若者が政治的活動を避けている | tokaiama20のブログ

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 私の小学生のころ、岸信介首相による日米安保改定があって、樺美智子さんが機動隊に殺されたときなど、全国の街が安保反対デモに覆われ、私は、小学校でも「安保反対」と叫びながら教室を練り歩いて遊んでいた。

中学生のころには、完全な政治少年になってしまい、朝日新聞夕刊に連載される本多勝一の海外取材ドギュメンタリーに夢中になって、私はニクソンのはじめたベトナム北爆に激烈な怒りを抱いた。
 以来、受験もそっちのけで、怖いもの見たさでベトナム反戦デモに参加していた。

 高校でも、入学してすぐに社会科学研究会に直行し、反戦デモ三昧で、部室ではマルクス主義教本である共産党宣言や家族国家私有財産の起源などの文庫版を手に、毎日激論を繰り返していた。
 すでに、このころ、部内には革マルや反帝学評などの対立が起きていた。

 以来、私は、世間一般の人生価値観と乖離した政治的な色彩の人生を歩んだ。
 とはいっても、20歳代になると、もう総評幹部だった父親の労働運動人生を含む、既存の政治組織の本質的な間違いが見えてしまって、デモに行くより山歩きの方が良くなった。
 いわば、政治的な超早熟で、結局、ウソにまみれた人間社会の問題より、大自然を相手にしていたいと思うようになった。

 今から半世紀前まで、若者はいつでも政治的だった。デモと言えば数万人、数十万人規模が常識だったし、同世代が寄り集まれば、最初から最後まで激しい議論が続いたものだ。
 だが、今ではどうだろう?
 口角泡を飛ばして議論する若者の姿など、何十年も見たことがない。まるで、この社会から政治的若者が消えてしまったかのようだ。

 なぜ、若者は政治に興味を失ってしまったのだろう?
 私は、自身の体験から、組織性に対する不信があって、いわゆる組織活動を信頼できないという問題が根底にあると思う。
 対峙する社会は、問題だらけ、不満だらけなのは昔とまるで変わっていないのだが、その問題の本質をズバリと示し、解決策を提示してくれる「何か?」が見当たらないのだ。

 昔は、それが労働組合だったり、政党だったり、宗教団体だったりしたわけだ。
 現在では、辛うじて一部の人権NGO・NPOが役割を代替しているかもしれない。
 政治的問題に真正面から対峙するのではなく、動物愛護や自然保護、人権擁護などの形で、政治的問題の不満を斜め下から解決したいと願う若者が多いようにも思える。

 それを直接、デモなどの形で訴えようとしても、それを組織する主体に対する信用がいまいち確認できないのだ。
 もしかしたら、政治組織が自分を利用しようとしているだけなのではないか? との疑念がぬぐえない。
 かくいう私も、反原発運動を半世紀以上続けているのだが、組織には一切依存しておらず、反原発団体から評価されることも皆無だ。 あくまでも個人の趣味的活動にとどまっている。

 理由は、その反原発組織が信用しきれないのだ。高木さんの作ったCNICなんかは、お高く止まった知的な優越意識が漂っていて、近寄りがたいバリアを形成し、一般市民の立場や底辺の認識レベルに降りて、説得を試みる意思がまったく感じられないので、「この人たちとは、生まれた星が違う」と思わざるをえない。
 私なんか、半世紀も反原発活動をしていても、まったく交差する接点が見当たらない。

 2011年のフクイチ事故以来、さまざまな反原発グループと知り合う機会があったが、連携して大きな活動に結びつくような結果は、まるで生み出せなかった。
 私は、いつでも敬遠、警戒されているような疎外感に包まれていた。
 それは、反原発運動が、高度な核問題の専門知識と不可分であることからきているかもしれない。

 私は、若者たちが政治離れした問題の本質は、若者たちが、自分の人生スケジュールを、一種のプログラムとして洗脳されてしまい、それから逸脱して、私のような社会の落ちこぼれになることに恐怖を抱いくようになったからに思える。

 昔から「立身出世」プログラム人生というビジョンはあったのだが、今は、昔よりも柔軟性が乏しく、学歴、面接から社会昇進まで細かくスケジュール化されていて、逸脱すれば「期待される人間像」から脱落するという精神的拘束を受けているのではないか?
 政治に参加することは、「期待される人間像」からの逸脱を意味するのであり、いわば人生を棒に振るという恐怖心が若者を支配しているのではないか?
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 今回は、若者たちが政治離れしている現実について、さまざまな意見を調べてみた。

なぜ若者は「政治」が嫌いなのか? その根本的理由がわかった 2020.01.28
 https://gendai.media/articles/-/69529

  年内の衆議院解散・総選挙が囁かれる2020年。しかし、2019年の参議院選挙における国民全体の投票率は48.8%と低調だった。年代別に見てみると、10代の投票率は32.28%、そして20代は30.96%と、若者層の低さが特に目立つ。もっとも投票率が高い60代の63.58%に比べると、半分以下である。

 これでは「若者の声」が政治に届かないのも当たり前。どうして若者は、政治について語ることをいやがり、選挙に行かないのだろうか? 

 原田 都内の大学に通う学生たちに定期的に集まってもらって、さまざまなテーマを語りあってもらう座談会。今回のテーマは「政治」です。昨年2019年の参議院選挙で、若者の投票率は散々な数字でした。
 まず、ここに集まっているみんなの投票率を知りたいと思います。去年、選挙に行った人は手を挙げてください。
(7人中5人が挙手)

 原田 7割くらいかな。もちろん単純に比較はできないですけれど、さすがにこういう場に出席する学生だけあって、投票率は高いですね。では、行った理由、行かない理由について聞いていきましょう。
 最初に、行かなかった人に理由を聞いてみたいと思います。Aさんはどうして行かなかったんですか?

 A(男性) 僕は地元が愛知なんですけれど、住民票がそのままで……行けませんでした。
 原田 うーん。その問題は大学生からよく聞きますよね。まだまだ東京への一極集中は続くだろうから、ネット投票で解決できればいいんだけど。

 B(男性) 僕は投票に行ったんですけれど、友人と話したら、5人中3人は地方出身で「住民票を移していないから投票できない」と言っていました。僕の大学は公募推薦などで地方から来る学生が多いので、実際に選挙に行った人は少なかったと思います。

 A でも、政治に関心がないわけではないんです。僕の場合は、とくに憲法改正。安倍総理は憲法改正が自分の使命だと普段はよく言うのに、選挙のときにはあまり言わないですよね。アベノミクスの成果を強調したりはするけれど、憲法改正を争点にはしない。それって、本当は隠したいことがあるんじゃないかと思うんです。そういう不信感はあります。

 原田 しかし、反対の票を投じに、わざわざ地元に帰ろうとは思わないと。もっと言えば、不在者投票の制度を使えば投票はできるよね? そこまでしようとは思わなかった?
 A そうですね。はい。

 原田 なるほど。投票に行かなかったもう一人、Cさんはどうですか?

 C(男性) 僕は、政治に口を出せるほどの知識がないので、投票すること自体無責任だと思いました。投票で世界を変えるよりも、経済を動かすことで世の中を変えたいという気持ちがあって、それならいま政治の勉強をするよりも、ビジネスの勉強をしたいと思っていて、だから選挙には行きませんでした。実務に関することに時間を割いたほうがいいと考えて、まったく違う勉強をしていました。

 あと、僕は将来海外で仕事をしようと思っていて、政治というのは国内のことを主に対象にしているので、関心がありません。
 原田 それはかなり偏った見方だと思うけど……。とにかく、政治は自分に関係ないものに思えたということですね。

 じゃあ次に、投票に行った人の話を聞きましょう。Dさんはどうして投票に行ったんですか?
 D(女性) 参院選の大きなテーマは、消費増税だったと思うんです。私個人として、何より、消費税の増税が嫌でした。お小遣いが実質減ることになるし。例えば消費税が上がって、コスメの値段が高くなって困るのは私です。

 他の政党に入れても増税は止められないかもしれないけれど、行動も起こさずに文句を言うのは違うと思って、だから投票しました。
 原田 でも、消費増税の代わりに、大企業の法人税は優遇されていますよね。Dさんは名門大学に通っているから、就職先も大企業の可能性が高いし、志望しているわけでしょう。

 D それは、そうですね。ただ、消費増税に反対する理由は他にもあって、増税をするなら、北欧のように税金も高いけど、福祉も整っている社会を私は夢見ているんです。安倍総理の政策はそうだとは思えなくて。赤字国債を埋めるために増税するなら、私はそのために消費増税をしてほしいとは思わなかったんです。

  原田 たしかに、消費増税が社会福祉に使われるという説明がそもそも本当じゃなかったと言われていますよね。高福祉社会を作るための増税なら賛成したかもしれないけど、大人が作った赤字を埋めるための増税、自民党の増税は嫌だったということですね。
 D そうです。

 原田 消費税というシングルイシューで、ノーを突きつけたと。では、Bさんが行った理由を聞きましょう。

 B きっかけは、SNSで落合陽一さんや西野亮廣さんなどのいろんな著名人が、選挙に行くべきというつぶやきをしていたからです。実際に自公で3分の2以上の議席を獲った時を考えたら、すべてを委任してしまう状況になる。僕も政治に参加すべきだと考えたので、行きました。

 原田 選挙に行ったのは初めて?
 B そうです。初めての選挙でした。
 原田 では、行ってよかったと思いますか?
 いままでは、選挙後の開票数とかは見ていなかったですけど、行った後は自民党が何議席とったとか、情報に敏感になりました。ただ、行ってよかったかというと……。結局自民党が勝っているのを見て、自分の一票にどこまで価値があるのかなとは思いました。

 原田 ということは、自民党には入れなかったんですね。
 B 僕は日本維新の会に投票しました。理由ははっきりしていて、マニフェストで教育無償化を謳っていたから。僕自身がいま奨学金を借りて私立大学に通っていますし、社会に出てお金を返していくと考えると、やっぱり教育無償化は大きな論点でした。

 原田 なるほど。教育無償化は、とくに若者にとって大きなイシューですよね。日本は大学生の半分が奨学金をもらっている。アメリカと比べると金額は少ないかもしれないけど、返済が必要な奨学金をもらっている人が増えている、先進国としては珍しい国。もっと怒ってもいいと思います。Eさんはどうですか?

E(女性) 私は選挙には行きましたが、政治には興味がなくて……。
 原田 ファッションが10だとしたら、政治はどれくらい?
 E 0.1です(笑)。それに、増税はどんな党に入れても変わらなかっただろうし、どんな政党が勝っても私の生活に影響はないように感じてしまって。

 原田 共産党や、NHKから国民を守る党になっても? 公明党の単独政権でも?
 E それは変わるかもしれないですけど、現実的ではないですよね。自民党以外が政権をとることがそもそもないから、じゃあ私の一票って意味があるのかって思ってしまうんです。

 原田 それでも、選挙には行ったんですね。
 E 選挙に行く義務感がまだあったんです。親に言われるんで。朝起きたらリビングの机に、朝ごはんの隣に投票用紙が置いてあって、「行かなきゃ」と思っていきました。

 原田 親御さんと一緒に行ったんですか?
 E いえ、いままでは一緒でしたけど、今回は用事があって時間が会わなかったので。
 原田 時間があったら一緒に行く?
 E はい。

 原田 いまの若い人は親と仲がいい人が多いから、一緒に選挙に行くことで習慣化すれば、若者の投票率は上がるかもしれないですね。Eさんは何を基準に投票したんですか?
 E 私にとって一番関心があるテーマが就活なので、新聞を見て、就活支援を打ち出している政党を選びました。

  原田 やっぱり、自分のことが刺さっているんですね。政治の世界も、キャッチコピーをたくさん散りばめて投げれば、みんなに何かが刺さるという状況なのかもしれません。では、Fさんはどうですか?

 F(女性) 私はインターンシップなどを通して政治に興味を持っていたので、TwitterやインスタグラムやFacebookでいろんな政党をフォローしたりして、自然と情報が入ってきたので、それで投票に行きたくなりました。

 原田 Fさんの基準はどこだったんですか?
 F 実現可能性が大事だと思っていて、れいわ新撰組が「消費税をゼロに」と訴えていたんですけれど、それは無理だと思うんです。私たちはずっと消費税がある時代を生きてきているし、それをいきなりなくすのは難しいだろうなって。「ゼロだったらいいな」とは思うんですけれど、現実的じゃない。

 原田 Gさんはどうですか?
 G(女性) 私は去年の参院選で初めて選挙権を持ったので、行きました。メディアでバイトしてるんですが、年上の人や意識高い系の人と知り合うことも多くて、選挙の話もよく耳にしていました。大学生って全然選挙に行かないんだろうな、と思っていたんですけど、意外と政治に関心ある人はいるんだなって。

 私の周りでは同学年の友達5人のうち2人は行っていて、一人はお父さんが政治に詳しくて行け、と言われている人、もうひとりは自分から政治に関心を持っている感じでした。直接話した人はそんな感じだったんですけれど、インスタのストーリー見ていると、「投票完了」のGIFをつけている子も結構いて、お祭りみたいな感じでみんな行っているんだなと思いました。

 原田 インスタか……おじさんにはなかなかわからない文化ですね。インスタ側の、投票を促す仕掛けだったのかもしれない。Gさんの投票する基準は何だったんですか?
 G ジェンダーや幼児教育に注目していました。自分がいま結婚して子供を生みたいという気持ちが起きなくて。日本の現状を見ると、保育園が足りなかったり、子育てにするのにお金がかかるのに、支援が少なかったりする。それなのに、少子化が問題だとか言われても……制度が充実すれば、結婚や子育てを考えるかもしれないので。ただ、どこの政党も、そういう政策に力と入れるとは言っているんですよね。

原田 話を聞いていると、あんまり極端なことを言わない政党のほうが、若者には受け入れてもらえるのかもしれませんね。初めての選挙の感想はどうでした?
 G 選挙って、なんで終わった後にいろんな情報が出るんだろうって思いました。池上彰さんの番組とかで、候補者がどんな人かとか、選挙演説が流れたりして、「なんだこれ。行く前に見たかったんだけど」って思いました。

 原田 最近は選挙特番も面白いものが増えているから、ますますそう思うだろうね。みんな、特番を先にやってくれたらいいのに、と思いますか?
(全員がうなずく)

 A テレビに出るタレントや芸能人って、テレビ局の問題なのかもしれませんけど、普段は政治の話をしないですよね。ある俳優さんが、『政治的な発言をするとテレビに出られなくなる』とインタビューに答えていたのを読んで、「変なの」と思ってしまいました。

 原田 たしかにテレビ局や、芸能人も自主規制をしすぎている。でも、最近はウーマンラッシュアワーの村本大輔さんだったり、ローラだったり、政治的な発言をする人も増えているし、変わっていくのかな。
 でもね、政治的な発言をしたくないというのは、みんなも同じだよね。この座談会が始まる前に、みんなに「実名で記事にしていいか」と聞いたら、揃って匿名にしてほしいと言ったでしょう。君たちが実名で話したくないというのも、芸能人がリスクをとりたくないというのと同じじゃないの?

 G 芸能人じゃなくても、発言がネットにいつまでも残って、誰の目にも触れる時代なので。いつどうしてバッシングされるか分からない。私もプチ炎上した経験があるし、変なことを話したくない。
 B 普段の会話にしても、僕が「自民党を支持している」と言ったら絶対イジられると思うんです。で、後に他の政党に支持を変えたら「お前言ってること変わったな」って言われたり、「じゃあ、憲法改正どう思うの?」とかふっかけられたりするかもしれない。

原田 でも、周りの若者も政治離れしているんだったら、そんなこと言われないんじゃない?

B それが意外と、浅くは知識があるんですよ。フレーズだけ知っているような感じです。表面的なところで、イジってくる。
 原田 反論すればいいじゃない。

 B 面倒くさいんですよ。それでマウントとられた、とったの話になる。これがファッションとか趣味の話なら議論もできるけど、政治になると全部がネガティブなものになる。

 F そうですね。
 G 軽いノリだったのに、ウザいなってなるんですよね。
 C 面倒くさい、となって終わってしまうと思います。政治って批判ばっかりで面白くないし。

 G 政治の話って、「カロリーが高い」んですよね。頭を使う話をするとダルくなるんですよ。「なんで?」と言われるのもダルいし、「ふーん」と言われるなら、じゃあ最初から話しかけるなよと思うし。ファッションとかなら、「可愛いね」「ありがとう」で終わりなのに。
(全員、共感してうなずく)

 原田 なるほど、たぶん若者にとって、政治の一番の問題は「コミュニケーションコストが高い」ということなんだね。どんな内容でも、憲法や安全保障にしたって、社会福祉やジェンダーや教育にしたってネガティブな方向に行きがちだし、議論しようにもマウントの取り合いはしたくない。

 政治の情報を、自ら取りに行く気力はそんなにない。テレビの特集は選挙が終わった後に放送されるし、しらけてしまう……。でも、自分ごとの「刺さる問題」だと思ったら投票には行くわけだから、政治家やメディアがネガティブなだけじゃない政治の役割を見せるとか、政治のイメージを変えてゆく必要があるんでしょうね
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 引用以上

 正直、私の目から見ると、上の若者たちの議論は、あまりに幼い。社会問題の本質を、一度も真剣に議論したことがなく、新聞やテレビなどメディアによる社会的洗脳の上で、まるで動物園の猿が、餌の分配を議論しているような滑稽さがある。

 やはり、上の方に書いたように、多くの若者たちが自分の人生ビジョンを、テレビなどメディアの宣伝する価値観の上に組み立てていて、「人間としてどう生きるべきか?」という哲学的な深みのある主張がどこにも見られない。

 両親や友人、メディアの定めた価値観から一歩も外れることなく、新自由主義の弱肉強食=市場原理を前提にして、人生スケジュールを組み立てようとしているようにしか見えない。
 もっとも、半世紀前も、同じような価値観に嫌気がさして、私は政治活動に絶望し、山歩きに没頭するようになったのだが……。

 若者たちは、「ものごとを深く究明する」という方法論を恐れているように見える。
 深く調べれば本質が分かってしまう。分かってしまえば、既存の秩序、ビジョンなどアホらしくてやっていられない。
 そうなる前に、真実の究明を敬遠し、立身出世、「社会の勝ち組」になる人生計画から逸脱しないですむ企業価値観、新自由主義思想のなかで、目も耳も口も塞ぐ庚申塚人生を選択しているように思えるのは私一人だろうか?

 だが、それが通用するのは、新自由主義による市場原理を前提にした弱肉強食社会だけだ。資本の論理のなかでは通用しても、我々が本当に生きている真実の世界=「人情社会」のなかでは通用しない。
 人生の真実が「人の愛」だと分かるなら、真実に寄り添う人生を全うできる。しかし新自由主義の虚構に洗脳されたまま、弱肉強食を信じて生きるなら、そこには破局だけが待ち構えていると私は思う。