皆さん,こんばんは。
いよいよ来年1月に東急8500系が勇退します。1975年に最初の編成が就役してから48年の歳月を経て,ここに勇退の時を迎えます。
本日は,東急8500系について,その生い立ちや私の思い出話を書いていきたいと思います。
東急8500系は1975(昭和50)年に東急田園都市線・新玉川線・営団地下鉄(現「東京メトロ」)半蔵門線との相互直通運転のために導入された通勤型電車です。オールステンレスで20メートル級・4つドアの大型車体で,前面に赤帯を巻いたシンプルなデザインの車両です。
上記3枚の画像は1999年9月,小5の時に東急田園都市線の長津田駅で撮影しました。東急8500系は全部で10両×40本(うち2本は5両+5両の組成),400両が製造され,東急田園都市線の主役でした。当時,東急田園都市線は新玉川線,営団地下鉄半蔵門線との相互直通運転により水天宮前まで乗り入れていました。「電車とバスの博物館」は高津駅の高架下にあり,南町田駅は「グランベリーモール」の開業前でした。列車の運行ダイヤも中央林間~長津田は日中時間帯に各停6本,急行2本,長津田から長津田折り返しの各停が2本走るダイヤでした。各停の本数が圧倒的に多くて,「終点の水天宮前まで先着」という案内のある列車もありました。
幼稚園~小学生の頃は,南町田にある母の実家へ行くときに中央林間から東急田園都市線に乗り,たった2駅の短い旅を楽しんだものです。小田急線とは明らかに雰囲気が違うことは感じていました。中央林間駅の地下ホームで折り返し運転の準備としてブレーキテストを行うときのブレーキ音,地下ホーム特有の響くアナウンス,東急8500特有の「爆音」なモーター音,どれを取っても子供心に新鮮でした。
祖父母に会える喜びと小田急以外の電車に乗れる楽しさが重なって,嬉しさが倍増しました。
乗車以外にも列車を見ることで楽しんだこともありました。
祖父に連れられて床屋さんへ行ったときは,南町田駅近くで走り行く東急8500系や営団8000系を見て帰ったものです。幼稚園~小学生の頃は「列車に乗る」,或いは「列車を見る」という「非日常」を楽しんでいたのだと思います。
2003年3月に営団地下鉄半蔵門線は押上まで延伸し,それと同時に「水天宮前行き」という行先が見られなくなりました。その一方で,「東武動物公園行き」,「南栗橋行き」といった埼玉県内まで走る列車が誕生し,東急8500系もそのような運用に就くことになりました。
したがって,埼玉県内を走る東武線の列車として「長津田行き」や「中央林間行き」を見られるようになりました。
ここで,東武線直通の運用に入った東急8500系の画像を提示させていただきます。
2003年3月以降,東急8500系は中央林間から東武日光線の南栗橋まで約98キロに及ぶ長距離運用に就き,その活躍する範囲を広げました。2006年3月からは東武伊勢崎線の久喜にも乗り入れて,直通列車の本数が倍増しました。
ここまで提示してきた東武線内撮影の画像は『鉄道むすめ』の「栗橋みなみ」の聖地・栗橋,『らき☆すた』の聖地・鷲宮へ行ったとき,鬼怒川・会津方面へ旅行した時などに撮影したものです。撮影場所は曳舟駅,南栗橋駅,東武動物公園駅,久喜駅です。
私は「葬式鉄」と言われるような引退直前の運行に押しかけることはせず,今まで色々な場面で乗車出来たことに感謝して,静かに勇退の時を迎えたいと思います。