久々にブログを書いてみます。

世の中は、COVIT19で嫌な雰囲気が漂っていますね。

1906年生まれの祖母に生前に聞いた、1918年の所謂スペイン風邪の話です。

1918年にかなりの死者が出た後、1919年1920年にも東京ではかなりの死者が出たということでした。

今回のCOVIT19も同じように今後2年くらいは人が死んでいくのでしょうか。

コロナにたいして、私の周りの人は大別して、3つに分けられるように思います。

①まったく普段と同じ行動をしている人。②通常の生活を我慢している人。③通常の生活を出来なくなった人。

例えばスーパーマーケットには①②③すべての人が行かなければならないのです。

そこで①②③が混じり合うと、ストレスが大きくなるようです。

コロナよりも精神的なストレスが大きな社会的不和をもたらしていると感じます。

 

今日の時計は昭和20年代の、ボンボン時計2点です。

左は、日本が独立国でなかった時代の時計です。

右が、昭和27年頃の製造品です。

 

左の時計は終戦後米国に占領されていた時の製造品です。

文字盤を見て下さい。

文字盤の商標は地球の上に馬が乗っています。これは尾張時計製造株式会社の製造品です。

尾張時計製造合資会社は1896年(明治29)2月愛知県那古野村に今井藤吉が設立。

1904年(明治37)7月三輪嘉兵衛によって、名古屋市下笹島町で株式会社となりました。

写真右に MADE IN OCCUPIED JAPAN の刻字があります。それによって時代が分かります。

時計の造りは明治大正のものとほとんど違いはありません。

 

この時計は、昭和27年頃の愛知時計の製造品です。

当時は物資か少なくて少ない材料で時計を作る事を愛知時計は考えていたのではと推測しています。

時計のケースに比べて器械が小さいことが分かると思います。

小さく小さく設計したため、アンクル竿・振り竿・撞木・巻鈴などを前後に曲げながら無理やり組み込んでいます。

時計の輪列は素晴らしい設計です。愛知時計の高木師が設計した時計です。

ゼンマイも通常のボンボン時計に比べて薄く弱くできています。弱いゼンマイで動くということは設計に無駄がないことを表しています。ただ、小さい時計の中に機構を組み込んでいるため、分解してホゾ・軸の仕上をすることに細心の注意が必要なのです。少しでもロスがあると動かないのです。また、器械が小さいので時計の部品を分解して仕上げた後の組み上げが難しいのです。時計の器械は一般的には小さいほうが難しいのです。腕時計でも男性用よりも女性用のほうが難しいのです。

時計の力が弱いため、修理には普通のボンボン時計の倍くらいの注意が必要なのです。組み上げた後も、上記アンクル竿・振り竿・撞木・巻鈴などが触れ合わないように取り付けるのが困難です。

この素晴らしい設計の時計も、昭和30年位には本打ち式の柱時計の登場により、製造されなくなりました。

 

戦後になってからのボンボン時計柱時計の設計は、愛知時計のゼンマイは弱く薄く小さく、精工は強く厚く大きくと方向性が分かれてきました。この時代以後の30日巻のゼンマイを比べると愛知は弱く精工は強いもの使っています。したがって精工のほうが止まりにくいのです。但し愛知時計のほうが力が弱いため輪列に掛かる負荷が小さく擦り減りが少ないのです。精工舎の時計は力ずくで動かしているため、摩擦による擦り減りが激しいのです。

 

次は明治時代の八角ボンボン時計のの事をお話しします。

ありがとうございました。