=jpn

 これを暗誦して育ったユダヤ教徒は、みな陰謀殺人が神の計画であるかのように信ずるようになり、世界を陰謀で支配する戦略に洗脳されてしまうのだ。

  イスラエルとは、どういう国か? 2021年02月02日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827350.html

  陰謀の民 2022年12月30日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6001534.html

 だから、パレスチナのガザの人々を欺してハマスというイスラム組織をイスラエルが作り出し、ネタニヤフの法改悪に反対する若者たちを襲撃殺戮させて、それを口実にしてガザ200万人の人々を皆殺しにする作戦を始めた。
 まさに創世記34章を暗誦して育ったユダヤ教徒にしかできない作戦だ。

 ちなみに、プーチンも、非常によく似た陰謀殺戮を繰り返している。
 偽旗作戦の歴史 2023年10月10日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6076077.html

 実はプーチンも、ロシア正教徒のフリをしているが、大統領旗がロスチャイルド旗と同じで、本当はユダヤ人だとささやかれている。
 ユダヤ人 プーチン大統領 2022年04月20日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5917149.html

 ネタニヤフもプーチンもユダヤ人の特徴である「陰謀」に彩られている。
 彼らは「神の選民」なのだ。ユダヤ教の聖典、タルムードは、ユダヤ人が神の選民であって、唯一の人間であり、他のすべての人々はユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)であると明記されている。
  タルムードとは何か? 2017年03月07日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828398.html

 旧約聖書の本質的な特徴は、カルマについて一切触れていないことだ。あるのは報復だけだ。
 それどころか霊界の存在についても触れていないので、旧約聖書やタルムードを信奉する人々は、霊界や地獄について概念を持っていない。

 だから、「自分たちは2000年前にイスラエルに住んでいた」と屁理屈をつけてパレスチナ先住民を銃口で追い払い、たくさんの人々を殺して、自分たちの国を作った。
 カルマを理解している人々には想像もできないことだ。釈迦は、自分の行いは寸分の狂いもなく自分の人生に還ってくる。
 今の人生が終わっても、次の人生にカルマが引き継がれると教えていた。

 イスラエルを建国したユダヤ人たちは、自分たちの侵略行為が、どれほど恐ろしいカルマとなって自分の人生や次の人生を拘束することになるのか、まったく理解していない。
 それは旧約聖書やユダヤ教タルムードが教えていないからである。

 自分の人生とは、前世のカルマが産み出した虚構であり、茶番劇なのである。だから、今、ユダヤ人たちが行っていることは、将来身の毛もよだつ恐怖の人生として、寸分の狂いもなくユダヤ人たちを襲うのだ。

 カルマの法則は、カルマを自覚した瞬間からカルマが人生に作用することを教えている。つまり、パレスチナ人を虐殺してイスラエルを維持拡大しようとしている自分たちが「悪」であることを自覚した瞬間からカルマが作用することになる。

 今回、ネタニヤフは、法改悪に反対し、大規模な反リクード運動を展開していたイスラエルの良心的な若者たちが集っていた音楽祭をハマスに急襲させた。若者たちを殺害したなかにはイスラエル軍も含まれていたという。
 最初から、本当の目的は、偽旗作戦によるガザ殲滅皆殺しと、国内の反ネタニヤフ政権運動の若者たちへの虐殺が含まれていたのだ。

 これに気づいたイスラエルの若者たちが、たくさん出ている。彼らは、自分たちの殺戮がイスラエルのカルマであることにも理解が及ぶだろう。
 だからイスラエル国家のカルマが、国家の表面に浮いてくることが避けられない。
 そしてカルマが作用しはじめる。

 私は、イスラエルもロシアも、習近平中国共産党も、自らの恐ろしいカルマによって、非常に早い速度で自滅、崩壊が始まるものと確信している。
 イスラエルという国が、この世界から消えてしまうだろうと信じている。それがカルマというものだ。