●今日、8月15日、
毎年取り上げられる戦争体験の継承の大切さを考えます。
苦しかった生活、怖かった空襲、それらのつらかった体験を伝える
こと、語り継ぐことには大きな意味があります。
戦場で非人間的な体験をした、空襲でひどい目に遭った、食べ物がなくていつも空腹だった、家族が戦死した、などは悲惨な体験で、
そういう被害体験は、厭戦感情を刺激して有効です。
●でも、なにを伝えるか、で、あまり触れられていないことがあります。
それは加害者としての戦争責任です。
●なぜ無謀な戦争に突入したのか、
アジア各地で日本軍はどんなひどいことをしたのか、
なぜみんな止められなかったのか、
国民はみんなだまされていただけなのか、
というセンシティブな点はテレビなどではあまり触れられません。
でも、実はそこが肝心だと思うのです。
まともな歴史認識がぐちゃぐちゃにされそうな今、
日本の加害責任に向きあうことこそが肝心です。
平和は大切だと祈ることは貴重ですが、それだけではなく、
歴史事実を正確に認識して
論理的に判断する理性と知性を鍛えないと。
●昨今の雰囲気からは、
平和のために、日本を守るために、
という言葉に簡単に乗っておかしな方向へ行ってしまいそうな
思想基盤の脆弱さを感じてなりません。
参政党議員やその支持者など、
戦争の非人間性を想像できない人たち、
歴史の勉強をおろそかにしてきた人たちが、
あの戦争は正しかったと言わんばかりに改憲を主張します。
軍備を増強したい、戦争に抵抗のない人たちが、
どんどん増えてきているように実感します。
この人たちはどんな世の中が理想なんだろう、と不思議に思います。
自民党公明党はもちろん、
参院選で得票が伸びた参政党、国民民主党、日本保守党などは、
戦争に対する倫理観と想像力を喪失してはいないでしょうか。
それはまさしく、その党に投票した人のもつ意識でしょう。
●昨今の世の中の動きを見ていると、
人権意識の希薄化と比例して
戦争に対する忌避感の希薄化を強く感じます。
戦争になっても自分だけは例外的に大丈夫という、
根拠のない自信を背景に、
好き勝手に世論を荒らす匿名の人たちが、
級数的に増えているように思うのです。
日本は国家としてちゃんと戦争を反省していませんから。
国民も反省する機会を与えられませんでしたから。
戦争責任を深く反省したはずの諸外国でも、
極右が伸びていることを見れば、
わが国民の危ない状況がしぼむだろうと楽観的には思えません。
●戦争に対する忌避感が薄い人は人権に対する関心も薄く、
戦前戦中に威張っていた近所のオヤジをほうふつとさせます。
こういうマッチョで嫌な奴がたくさん復活しそうな予感があります。
戦前戦中は、国家からの圧力だけでなく、
権力におもねった近所のバカが威張っていた時代です。
こんなバカが威張る世の中はいやだ、絶対住みにくい。
そこから、実感としての戦争を知っていくのが
一つの有効な方法であるように思います。 ◢