以下の記事は「ぽんぽこ」さんという方がお書きになった「長女が運動会前夜に前夜に発熱し,インフルエンザに罹患した」という趣旨の記事である。
幼稚園児は,その所属する幼稚園における行事を楽しみに日々の園生活を送っている者が大半である。そんな中で「運動会前夜に発熱し,インフルエンザに罹患した」という現実を目の当たりにしても「出席停止」という選択肢を自ら進んで選ぶのは難しいことを本記事は示してくれている。
「ぽんぽこ」さんは「なんでもするから運動会に出させてくれ」と泣きながら懇願する娘さんを「なんとか説得して,欠席させた」とある。
私も体調不良による行事の欠席は何度かある。
1994(平成6)年の9月,幼稚園の年長クラスに在籍中,運動会当日が雨天で中止となり後日延期となったその晩に突然の嘔吐。
翌日,近所の小児科診療所を受診。「自家中毒」という診断で点滴と投薬治療を受けた。食事も受け付けない状態であったので,最初は絶食で,少しずつ水分を取り,食事のレベルを引き上げていった。
当然のことながら,これでは運動会には参加できない。幼稚園最後の運動会が「体調不良による」欠席で終わった次第である。
私は,幼稚園の運動会では年中クラスの時に両親と父方の祖父母に来てもらい,私が走っている姿を見てもらって,ビデオに撮ってもらった。決して運動は得意ではなかったが,行事は楽しみだったし,両親や祖父母に運動会で頑張っている姿を見てもらえるのが嬉しかった。
また,「園外保育」と称して園児と先生だけで行く近距離の遠足みたいな行事の時も「風邪を引いて欠席」ということがよくあった。
私も幼稚園や学校の行事は楽しみであったから,その時は悔しい思いをしたと思う。
しかし,これが「行事に対する期待度や園生活・学校生活などにおける帰属意識の低い者,『何かと理由を付けてサボりたい』と常々思っている者」であったら,勝手が違うと思われる。
かつて放送されていた「たけしの万物創世記」で「風邪」が取り上げられた時,冒頭でビートたけし氏は次のように語った。
「私は小学生の頃,学校をサボりたくてサボりたくて,公衆電話から学校に電話をかけて,父親のフリをして『すいません,北野の父ですが,息子が風邪で熱を出して』と言ったら,担任の先生から『北野,お前良いから早く登校しなさい』と言われました」
私は小学生時代のビートたけし氏のようなことをしてまで学校をサボろうとは思わなかった。
ただ,幼稚園の年中クラス在籍中に遠足の翌日(5月下旬)に流行性角結膜炎(「はやり目」)に罹患して「出席停止」措置を受けた後,復帰後に「幼稚園に行きたくない」,「おうちに帰る」と園内で泣いて担任の先生が困った事例はある。
当時の「連絡帳」の記載を見ると,次のようなことが書いてある。
「『友達にぶたれた』,『おうちに帰る』と言って,2・3回泣いたが,すぐに泣きやみ別の話題へ移った」
意外に,感情や話題の切り替えは早かったのかもしれない。
ただ,これも1学期中だけのことであり,2学期以降は登園拒否をしなくなった。
小学校ならまだしも,中学・高校と進んでくれば出欠席の日数は高校・大学への進学に際して推薦入試の基準として使われる。そんなことを考えると,とても「学校をサボりたい」とは思えなくなってきた。
しかし,高1の3学期にインフルエンザに罹患して1週間の出席停止を宣告されたときは素直に従って休んだ。法律や規則には逆らえない。
また,職場でもインフルエンザやCOVID-19,流行性角結膜炎などは「出勤停止」の措置が取られる疾病である。
実際のところ,前職(大学病院の看護助手)で1年目に流行性角結膜炎,2年目にCOVID-19に罹患し,どちらも「出勤停止」の措置が取られた。
私も職場への帰属意識は高いほうなので,このような疾病に罹患して「出勤停止」を宣告された時には「職場に対して申し訳ない」という感情が先に出てきた。限られた人員で業務を回している中で病欠者が出ることは,職場にとって痛手である。
日本人は「職場や学校を休むことの申し訳無さ」という観念が強い。おそらく,私も先述の観念を強く持っている。これをひっくり返すのは難しいと思う。
とはいえ,仕事に就いている以上,明らかな体調不良,感染症を疑う症状が発現した場合には速やかに職場の責任者(幼稚園・学校であれば担任教師等)に連絡・報告して,指示を仰ぐことが大切である。
制度を正しく使って適切な措置を受けるか,悪用して私利私欲を満たそうとするかの違いであると考える。
今回の「ぽんぽこ」さんの対応は「制度を正しく使って適切な措置を受けられた」と言える。