袴田事件の再審について | tokaiama20のブログ

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 私が袴田(冤罪)事件を知ったのは、もう半世紀近い前だ。
 袴田事件が起きたのは、1966年6月のことだから、すでに、57年も前のことだ。私が小中学生くらいのことである。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 彼が無実であるという噂は、事件直後から流れていた。(当時、父が社会党役員だったので、救援関係の情報が実家に来ていた)
 家族の血痕のついた犯人の衣類は、女性用で袴田さんが着られるものではなかったにもかかわらず、警察は、無理やり、彼を犯人と決めつけた。

 袴田さんの無実の噂は、周辺の人々のなかの真犯人を知っていた人が声をあげたからだと思う。当時、周囲では、誰もが真犯人を知っていた可能性があった。それほど真犯人が誰なのかわかりやすかった。
 https://oitachi-ima.com/jiken/4001/
 だが、警察は、自分たちのメンツ、威信を最優先して、自分たちの想定した筋書きどおりに見込み捜査を行い、「捜査実績」の生贄に捧げた。

 袴田さんは、当時、証拠捏造で冤罪事件を多発させていた静岡県警のエース、紅林麻雄の見込みによって犯人と決めつけられ、今では絶対に許されない拷問的取り調べで勾留期限3日前に「自白」させられた。
 すぐに否認に転じたが、当時の裁判所は、一度でも「自白」すれば、それを安易に真実と決めつけ、最高裁に至るまで「自白を理由として」死刑判決を続け、死刑囚となった。
 だが、絞首刑を50年以上執行されなかったことが、司法側の自身のなさを示していたといえるだろう。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%9E%97%E9%BA%BB%E9%9B%84

 以来、57年の歳月を経て、死刑囚として心身ともにズタズタ・ボロボロに切り刻まれた87歳の袴田さんは、それでも生き抜き、家族の支えによって、とうとう再審を勝ち取った。
 日本での再審事例で、再び有罪となったケースは記憶にない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%AF%A9

 しかし、静岡地裁が「冤罪は明白」として保釈までした袴田事件の再審を、東京高裁大島隆明は一度再審否定判決を出している。これも司法の権威を守りたいという権威主義からだろう。結局、解決を長引かせて、袴田さんを早く死なせたいという思惑以外考えられない。
 最初の再審不認可判決を出した東京高裁の大島隆明とは以下の人物
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E9%9A%86%E6%98%8E

 袴田事件 再審開始認める 東京高裁 無罪の可能性高まる 57年前の一家4人殺害 「犯行時着衣」捜査機関の証拠ねつ造か 2023年3月13日
https://news.yahoo.co.jp/articles/77ff2fed67b2295d43be085457981bb725a520be 

 第二次となる再審請求審では、2014年、静岡地裁が、再審を認める決定をしたのに対して、2018年、東京高裁は、一転して、その決定を退けた。ところが、最高裁は、2020年、審理が不十分として、東京高裁に審理を差し戻していた。

 差し戻し審の争点は、袴田さんが犯行時に着ていたとされる、5点の衣類の「血痕の色」。事件発生からおよそ1年2か月後に、会社のみそタンクの中から見つかっていた。
 確定判決では、衣類に残されていた血痕の色が「濃い赤色」などと認定されていた。この点について、最高裁は、1年2カ月間、みそ漬けとなっていた血痕に、赤みが残るのかどうか、十分に検討されていないとして、審理を差し戻した。
 差し戻し審では、弁護側、検察側ともに再現実験を実施。弁護側は「ほぼ黒っぽくなる」と主張、検察側は「赤みが残る」と反論していた。

 きょうの決定で東京高裁は、「専門家の鑑定書や証人尋問の結果、1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することは推測できる」と指摘して、5点の衣類について、「袴田さんの着衣であることに合理的疑いが生じる」と判断。

 第二次再審請求審の静岡地裁の決定で採用された「みそ漬け実験報告書」について、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」として、再審開始を認めた。
 一方、決定では、5点の衣類が見つかった経緯についても言及。「袴田さん以外の第三者がタンクに隠匿して、みそ漬けにした可能性が否定できず、この第三者とは、事実上、捜査機関の者による可能性が高い」と指摘。捜査機関による証拠のねつ造にまで踏み込んだ。
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 引用以上

 今回の再審判決も、2014年静岡地裁 村山浩昭元裁判官 とおなじように、「静岡県警が証拠を捏造した」(味噌樽の血液付着衣類)と、ほぼ断定する判断を行った。
 上にあるように、事件から14ヶ月間も味噌漬けになっていた衣類の血痕が赤みを保っていることなどありえない…ということだが、DNA鑑定の結果でも、袴田さんの血液ではなかったことが証明された。

 にもかかわらず、検察側は、「1年後でも赤みが残る、DNA鑑定は信用できない」と決めつけ、特別抗告することで再審をどんどん遅らせて、袴田さんが死亡して事件をうたむやに風化させる作戦に出た。
 それは、「捜査当局が証拠捏造を行った」という事実を判例として残したくなかったという思惑に尽きるだろう。

 結局、この事件で本当に問われたのは、捜査当局、警察と検察の「人権よりも自分たちのメンツ」というコンクリートのように固まった封建的発想である。まるで江戸時代のお白洲メンツを引きずっているようだ。
 しかし、時間の経過とともに、科学的分析技術も進化し、警察・検察の嘘が通らなくなっていた。
 麹菌など微生物の培養基に漬け込んだ血染め衣類が14ヶ月間もヘモグロビンの赤みを保つかどうかなど、漬物にかかわる、すべての主婦や業者が瞬時に分かることだ。まして、味噌桶は外気と遮断されていないので、味噌に合わせて容易に酸化してゆくのだから。

 私は、数十年前から、ブログなどで繰り返し、袴田事件を取り上げた。
 初期のものは、消されてしまって、原文もHDやフロッピーの劣化によって取り出せないが、生き残っているものもある。

 世界に大恥を晒した袴田事件再審拒否 まるで三流独裁国家なみのインチキ司法
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828299.html

 極めて重要な内容なので、そのまま転載する
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828259.html

 警察が証拠を捏造して、無実の袴田さんを死刑にしようとした
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5966160.html

 まだ、たくさんあるが無断削除されたものも多い。私が袴田事件を繰り返し発信しはじめてから、なぜか、清水市あたりのIPアドレスで、私に対する極めて下劣な嫌がらせが繰り返されるようになった。

 袴田事件や、免田事件など他の死刑事件を見ていて、私が思うのは、ヘーゲル弁証法の骨子である「世界は合理的な方向に向かう」という本質だ。
 「正義は勝つ」
 古臭いが、ネットで情報の収集や、やり取りが容易に、確実になるほど、「情報の真実性」を検証できる機会、確率が飛躍的に高まってゆく。

 私自身が、今、近所の超狡猾な泥棒によって被害を受けているのに、警察まで騙されて私の主張が虚偽だと決めつけられ、ひどい目にあっているのだが、「正義は勝つ」という、袴田さん再審ニュースを見て、私は強く勇気づけられている。
 私も諦めずに、真実が明らかになり、盗まれたモノが還ってくるまで戦い続けようと、大きな勇気と自信をもらった。

 幸いなことに、80歳近い泥棒夫婦は、私の近所から逃げられないようなので、死ぬまで盗んだものの返却を求め続けることができる。
 可能な限り合法的に、あらゆる方法で戦い続けようと努力している。真面目にやっていれば、いつかは袴田さんのように結果がついてくるはずだ。

 だが、日本の司法では、冤罪であるにもかかわらず、死刑が執行されてしまい、二度と取り返しのつかない事件がたくさんある。
 その最も典型的な事例が、福岡県の久間三千年さん事件だ。

 2009年6月7日 ●もうひとつのDNA誤判事件
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828503.html

 久間さんの事件も、物証が捏造である可能性が非常に強く、事実上、状況証拠だけで自白もないまま死刑判決、執行という司法による悪辣な殺人と言えるほどの事件である。
 とりわけ、冤罪が明らかになった1990年の足利事件でのインチキDNA鑑定を行った鑑定官と同じ人物による鑑定だったが、裁判所は無条件に受け入れた。

 冤罪で処刑されてしまった久間三千年さんの再審を裁判所が絶対に認めない理由
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828286.html

 【確定判決の柱となったDNA型鑑定は、再審無罪が確定した足利事件と同じ手法で警察庁科学警察研究所が行っており、再審請求審ではその信用性が争点となった。
 2014年3月の福岡地裁決定は、弁護団が提出した専門家の鑑定を踏まえ、DNA型鑑定の証明力を「確定判決の段階より慎重に評価すべきだ」と指摘。目撃証言や血液型鑑定などDNA型鑑定を除く状況証拠の総合評価で元死刑囚の犯行と結論付け、岡田裁判長も決定を支持した。(2018/02/06-13:32)
http://healthpress.jp/2015/08/dna-9.html

 DNA学関係者のなかでは、1990年当時、まだ初期のDNA鑑定には欠陥が多く、誤検出の確率が極めて高く、証拠として採用されるだけの信頼性は存在しなかったというのが定説である。】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 2008年10月28日、久間三千年さんの死刑が執行されてしまったが、これは戦後、死刑執行の常識を完全に覆す、二年という異様な早期執行であった。
 普通は、死刑確定後、執行は、どんなに短くとも五年であり、この間に、冤罪が発覚する可能性もあり、また被告が自分の罪に向き合う時間として設定されているのである。(宅間守だけは特別な事情で例外となった)

 久間さんは、逮捕後も一貫して無実を主張し、後に明らかになった、すべての証拠に、証拠価値の存在しないことが明らかにされていた。
 再審請求で、弁護士も無罪に自信を持っていたにもかかわらず、当時の法相、森英介は、冤罪死刑を処刑によって押し潰し、隠滅を図る目的で、前例のない処刑を行ったのであり、森英介には、権力犯罪としての殺人罪が課せられるべきであり、未来永劫、追求されなければならない。

 久間三千年事件は、森英介を主犯とする権力殺人と断言してもいい。
 現在もなお衆院議員を続けている森英介を、殺人犯として死ぬまで糾弾を続けることが、久間三千年さんや袴田巌さんたち無実の死刑囚を二度と出さない戦いであると私は受け止めている。