メディアというフライパンの上で踊る私は、 不発のトウモロコシ

メディアというフライパンの上で踊る私は、 不発のトウモロコシ

小さな粒のトウモロコシのつぶやきです。
踊らされてるなら、とことんアホになってやる!!

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あれから一年経ちました。

私は普通に過ごしています。

いろんなかたに支えられて

感謝しながら生かされてます。


ただ…

朝起きたとき、

「あれは夢だったんじゃないか?」と

未だに思います。

でも、またテレビが掘り返します。

【風化させないように】とか、
【あれを教訓にするために】とか。

『津波の映像が流れます。
 お子さんたちは気分が悪くなったり
 する事が考えられるので、
 視聴には充分気をつけてご覧ください』

というのは、どういう意味だろう。

テレビは目的があって放送するのに、
’見たくない人は『見ない』という選択もある’

と、言われている様な気がする。

でも…

テレビを消したら、本来の目的が相手に伝わらないのではないか?


これは矛盾ではないのか?


報道は純粋に“忘れない記憶”の擦り込みだけが目的なんだろうか…

視聴率なんて関係なく、ほんとに?


私はいい加減、大人だが
気分も悪くなるし、情緒不安定にもなる。

ここ連日、あの日の事をテレビはしきりに
放送しているが、私の気持ちは落ち着かない。

ストレスが原因で自傷行為をする人がいるが
私の場合はゲームなのだ。

目が疲れて頭が痛くなって、
思考が緩慢になるまでゲームにふける。

気持ちが悪くなるほど、やる時もある。

そんな自分が嫌なのに、そうしていないと落ち着かないのだ。


時計の回る速度はあの日と変わらず過ぎていく。

忘れていけないのは分かっているが、
どうしてもこういう伝え方が大切なのか
私には理解できない。