『鏡王女物語』(八) 鏡王女 母となるー4 | 十勝村梨実のブログ 

『鏡王女物語』(八) 鏡王女 母となるー4

『鏡王女物語』(八) 鏡王女 母になるー4


 二日ほどして、寶女王名代(みょうだい)として中大兄皇子がお見舞いに見えました。お付きの人を入れたら五十人位の、大かかりの行列でした。思いがけなくも鎌足どのも一緒に見えられました。

 中大兄皇子は定恵(じょうえ)を引見されて、「噂で聞いていたが、このように幼い子が、文字を既にほとんど覚えているというのは驚きだ。このような賢い子であれば、すぐにでも向こうの言葉も覚えるであろう。きっと役に立つ学問僧となろう」、と、びっくりするようなことをおっしゃいました。

 皇子のお話では、日の本の遣唐使船は、幸山大君の意見で中止とされたそうです。それを聞かれた中大兄皇子が、「大和はまだ遅れているので、こちらの責任で舟を調達して大唐に行かせたいので、お許しねがいたい」と、お願いしたところ、幸山大君も、今は大和の頼みを無碍(むげ 注830)には断れないからと、しぶしぶながら許可されたそうです。


 その夜、しみじみと定恵の寝顔を眺めていましたら、鎌足どのが寝間にはいって来られました。この子がいなくなる、と思うと淋しくなります、と申し上げましたら、すまぬ、このわしが何もしてやられず、と抱きしめてくださいました。

 

 もう私も、中老(ちゅうろう 注831)とでも言う二十七歳です。もう殿方のお肌に触れることはないもの、と思っていましたので、すっかり上せたような気持ちになりました。どなたかにすがりつきたいような気持のところにお見えになり、はしたなくも私の方からおすがり申し上げてしまいました。


 御笠の都近くでお父上の肩車で裾をはだけた恥ずかしいところを見られたことから始まって、大君の居間で墨を摺っていたときに声をかけられたときの驚きなどが走馬灯のように頭を駆け巡り、そなたが元から好きだった、と囁(ささ)かれて体が燃えた感じがして思わず声を上げてしまったようです。鎌足どのは、なにもたしなめられず、又強く抱きしめてくださいました。

 このとき二人目の子、明日香姫が宿ってくれました。 鎌足どのによって再び生きる気持ちを授けていただいたように思います。山城へはそのまま帰らず、鎌足どののもとで過ごすことになりました。



 やがて定恵が学問僧の一員として唐へ旅たち、明日香姫が誕生しましても、落ち着いた気持ちで過ごすことができました。鎌足どのの大きなお心にすがって、女が幸せに生きる術を知らず知らずに学んでいたのでございましょう、短歌も再び浮かぶようになりました。

 けれどもう、額田王と張り合って歌を競う気持ちは失せていました。このころの歌で好きなのは、古里の吉野の川を思い浮かべて、鎌足どのの、大きく流れ静かに浸み行く愛、を詠んだ次の和歌です。


 み吉野の 樹の下隠(がく)り ゆく水の                


       われこそ益(ま)さめ 御思(みおもい)よりは (注832



 幸い父上も、中大兄皇子が遠国より到来の秘薬底野迦(テリアカ)を下さったのが良く効いて、床から離れることも出来るようになり、再び和歌選歌三昧(ざんまい 注833)をされ、穏やかに過ごされています。


     (つづく)


(注830)無碍 妨げのないこと


(注831)中老 この場合、大奥の女中で「老女」の次位の職にふさわしい年齢になったの意味。


(注832)み吉野の樹の下 の歌 この歌は、万葉集巻二第九二番の、天智天皇が鏡王女に賜ったとされる “妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを” の返歌として 鏡王女が返した歌として載っています。


その、“ 秋山の樹の下隠り逝く水のわれこそ益さめ御思よりは” を物語にあわせ一部変えました。


(注833)三昧 その事に熱中する、思うままに行う、こと。