景気を良くして物資商品を循環させるのは簡単だが…… | tokaiama20のブログ

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 1990年代から始まった現在の日本の凋落について、エドガーケイシーが「1998年、日本が沈没する」と予言したことの意味が、地理的な意味での沈没ではなく経済的沈没であったことを理解できない者は、少ないだろうと私は思っている。

 私は30年前、1991年に、名古屋でタクシー運転手に就業した。すでにバブル崩壊による経済沈没が誰の目にも明らかになりつつあったが、まだ余波が続いていて、「タクシー稼業は気楽なもんさ」と、鼻歌交じりで濡れ手に粟のような商売が可能だった。
 当時の私の収入は、「本勤24時間交代」で40万円を超えていた。

 だが、景気はじわじわと悪化し続けた。最大の原因は、1989年、竹下登政権が3%の消費税導入を決めたことからで、まさに翌1990年から2021年現在に至るまで「消費税不況」が連綿と続いていることを理解できない経済専門家はいないだろう。
 「消費に罰金をかける」のが消費税の本質である。それは景気に冷水を浴びせること以外の意味はない。

 日本経済劣化・悪化のランドマーク=ターニングポイントは、1997年の山一証券倒産で、日本経済は山一証券とともに、まるでタイタニックなみの劇的「沈没」を起こしたのだ。
 この年、大都会の名古屋市を流して走っていて、秋になって突然のように客が激減した。1年前まで、トイレに行く暇もないほど、次々に客に止められたのに、1時間走っても、2時間走っても客の姿をみかけなくなった。
 それは「ある日突然……」起きたような唐突な印象だった。

 私の収入は25万円に満たなくなった。手取りなら20万円もないほどになった。名古屋ツバメタクシー売り上げトップクラスだった私がそんなことだから、平均より下の売り上げの運転手は、手取りが10万円なんて事態にまでなった。
 みんな、明け方、会社に帰ってきても、明るい表情を見ることがなくなった。

 私はケイシーは、「日本沈没」といっても「日本経済沈没」を予言したのだと思ったのだ。日本経済沈没の指標は、いろいろあるが、庶民の銀行預金金利を見るのが分かりやすい。
 


 ごらんのように、1990年の6%をターニングポイントとして、小泉政権の登場した2000年には、ほぼ預金金利がゼロになっている。
 まとまったカネを銀行に預けておけば預金金利だけで食べていけた時代が、戦後長く続いたが、1999年をもって永遠に終わったのだ。銀行にカネを預けても金額は増えない。ただ、盗難防止と、自動引落の利便性だけになった。
 後に、マイナンバー制度とともに、銀行取引が税務署に解析されることで、贈与税や相続税などの苛酷な取り立てが増えただけだった。

 この経済的凋落の原因が、大蔵省=財務省によるプライマリーバランス論=財政投資抑制と消費税による国民経済への冷水浴びせであることを理解している経済研究者が少ないのに驚かされた。

 自民党保守が、消費税による利権に目をくらまされて「国民からカネをふんだくれば、それが自分たちを豊かにする」という保育園児以下の軽薄単純な妄想に自分で騙されていたのは仕方ないとしても、ほとんどのメディアと、民主党など野党幹部まで、「消費税は必要」と詐欺師どもにコロリと騙され続けたのは、日本の政治家のレベルの低さを思い知らされるばかりだった。

 「消費税は経済にとって、極端な桎梏であり冷水である」ことを本当に理解できている政治家といえば、今でも山本太郎以外、非常に少ない。
 「消費税によって日本経済が滅亡している」ことが知られるようになったのは、まだ数年前(2017年頃?)MMT理論が登場し、藤井聡や三橋孝明らが、MMTを根拠にした財政均衡論批判を繰り広げてからのことだ。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96

 MMT理論は、正統ケインズ派経済学者のなかから出てきた「目から鱗」の指摘で、ケインズは、すでに80年以上前に、一貫して、「社会経済の本質は需要である」と指摘し続け、経済が回らないのは、「売れない」からではなく「需要がない」からであり、「需要を作り出す」には、財政投資などによって、底辺の消費大衆の経済力を向上させる以外ありえない、と主張してきた。

 ケインズは、社会の底辺における購買力と「消費雰囲気」が景気を向上させる上で、もっと大切な要素だと考えていたが、同時代の、ドイツの財務相ヒャルマル・シャハトによる「アウトバーン財政投資」が大成功を収めることで、ケインズ理論の正しさが実証されていた。

 シャハトは、第一次世界大戦で、極限にまで疲弊し、経済力を失ったドイツ国民を鼓舞するのに、アウトバーン建設という仕事を与え、従事した労働者に直接、給与を手渡した。もし、賃金支払いに企業や組織を関与させれば、必ず竹中平蔵のような極悪人が出てきて、根こそぎ「中抜き」して、ドイツ国民の経済力が向上することがないと見抜いていたのだ。

 だから、極度に疲弊した、現在の日本経済を景気好循環に導くには、消費税を廃止し、竹中平蔵のような「中抜き野郎」を追放すれば、もの凄い勢いで復活することが分かりきっているのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1513.html

 三橋孝明は、「消費税廃止」という正論を、山本太郎とともに、立民議員たちよりも、はるかに大声で主張し続けてきたわけだが、私は、ここで思慮が必要だと思う。
 私も、消費税を廃止した瞬間から、日本経済は劇的に立ち直ると確信している。だが、景気好循環が回復すれば、ちょうど1980年代バブル期後半から出てきた「パンドラの悪鬼たち」も蘇ることが明らかなのだ。

 それは、「産業廃棄物」と「不動産建設ラッシュ」である。いいかえれば、「経済暴走」である。
 世の中全体に、80年代後半に我々が経験し、うんざりさせられた廃棄物不始末社会が再登場するわけだ。
 人々が新製品を買いあさるようになれば、日本中が廃棄物の山に苦しむことになる。
 
 ここで私は、今だからこそ立ち止まって、江戸時代の合理社会の復活を考えなければならないと思う。
 江戸時代、江戸という世界最大都市は、究極のリサイクル社会だった。
 https://www.mitax.co.jp/radio_2017/cyclic-type-society-in-the-edo-period/radio20180713/

 廃棄物の再利用が、これほど徹底した社会は、世界中で他に例がない。廃棄物リサイクルというのは、人類のなかでも最高の知恵である。
 私は原子力利用に、真正面から敵対し、これをやめさせようと努力してきたが、その最大の理由は、「原子力にトイレが存在しない」からだ。
 原子力は、人類の生存に永遠に敵対する「パンドラの悪鬼」製造システムである。それは「他国を究極の武力で脅してやろう」という下劣な心情だけに依存している。

 「トイレがないマンションを作る」という、あまりにも馬鹿げた発想を容認する愚か者たちの顔を見たいものだ。その企業は、日立・三菱・東芝・石川島播磨などだが、彼らは、人類社会に、保管場に入れるまで地上で500年間冷却を続けなければならない核廃棄物を作り続け、子供たちの未来を核汚染に塗り込めようとしているのだ。

 原子力だけでなく、景気を無制限に回復させるなら、必ず取り返しのつかない産業廃棄物汚染=環境破壊が目に見えているのだ。典型例が、韓国と中国だ。この二国は、日本全体の数十倍の環境破壊物質を海洋や自然環境に捨て続けていて、人類の未来の生存環境を脅かしている。

  我々は、経済回復によって莫大な産業廃棄物を生産する前に、やらなければならないことがある。
 何よりも、あらゆる物資を江戸時代のような「循環型資材」に変えなければならない。例えば包装容器だ。すべてのプラスチック包装資材を、自然分解物(昔は経木や笹の葉などを使った)に変える必要がある。

 自家用車はEV化するのではなく、むしろ自転車交通の圧倒的拡大を目指すことで、化石燃料の浪費を抑制することができる。
 自動車道路とならんで、自転車・歩行者用、分離型道路をアウトバーンのように高密度で作らなければならない。
 今はEV自転車なみの優れた機能性・軽快性をもったギアが開発されている。
 https://free-power.jp/
 こうした方向性を明確にしてから、産業廃棄物抑制システムを確立し、同時に消費税を廃止するという段取を取らなければ、またまた日本中が汚染されることになる。
リニア新幹線などいらない。必要なのは、自転車専用幹線道路である。
 若者たちは、筋肉を喜ばせながら人生を謳歌する社会を求めているのだ。