東海村の駅東口に、JAEA(日本原子力研究開発機構)から村が買い取った「産業情報プラザ」(通称アイヴィル)がある。

実は、ここには25か所の監視カメラがあって、通路などの映像が管理室に流されている。

それどころか各会議室まで無断で監視しているということを知った。

音声はないが、机などが壊されたりしないかを監視しているという。

どんな会議をしているのか見張られているとは、これまで会議室を使用していて全く知らなかった。

監視カメラがあるという張り紙で知らせているという。

でも、会議中の室内まで監視されているとは誰が想像するだろう。

明らかにやりすぎだ。

たまたま先日の予算委員会でこの事実を知った。

 

今の時代に、こんな覗きをなぜ続けているのか。

おそらくJAEAが設置したものを村はナイーブに何の疑問もなく、継続使用していたのだろう。

会議室の監視カメラははずすように厳重に抗議した。

 

防犯カメラと言えば聞こえはいいが、「監視」カメラだ。

監視するためのカメラなのだから、人をはじめから犯罪者扱いしているようで気味が悪い。

 

プライバシーが丸裸になる現代、設置には慎重さが必要なもの。

あって何が悪いという意見もあり、たしかに犯罪の解決に力を発揮する部分はある。 それでもやたらにつければいいというものではない。

 

マイナカードが危ないのは、個人情報を国家が管理するという意味を持つからであって、それと同じように、監視カメラに象徴される管理社会、監視社会というものは、どんどん生活を息苦しくさせていくもので、

私たちはそこに健康な感受性を働かせたい。

悪いことをしなければ別に問題はないだろうという考え方は、 管理社会、監視社会の負の部分を見ていない。 

個人が管理されていくというのはディストピアそのもの。

そういう社会のなれの果てがどうなるかは、 SF小説や映画などで昔から警告され続けているではないか。

緊急事態条項だって土地規制法だって、別に悪いことをしなければ自分に影響はない、と考える人もいるが、影響がないと考えるのは楽観的に過ぎるのではないか。 管理社会の毒に取り込まれすぎていないか。

個人が自由に生きるという、最も根源的な価値を理解しないのではないか。

社会が加速度的に危うい方向に進んでいる、と私は危惧している。