『鏡王女物語』(二)幼い日の思い出 -10 | 十勝村梨実のブログ 

『鏡王女物語』(二)幼い日の思い出 -10


第十四回


『鏡王女物語』(二)幼い日の思い出 -10

次の夜、白宮のおじさまが小夜姫(さよひめ)を連れて見えて、父上と豆太のおともらいの相談があっていました。
洩れ聞こえてくる声はこのようなことでした。

「流れ谷のお穴に納めるのが定めであろうけれど、この度はわがままを聞いていただきたい」 と、おじさまがおっしゃいます。
「家に伝わるお宝の佐嘉鉾(さかほこ 注230)をあの子が守ってくれました。せめて亡骸はわが家の塚に納めたい、それも火葬でなく昔ながらの流儀で」 と続けられます。


父上は、 「気持ちは分かるが、身分が違う。定めに従ってもらわないと示しがつかなくなる。 確かに近頃は、大君さまがおすすめになるように、火葬というものが都近くでは行われるようにはなっている。しかし、人間は死んだのち、人を含むさまざまな動物に生まれ変わる、この五体は単なる仮の姿だから惜しむことはない、焼いて捨ててよい、というところまでにはついていけないしなあ」 と、仰られます。


「勿論でございます。火で燃してしまうなど野蛮なことは出来ません、何とかそこのところ埋葬のお許しを頂けませんでしょうか」
「たしかにこの豆太とやらは、なりは小さいがしっかりもので、例の綿花泥棒騒ぎの始末に、一貴(いき)皇子の従者、何と言ったか、そうじゃコットイというものの草履(ぞうり)取りにでも使ってもらうつもりであった。しかし今はまだ賎奴(やっこ)の身、定めに合わないし」、
との押し問答のようです。


いきなり一貴皇子の名が聞こえてきた時には、この春先の七山でのお姿が目に浮かび、なんだか胸のあたりがドキドキし始めました。
そこに、か細い声で 「わたくしからもお願いします」 と、小夜姫が、どうやら顔を床につけてお願いしている様子です。


十勝村梨実のブログ -岩原遺跡 写真 今も残る横穴墓(山鹿市岩原)

おじさまがいいます。 「こやつが、あのチビを不憫がって、”お穴に納めるのなら、私も入る” と言い出し泣いてばかりで困っているのです。 家宝のためにとはいえ、二人の命を失うことになろうとは。このお宝なども早くご先祖のところにお納めしておけば、このような目に遭わずに済んだものを」、 と、おじさまが悔やみます。


それを聞いて、父上が、 「そういうことなら、どうじゃ、その家宝の矛を埋納しようぞ。 豆太はそのお宝のお供ということで、一緒に棺を造って入れて納める、ということでどうじゃ、白宮」。

さすが父上と、父上のお知恵を誇らしく思いました。

それにしても、小夜姫が後を追うような気持ちになったのか、その時には不思議でなりませんでした。 しかし、親しかった人との突然の別れがこのように悲しいものだ、ということはよくわかる気がしました。


あとで、この時の気持ちを思い出して詠んだのが、次の和歌です。


別れそは この人の世の 常なるを 

          流るる水は 涙なりけむ(注231

このあと、小夜姫と豆太との意外な関係を知ることになります。
            (つづく)


注230)佐嘉鉾(さかほこ) 
記・紀』の神話に出てくる「天の逆鉾」は、「佐嘉鉾」つまり、吉野ヶ里あたりで作られた、「佐賀ホコ」ではないか(宮崎康平 まぼろしの邪馬台国)という説を勝手にお借りしました。


注231)別れそは の歌 これも著者が疑似万葉調歌として作った歌の一つです。
元歌は、島崎藤村(一八七二年木曾馬籠生まれ)の「若菜集高楼」、“別れといえば昔より この人の世の常なるを 名がるる水をたずぬれば・・・”です。小林旭が一九六一年にレコードを出し、翌年、日活映画「惜別の歌」で主題歌となり、大ヒットしました。わたくし
のカラオケ十八番でもありましたが、最近は歌う機会はなくなりました。