■劇作家の石原燃氏は
「理解なき多数者から軽んじられる人権 もううんざりだ」
と語りました。 (20 23年1月6日 朝日新聞)
〈 マイノリティ(少数者) の人権は、
マジョリティ(多数者) の理解がどうあれ、
実現されなくてはならないことなのに、
人権ってなんかうさん臭いという偏見のなかで、
多数決に勝つことを求められるのは、もううんざりだ。〉 と。
■人権はうさん臭いものと思われているのでしょうか。
そのようです。
書店では、人権を軽んじて権力者の横暴をたたえる本が、
それを批判する本よりたくさん売れているようです。
売れるからには、世の中に人権を軽んじる人がたくさんいる
ということでしょう。
■そんな中では、少数者は多数決の勝負で勝て という困難を
多数者から求められ、
「民主主義とは多数決だ」 「数が正義だ」 という誤解が幅をきかせます。
■では、原発再稼働は多数決になじむのでしょうか。
少数者である「避難弱者」の人権、生存権は、
広域避難計画では軽視されていて、
この構図は石原燃氏の憂いと根っこが同じです。
■不完全な避難計画でもよしとされるのは、
「できるだけ多くが逃げられることが大切だが、
完璧な計画などないから、
中には逃げられない人が出たとしても仕方がない」
ということです。
逃げられない人の運命、生存権、人権を、
たとえば議会の多数決や一部の声を聞いただけの首長の判断で
左右するのでしょうか。
再稼働は多数決で決めること? 違います。
■ 〈個人の尊厳を害して著しい不利益を与えること〉 は、
多数決で決めてはいけません。
人権は、 多数決で決めるものではなく、
生まれながら誰でも持つ権利で、憲法でも保障されています。
■少数者の抱える問題を、
当事者に関わりのない人が決めてしまうのは、
倫理・ 社会正義に反します。
少なくとも「避難弱者」が避難できない状況にある以上、
再稼働を認める正当な理由はありません。
その意味でも私は再稼働に反対です。
でも、それがなかなか理解されないばかりか、
ひどいことに 政治権力は、
それを理解できない人たちで構成されています。
そういう人が多数決で選ばれている、という皮肉。
■もう一つ、県民投票という手段について。
県民の意思による多数決で決める、という方法が現実的だ
と言われます。
ただ、多くの県議が県民投票にかたくなに反対するホンネは、
再稼働反対の結果が出ては困る、 ということでしょう。
■再稼働の是非判断については、
直接の利害関係者である住民がないがしろにされたまま、
人権を理解する気のない首長や議員たちに
決定権を与えるわけにはいきません。
※ 以上の文章は 「浜ぼうふう」90号に載せたものです。
(2025年5月28日ごろ新聞折込で配布)