今年1年間誰よりも点を取ってくれたOFリーダーの拓から回ってきた引退ブログを書く時がきてしまいました。
今年度DFリーダーと副主将を務めさせていただいた普久原 翔太です。
まず初めに、平素よりご支援、ご声援をいただいている皆様に、この場を借りて心より感謝申し上げます。今後とも変わらぬ応援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
また今シーズン目標に掲げていた未来につながる一部奪還を成し遂げられず、申し訳ございません。
来年の26'Sceptersが一部奪還をしてくれて
本気で日本一を目指せる環境が作られることを
期待しています。
正直何をこのブログに書けば良いのかわからない
他大のブログを読んだり、一部にあげたやすさん達の代のブログを読んだりしても
何が正解なのかわからない
だからとりあえず2年生からの日々と最後の1年間何を思っていたか
ぐちゃぐちゃだし、かなりキツい言い方になるかもしれないけれど書くことにした。
1年生の時の振り返りがなんでないか気になった人は適当に三輪にでも聞いてみてください。
2年生の時の自分
本当に嫌いだ
情けない
ダサすぎる
これに限る
努力できない、考えることもしない
ただやってる風なだけ
本当に多くの人に迷惑をかけた
謝罪することはかなり苦手だから
このブログを読んでいるのかわからないけれど、ここで謝らせてください
ラクロス部に居場所を作ってくれ、ロングの扱いも1年生の時から教えてくれたのに
恩を仇で返す形になってしまった翼さん
3年生ながらプレーでチームを引っ張り
居なくなってから存在の大きさに気づかされた
真平さん
自分からお願いしてまたラクロスをやらせてもらっていたのに
何も力になれずにすみませんでした。
あんなにも上手い2人と一緒に練習できる日々の時間を無駄にしてしまった
今だからこそ余計にもったいないと思う
後悔ばかりの人生だが
特に大きな後悔の一つだ
そして気づいたら3年生になっていた
最初の方は2年生の時と対して変わっていなかった
多少壁当てに行く頻度が増えたり、ビデオ見する回数が増えたけど
それでもチームを引っ張っていくのは4年生達だったし
俺はただそれについていくだけだった
でもそれじゃダメだった
変わるきっかけが起きたのは
真平さんが居なくなったことだ
今までのディフェンス組織は本当にあの人1人で作って動かしていたようなものだった
そんな人が居なくなればもちろんディフェンスは弱くなる
それでもやまそーさん、岳さん、託さん達の4年生達が諦めるのではなく
必死に変わろうとしてる姿を見せていた
だからこそ、俺もここで変わらないと、ここでチームを引っ張る存在にならないと
今年だけじゃなくて、来年も何もできずにラクロス人生終わることになるって思った
そこからはひたすら行動する量を増やした
壁当てに行くこと、ビデオ見すること、ジムに行くことは大前提
チームの練習でも率先して反省を出したり、他者に求めたりするようになっていった
それでも結果的には入れ替え戦にいけなかった
当然だ
変わるには遅すぎた
千葉大戦が終わった後やまそーさんが話してる中いろんな奴らが泣いてたし、4年生も死んだような顔してた
自分に対して、チームに対し、結果に対して
不甲斐なさ、憤りを感じた
東洋戦が終わった後も
試合に勝利できたことに対する喜びと、
4年生ともう一緒にラクロスできない事に対する、悲しさで泣いたが
それと同時に来年一部で戦えない事を感じて、なんとも言えない気持ちになった。
だからこそ同じ思いをする者が
この東海大学男子ラクロス部にいないように本気で一部昇格を成し遂げる必要があると感じた。
そしてついに4年生になった
この1年間常に感じてたことは
孤独と苛立ち
これが多かった
代が変わったばっかの時にやまそーさんが練習に来た時に育成とか組織のことを考えすぎて、なかなか自分のプレーに集中できないと相談した。
その時やまそーさんは3年生にもっと頼って良いと言ってくれた。
頼ろうとしたこともあったが信頼できなかった。
スキルアップあげない、寝坊する、ジムもまともにいかない
それが一回じゃなく、何回も
逆にどうやってそんな奴らに頼るのか
だからDF幹部とかは作ってたけど、あまり頼るつもりはなかった
それが正解だと思ったから
でもそれって自己中だったなと思う。
諦めることは簡単
信じ続けることの方が何倍も難しいのだから。
過ちを許し、信じるべきだった。
選手に対して、スタッフに対して、チーム全体に対して、自分に対して
本気で一部目指しててそのレベル?って思うことも多かった。
パスが下手なのに壁当てもいかない、フィジカルのレベルも低いのにジムにもいかない、オフボール上手く無いのに毎日あげるビデオの切り抜きが抽象的すぎる、一個一個のメニューの反省で全く反省をあげない3年生
選手だけでもあげたらキリがない
1日に何回も今日のポジ別はなんですか?って聞いてくるマネージャー、フットワークの時にまともに指示が出せない、俺の方がウエイトの知識があるトレーナー、月間の集計が1ヶ月以上遅れて上がる、画角の外でGBが起きてるAS
スタッフ陣もグラウンド外の仕事頑張ってくれてる人がいるのはわかるけど、そのサポート、準備で選手は全神経を練習に向けられる環境作れてると思ってる?
自分がなんでこの部活にいるのか、どうやって必要とされるか自分で考えてみな。
スタッフに限らず選手も。
言いたくないことを言うことも多かった1年間だった。
それでも誰かがやらなきゃチームは良くならない
当たり前の基準が低いのだから
プレーだけでなく、組織の在り方も一部にふさわしい組織を作り上げるために変えようとした。
それでも結局一部にいけてないから何かが足りなかったんだろうなってつくづく思う。
4年生のDFが1人だから?
そんなのはただの言い訳。
ファイナル4の時のノジ、松田一輝の姿が俺のあるべき姿だったんだと試合を見て思わされた。
たとえ1人であったとしてもチームを勝たせられるような人間になっていなきゃいけなかった。
来年の一部で戦う機会を俺の力不足で奪ってしまったのだ。
ごめんとしか言えない。
それでもこの1年間はかけがえのない時間だったと思う。
これだけはなんの疑いもない。
人として、ラクロスプレイヤーとして大きく変われた。
このラクロス部という環境は
人が変わるには十分すぎるくらいの環境が揃っている。
それを当たり前だと思わないこと。
託さん
今年Gコーチをしていただきありがとうございました。
飯奢ってくれたり、コンビニ寄った時に飲み物買ってくれたりする人としての優しさは見習わないとって思ってました。
でもコーチとしてはもっとよしゆきとヒロトを伸ばして欲しかった。
嫌われるような厳しい言葉ばかりを投げかけるのがコーチではないと思うけれど、もっと厳しくしてもよかったんじゃないか?って見てて思った。
来年もコーチをやるのなら彼らのフィールド能力をもっと伸ばしてください。
翼さん
今年1年間コーチをやってくれてありがとうございました。
なかなかコーチが決まらないところから始まった今シーズン。
選手もやってる中でチームにコミットできないと悩んでいた翼さんに対してそれでもDFコーチとして見てほしいと話して、6号館で正式にコーチをやると決まったあの日が懐かしいですね。
1人では間違いなく戦い抜けなかったと思います。
翼さんがいたから、人として変われた。
翼さんと一部に上がることが日々の壁当て、ジム、練習をする原動力の一つでした。
結果的には恩返しできたと言えるような結果ではなかったけれど、今年1年間翼さんとこのDFを作り上げられてよかったです。
ありがとうございました。
汰一さん
今年1年間誰よりもラクロスの話をしたと思います。
まじで汰一さんが代表候補になったことが俺のラクロス人生を大きく変えたと勝手に思ってます。
いろんなビデオ見とかしてもなかなか引き出しが増やせない中で、汰一さんが代表練でやったこと、ファルの練習で意識していることを俺に落とし込んでくれたから、日々の練習がめちゃくちゃ楽しかったです。
多分汰一さんがいなかったら三強でラクロスやろうと思うこともなかったし、スカでもキーマンって毎試合書かれるレベルにはなれてなかったと思います。
社会人ラクロスで戦えるの楽しみにしてます。
最後に同期へ
一度部活を辞めたのに俺の居場所を作ってくれてありがとう。
お前らが同期で良かったと思う。
人数は少なかったけど、だからこそ負けたくないと思えた。
体が多少しんどくても多分あいつらは壁当て行ったり、ジム行ってるなって思うと、自然と壁当てに向かってたり、ジムに向かってる日々だった。
今年の東海はOFが強いチーム、オフェンスのおかげで勝ってる、そんな話が聞こえてくるたびに拓、そうちゃんに負けたくない、もっと上手く、強くならなきゃいけないと思えた。
勝手にライバル視してたけど、試合の時にはお前らが誰よりも頼りになれる存在だった。
一緒にラクロスできる時間が楽しかった。
また社会人ラクロスで戦えることを楽しみにしてます。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
これで俺のブログは終わりです。
次は全治2年(自称)を3ヶ月くらいで治した虚言癖持ち、誇張癖有りの我らが主将の三輪です。



