贖いの日々 | 東海コーティングのブログ

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昨日、愛知県の自動車事故の多さに、元請様から注意喚起として送られてきた

手記を転記します。事故は悲しいです。

 

【無責任な運転で…】

私は取り返しのつかない罪を犯しました。ひとりの尊い命を奪うという交通犯罪を起こしました。

ある年の冬の午前6時30分ころ、当時22歳の私は普段から走り慣れていた片側1車線の道路を走行していました。

この日は会社の社長と一緒に現場へ向かう予定でした。すごく寒い日だったので、早く社長宅へ行き、乗り換える作業車を暖めて待っていようと考え、前方の先行車両を追い越そうとしたのが事故のきっかけです。
 

私は信号が青に変わるのと同時に、対向車線に進入し、先行車両を追い越しました。その後もすぐに自車線へ戻らずそのまま対向車線を走れば、この先の緩やかなカープで自然と自車線へ戻れると考え、さらにアクセルを踏み込みました。

時間が気になり車内の時計へ目を移した瞬間、「ドン!」と大きな音ともにフロントガラスが割れ、エアバツグが作動したので、何かに衝突したと分かりました。確認するため、外へ出たところ、自分の車が道路の真ん中でぐちゃぐちゃになり、停車していましたが、前方には衝突したであろう、相手が見当たりませんでした。周囲を確認したところ、後方に原動機付自転車が倒れており、この時初めて被害者がいる、大変なことをしてしまったと思いました。被害者の方を捜したところ、近くの路肩に倒れていました。すぐに被害者の方のところへ行き、「大丈夫ですか」と声を掛けました。しかし、反応はありませんでした。私はポケットに入れてあった携帯電話を取り出し警察と消防へ通報し、私の家族にも事故の連絡をしました。その後、救急車と警察が来ると、被害者の方は病院へ連ばれました。 

 

私自身は怪我もなく、その場で警察の方から事億聴取されました。私の家族も事故現場へ駆けつけてくれましたが、私はその場で現行犯逮捕され、泣き崩れる母親の姿を前にパトカーヘ乗り、警察署へ行きました。取調べを受けて分かったことは、私が先行車両を追い越すのに出した速度が100キロを超えていたこと、衝突時は97キロという速度だったことです。制限速度が40キロの道路であり、2倍以上の速度でした。取調べが終わると同時に「相手の方は亡くなった」と聞かされ、頭の中が真っ白になるとともに、「自分は取り返しのつかないことをした」と申し訳なくて、泣くことしかできませんでした。その後、私は在宅起訴となり、御遣族のところへ謝罪に伺いましたが、「今はあなたに会いたくない。手紙なら受け取ります。」との御意向でしたので、謝罪の手紙を送りましたが、お返事はいただけませんでした。お通夜にも私は参列できず、私の代わりに両親が参列し、謝罪してくれました。
 

それから1年後、裁判の日がやってきました。法廷へ入ると、御遺族の方々が遣影を持ち、傍聴席に座られていました。裁判の終わりに「あなたを同じ目に遭わせてやりたい、人殺し」と言われました。その時、私は初めて直接頭を下げ、謝罪をしましたが、聞いていただけませんでした。私は過失運転致死傷罪で懲役2年10月の判決を受け、現在市原刑務所で受刑生活を送っています。服役中、御遺族の方との示談が成立しました。しかし、示談が成立してもこの事故が解決した訳ではありません。日々、自分自身と向き合い、後悔と、反省を繰り返し、どう償い、謝罪すればよいか、犯した罪の重大さを考えています。これから先、どのように御遺族の方々と向き合っていかなければならないかを考え、残りの受刑生活を送って行こうと思っています。私が謝罪、償いを続けても御遺族の方々の生活が元通りに戻る訳ではありません。謝罪をし、許して欲しいという訳ではありません。私には謝罪をすることでしか気持ちを伝えることができません。誠意が通じたから終わりだと思っている訳でもありません。あの事故から3年が経ちますが、1日も忘れたことはありません。私の手で人の命を奪ってしまったことを忘れるはずがありません。私が犯した罪の重大さ、命の尊さを真剣に考え、過ちを反省し出所後心の底から謝罪をしたいと思っています。刑期を終えてからが本当の意味での償いだと私は考えています。事故を起こしたことで、自分ひとりで生きている訳ではなく、大切な家族がいるということを実感しました。こんな私の帰りを待っていてくれる家族も被害者のひとりだと私は思います。

 


(注X一財)東京交通安全協会発行「願いの日々」
―交通事故はもうたくさん―
から転載したものです。