皆さん,こんばんは。
本日は,「東急田園都市線の歴史」第2編として,「新玉川線開業」と「路線延伸の推移」について書いていきます。
それでは,本編へGO!です。
① 新玉川線開業
(1)新玉川線建設の経緯
新玉川線とは,現在の東急田園都市線のうち,渋谷~二子玉川間(9.4km)に付されていた路線名称です。同区間は地下線で建設されています。昭和52(1977)年4月7日の開業から平成12(2000)年8月5日までの間,使われていました。
新玉川線という名前は,昭和44(1969)年5月10日に廃止された玉川線(渋谷~二子玉川園間)の生まれ変わりということで付けられました。
玉川線は明治40(1907)年に当時の玉川電気鉄道によって開業した路面電車です。乗客やファン達から「玉電」の愛称で呼ばれ,親しまれていました。
昭和30~40年代にモータリゼーションの進行による道路渋滞,首都高速3号渋谷線の建設,営団銀座線のバイパスとして計画された半蔵門線との直通など,複数の理由が重なり,昭和44(1969)年5月10日に玉川線は廃止されました。
廃止から約8年後の昭和52(1977)年4月7日,新玉川線は渋谷~二子玉川園間の折り返し運転という形で開業しました。
(2)新玉川線直通快速の運行
開業から7ヶ月後の昭和52(1977)年11月16日,長津田~渋谷を直通する快速列車の運行が始まりました。
この快速列車は日中時間帯(10:00~16:00)に30分間隔で運行されました。この快速列車が,後に行われる営団半蔵門線との相互直通運転でも運行されることになります。
列車の運行時間帯からして,渋谷の東急百貨店への買い物客が主なターゲットであると思われます。
②路線延伸の推移
(1)すずかけ台延伸開業
昭和47(1972)年4月1日,田園都市線はつくし野からすずかけ台まで延伸しました。この時,隣のつくし野駅構内が複線,すずかけ台駅は1面1線の単線で開業しました。
すずかけ台駅の近くには東京工業大学のキャンパスが所在し,「すずかけ台」という駅名は哲学者プラトンが作った学校「アカデミィア」の中にあるプラタナス(すずかけの木)に由来します。
(2)つきみ野延伸開業
昭和51(1976)年10月15日,すずかけ台止まりだった田園都市線は,つきみ野まで延伸しました。この時,中間に南町田(現・南町田グランベリーパーク)駅が新設されました。
つきみ野延伸開業時,すずかけ台駅が複線となりました。新設の南町田駅は複線で,つきみ野駅は上りホームのみの単線で開業しました。
南町田~つきみ野間は東京都町田市と神奈川県大和市の境界で,その境界部分に境川が流れています。境川の「境」は武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)と相模国(神奈川県)の境界という意味です。
(3)中央林間延伸開業
昭和59(1984)年4月9日,田園都市線は最後の建設工事(つきみ野~中央林間間)を終えて,全通しました。
中央林間延伸開業に伴い,つきみ野駅構内は複線化され,中央林間駅は地下に1面2線の島式ホームで開業しました。
次回は「新玉川線・営団半蔵門線との相互直通運転」について書きたいと思います。