『鏡王女物語』 (九) 鏡王の死と日本の敗戦ー3
『鏡王女物語』 (九) 鏡王の死と日本(ひのもと)の敗戦ー3
これも、コッジャが噂を集めてきました。
百済の義慈王様の熊津(ゆうしん 注912)城が新羅兵に破られたときに、沢山の百済の官女が、新羅兵に凌辱(りょうじょく 注913)されるよりも、城裏の錦江(きんこう 注914)へ跳んだそうです。
この話は前にお話ししましたね。
その先頭には額田女房ではないか、と思われる日本人の女が先頭に立って
「義慈王様万歳」と叫んで跳んだそうです。
新羅の軍兵(ぐんぴょう)は、官女たちが自分たちのものにならなかったのに腹をたて、老若男女を問わず、殺戮(さつりく 注915)の限りを尽くしたそうです。その官女達が身を投げた岩頭を、新羅兵たちは、「落花岩らっかがん (注916)」と名付けたそうです。
おそらく、新羅への恨みは、根深く国土の血となって、百済の人々には、癒されることは後世までないのではないでしょうか。花子コッジャの知り合いも随分と亡くなったそうです。話を伝えながら、目を真っ赤にしていました。
そういう噂は額田王のところにも届いたようです。彼女は、それから物言わぬ女と化したそうです。大海人皇子も筑紫に行っきりで、向こうに屋敷を構えられているとか。今では、話相手もない様子です。
しかし、私が使いをやっても、使いに返事もくれなくなりました。大海人皇子の留守屋形を守る執事の話では、部屋の片隅に一日中こもりっきりの過ごし方になったそうです。十日ほど経って、執事が勧める粥もすすられず、丸で幽鬼のようになられ、皆が心配していましたが、一夜、誰も知らぬままに消え失せられた、とのことです。
あとに和歌が一首残されていたそうです。あの飛鳥で一番の和歌詠み人が、どなたにも判読できない歌を残されました。可愛い私の妹の心が、その歌のように、もう読み取ることが出来なくなっていること、別の世界に跳んでいることを知らされました。その歌は、
莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之
射立為兼 五可新何本(注917)
というものでした。
誇りも自尊心(じそんしん 注918)も高かった、ぬか姫でした。彼女が、今の世の中には判ってもらえない歌を残したこと自体が、彼女の気持なのでしょう。
(つづく)
(注912)熊津(ゆうしん) 百済の古都で西暦475年から538年まで都でした。現在の公州市。日本書紀雄略紀には「久麻那利」と出ています。
(注913)凌辱(りょうじょく) 人をはずかしめること。女性を力ずくではずかしめること。
(注914)錦江(きんこう) 韓国中西部の川。白村江とも呼ばれました。鹿児島湾は錦江湾と呼ばれますが、この錦江とは関係ありません。
(注915)殺戮(さつりく) むごたらしく多くの人を殺すこと。
(注916)落花岩 (らくかがん) 百済が唐・新羅との連合軍に敗れたとき、百済最後の都、扶余の官女3000人が身を投げたという伝説がある大きな岩場で名所となっています。
落花岩 ノリキオ画
(注917)莫囂圓隣之 の歌 この和歌は、万葉集巻一第九番に、額田王が紀の温泉に行った時の歌、と記されていますが、今まで解読されていない歌として有名です。
(注918)自尊心(じそんしん) 自分の人格を保とうとする気持ち。プライド。