東海時計サービス社、代表の井上です。
久々に、ブログを書きます。
近況は、コロナが蔓延して厳しい世の中になっています。
最近は自粛自粛でつらい日々を送っていますが、私個人としては接触する人の数を95%くらい減らしていると思います。
ほぼほぼ、引き籠り状態です。
さてと、クロックの修理依頼はコロナ前と今とほとんど変わっていません。ありがたいことです。
ただ、ウオッチについては激減しています。4/11㈯の電池交換ご依頼のお客様は3人だけでした。
東海時計サービス社は愛知県の自粛の対象ではありませんので、通常通り営業しています。
今回修理したボンボン時計の顔写真と器械の写真です。
米国ウェルチ社の1872年~1880年くらいのボンボン時計です。
ウェルチ社は1864年から1903年にボンボン時計を製造していました。
右側の器械の写真を見て下さい。ねじ・スクリューが無いのです。すべてピン・楔が使われています。
日本の暦は1872年の改暦以前は、旧暦(太陰暦)の為、日の出~日の入りまでを6等分した暦を使っていたため、冬と夏では時間の長さが違うため均等に時刻が進むボンボン時計は使用できなかったのです。
したがって日本に輸入されたのはおそらく1872年以降だと推測できます。
そして1880年ころになると、ネジというものが使われ始めたのでこの時計は1872年から1880年くらいにアメリカから輸入されたのだと推測するのです。
錆と擦り減りがひどくて、修理は困難でしたが無事修理完了しました。
この時計は水野時計製造所の1908年から1910年の製造品です。
水野時計は1908年に名古屋の城番町(現在の名古屋市東区筒井の辺りだと思います)の時計製造会社です。
1910年になるとトレードマークの矢の羽の部分が小さいものに変わります。
写真右、そのため1908年から1910年の製造品と断定できるのです。
次の仕事は、一宮のお客様からのホールクロックです。
それが終わると、セイコーの21日巻、愛知時計30日巻、愛工舎30日巻、愛知時計60日巻と色々な柱時計の修理です。
これだけ、戦後の柱時計が続くことが珍しいので顔と器械の写真をお見せします。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願い致します。