■自治会や町内会という組織が、全国的に厳しい状況にある。

学校のPTAと同じく、制度疲労なんだって。

だからといって、なんとか会員を維持しようとして 「自治会に入らないとゴミを出させない、自治会を抜けたらゴミを出させない」 と無茶な「(おきて)」で縛れば、なおさら嫌気がさしてみんな抜けたくなる。

強制による組織は続かないもの。

抜けるのは悪で、入っているのは善だ、と主観的に思っても、人々の心は「自治会に入るメリットがない」で終わってしまう。

たしかに、自治会に入っていて何かいいことがあるのか、ゴミ出し権で縛られているだけではないか、という意見は間違っていない。

 

ただ、人のつながりというのは効率や損得だけではない。

地域の問題は行政や自治会が自動的に解決してくれると考えるとしたら、それもどうかと思う。

自治会役員は、後継者を見つけにくい逆風の中、頑張っている。

 

■かつて地域のつながりは、相互扶助(ふじょ)で成り立っていた。

祭りや葬式は地域が手伝うのが当然だと考えられていた。

でも、その大半は、ともすれば地域の女性の実質的に強制された犠牲の上に成り立っていて、そういうのが通用する時代でなくなれば、おのずと祭りや葬式の手伝いもなくなっていくだろう。

身内だけの「家族葬」が広まっているのも、そういう時に女性ばかりが

忙しく「こき使われ」ることに対する「嫌気(いやけ)」も要因の一つじゃないか。

男は酒を飲んで騒ぎ、女は台所でせわしなく働く。

これは女にとって楽しいこと?  うそだね、楽しいわけがあるか。

男の意識が変わり始めたことは地域再生のヒントの一つかもしれない。

 

■それでも、自治会が以前の形を保つのはもう無理ではないか。

人々のつながりが希薄化して地域が大切だと思われなくなっている上に、実際に生活のゆとりもなくなっている。

未来に希望を持てた昭和の貧しさとは異なり、今の日本は未来に希望を見(いだ)しにくい貧しさの中にあるんだから。

現政権やその支持者は頭が固いから時代の変化についていけず、有効な策を考えることもできない。

言ってしまえば、被災地支援も子ども食堂も民間頼みで公助は言葉だけ。 人々の活動は自助共助を奨励され、いわば国家に搾取(さくしゅ)され続けている。 なぜか。 そんな人を選挙で選ぶからだ。

その自業自得(じごうじとく)の悪循環を断ち切れば、時間はかかるけど、よくなって

いくと思う。

 

■自治会は大切だし、やっぱり必要だと思う。 だから、時代に合った

ものに柔軟に制度を作り変えないと。

それには大前提として、地域住民が楽しめること。 苦役でないこと。

そのうえで自主的な社会参加、もっと言えば自律的な政治参加の姿勢を持つことがどうしても必要。 しかし、これがとにかく困難。

 

政治に関心を持つな、市民としての社会活動に参加するな、社会的自発性を出すな、と国家からずっと(しつ)けられてきたからね。

つまり自立した市民って何なのか、だれも教えてくれなくなった。

(デモやストは悪だと洗脳されてもいるし。他国なら大規模デモになる

出来事でも、日本人は異様におとなしい。)

「自治会」の再生は、地元を愛する「郷土愛」とは別に、地域自治の大切さやその価値に私たちが自分で気づくことからようやく始まるんじゃないかと思う。

でも、それは意識の変革だから、即効性はない。