『鏡王女物語』(四) 額田王と共にー1
第二十四回
『鏡王女物語』(四) 額田王と共にー1
それからの二年間ほどは大変でした。 額田の女房様のご房室(へや)の一間(ひとま)に、多賀と一緒に住まわせていただくことになりました。
額田(ぬかだ)姫とは一つ違いです。とっても人なつっこい女の子です。こちらは、ぬか姫と呼び、むこうはヤスコ姫と呼び、まるで姉妹みたいと御殿内でも有名になりました。
帯の締め方、髪の結い方、御殿の中の歩き方にはじまり、座り方、目上の方への挨拶の仕方、戸の開け閉め方、ものの言い方、女奴(はしため)への仕事の言いつけ方、手水(ちょうず 注401)の使い方、沢山のことを多賀から教わりました。
その合間に、額田の女房様から、ぬか姫と一緒に、もろこしの国の字を習います。字を習うだけでなく、硯(すずり)、墨(すみ)、筆などのご用具の手入れの仕方、仕舞(しま)い方、きちんとできるまで何度も何度もやり直しです。 そうしてやっと墨を摺ることを許されます。
その墨を摺(す)るときの作法も大変です。力を入れて音でも立てようものなら、もうその場で何もさせてもらえません。賢いぬか姫が得意になってすいすいと墨を摺るのをただ見ているだけ、これがとてもつらいのです。
おまけに墨を磨ると手が黒くなり、磨き粉や糠(ぬか)で洗ってもなかなか落ちません。ハゼの実で擦(こす)るとよく落ちるのですが、一度試してみて二の腕(注402)まで腫(は)れ上がりました。肌に合わないようです。
そんなこんなで、奥のご祐筆のお手伝いを許されるまでに二年以上かかりました。
お習字のお手本は、千字文(せんじもん 注403)というもろこしのご本から、女房様が木の薄板(うすいた)に抜書(ぬきが)きしたものでした。 まず、石の板に水で何度も何度も書き試しを繰り返します。一つの文字を何百回も繰り返し空で書けるようになって、初めて木の板に清書させていただけます。
父上から教わった字が殆どでしたので、私にとっては、これは問題ありませんでした。けれど、いつもお母様の女房様から、この字は何と読みますか?と私には聞かずに、自分が聞かれることが多い、ぬか姫が悔(くや)しそうにしています。
ある時、「ねえ母上、どうして、お手本の千字文には、十二支(じゅうにし)の字が入っていないのですか?」と、ぬか姫が聞きます。
「そんなことはありませんでしょう、ヤスコ姫はどうお思い?」と、こちらにお鉢が回ってきました。
「確かにぬか姫の仰るようになぜか十二支は殆ど入っていません。確か最初の方、四番目の句に辰(たつ)が入っているだけだったと思います。」
悔しそうな顔は見せませんでしたが、ぬか姫が「じゃあ、十二支のこの字は何と読みますの?教えて?」と、これは難しいだろうとばかりに、いたずらっぽい目をして聞きます。
石板に書いた字を見れば、十二支の三番目の字「寅(とら)」です。 お父様から以前、星座のことを教えてもらいながら、方向方位も教わっていましたので知っていました。
「トラと読んでいますけれど本字としては、インだったと思います。意味は確か敬うという意味。」と、答えましたら、「もう降参!やはりお姉さま!」と、平伏されたのにはびっくりでした。
「お習字」ノリキオ画
ぬか姫のことは、もう少しお話ししておかなければならないでしょう。
一言では言えない方でした。私には親切にしてくださいました。私の方が少しだけ先に生まれたのですが、姫の方が体は大きく活発で、御殿のしきたりもよく存じていましたので、自然私の方が反対に、妹分のようになっていきました。
ただ、和歌などのこととなると私の方がお父上から教わっていましたので、少しはませていましたが、ぬか姫は負けず嫌いで、おまけに賢いお子なので、お歌など一度聴いたらすぐ諳(そら)んじられます。
ある時など、次のように大君のお御製(ぎょせい)の替え歌なども作られ、大声で詠じたりして、額田女房様に、ひどく叱られたこともありました。
あおによし 加沙の都に たなびける
天の白雲 見れば飽かずも(注404)
ぬか姫のことをもう少し続けましょう。
室見川(むろみがわ 注405)のほとりの、額田(ぬかだ)というところから、大君様の御殿にお見えになったようです。背の君(せのきみ 注406)は、七年ほど前に新羅に大君のお使いに行って、事故にお遭(あ)いになられたそうです。若くて賢い額田の女房様の話しを聞かれた大君様が、乳飲み子だった姫ともども御笠にお招きになったそうです。
御殿の中で、女房たちが、「本当に姉妹のよう。賢いぬか田の姉姫さまに、可愛い鏡の妹姫さま」とささやいているのが聞こえたりもします。 私が、「いいえ違います。わたくしの方が姉さまです。だけれど、賢さも可愛さも妹に負けているけれど。」と再々教えてあげたりしました。
ぬか姫は本当に賢い方ですが、可愛いと云われる方がお好きのようでしたぬか姫は物知りでいろんなことを教えてくれます。
「安児姉さま、そんなことご存知でなかったの?」などいいながら、「昨日の表(おもて)からのお使者のお名前はOOだとか、あの女御(にょうご)さまと△△の女房様は閨(ねや)を一緒にしている。」などなどです。
眉(まゆ)のむだ毛の抜き方、眉の引き方、紅(べに)の差し方などについても、いろいろと教えてくれました。代わりにこちらからは、父上からいただいたカラ文字のお手本を見せながら、字の崩(くず)し書き方を教えて差し上げたりしました。
毎日毎日遊んでいて、ちっとも飽(あ)きないぬか姫でした。 松浦の白宮の小夜姫や遊び仲間のことも、最近は思い出すことも少なくなりました。それよりも夢の中までぬか姫が出てきて、幼い子供に戻って拳(けん)遊びをしていたりもします。前世(ぜんせ)からの姉妹なのかなあ、と思ったりもしました。
(つづく)
(注401) 手水(ちょうず) 神社 や寺院で、参拝前に手を清める水,便所の異称 「ちょうず」の名は「てみず」からの転訛 だそうです。
(注402) 二の腕 肩と肘の間の部分のことを言います。なぜ「二」の腕といわれるのか定説はないようです。
(注403) 千字文 子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩です。千個の異なった文字が使われています。 千字文は“天地玄黄”から“焉哉乎也”に至るまで、天文・地理・政治・経済・社会・歴史・倫理・森羅万象について述べている、四字を一句とする二百五十個の句からなっています。全て違った文字で、一字も重複していません。
(注404) あおによし加沙の都の歌 元歌は、万葉集巻十五、遣新羅使の旅の折に詠われた「古歌」として、第三六〇二 番に載せられています。“あおによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも”の、「奈良」を物語に合わせて「太宰府・御笠」に変えました。
(注405) 室見川 福岡市西部を流れ博多湾に注ぐ川。春先は「ヤナを使っての白魚取り漁」で有名です。上流は日向川といいます。流域には最古の王墓と言われる「吉武高木遺跡」があり、『魏志』「倭人伝」に出てくる「奴国」の可能性が高いと思われます。
(注406)背の君 背は「兄」、「夫」の意味で、背の君で敬称となります。