春日八郎さんは会津坂下(あいづばんげ)町の出身

 

 

故郷への想いも強く、むかし通った小学校にピアノを

寄贈したり、町内の学校の校歌や応援歌を作曲、

また会津坂下町民歌、会津坂下音頭を作曲し自ら歌い

レコーディングするなど町の発展に尽くしました

町でもその功績をたたえ、名誉町民に選ぶと共に

船杉地区に春日八郎記念公園・おもいで館を建設

会津坂下駅前には銅像が建てられました

 

 

ここは代表曲、「別れの一本杉」の舞台だとか

実際に歌詞の通り一本杉が立ち、傍には石の地蔵が

会津坂下町では17時に防災無線を通じて

町内に別れの一本杉が流れます

 

ところで、会津坂下の由来ですが、地形的にも

盆地の中心というところで、坂や山とは関係がなく

公式にも川下を意味するアイヌ語のパンケからの

転訛とされていますが、遠く離れた北海道と

福島県の間には当時から交流があったのかと

 

 

また、坂下は番下ではとする説も。会津坂下町は

会津若松や会津高田、会津柳津、喜多方等の

地方都市へはそれぞれ約12キロの地点に位置する

事から坂下のバカ三里とも称され、会津地方から

新潟方面への結節点としても機能する交通の要

 

実際に会津坂下町には警察署が置かれ、四方八方を

見張っていますし、昔は番下とも書かれましたが

番元から番下に、更に番が同じ音の坂に変わり

会津坂下になったとする説です

 

会津地方は有名な寺院や神社も多く、会津美里町

(会津高田)の龍興寺は国宝の「一字蓮台法華経」を

所蔵する寺として有名で見事な蓮園もあります

 

 

 

同じ町内の伊佐須美神社は岩代国一之宮、

会津総鎮守として知られ、アヤメ園が見事

 

 

郵便局で行われた心の手紙コンテストで野口英世博士の

母が息子へと宛てたこの手紙を目にした方も多いかと

 

 

平仮名ばかりで方言や当て字も多く用いられて

読みづらいですが、胸を打つものがありますし、

手紙の中にある「なかたのかんのんさま」とは

ここ、弘安寺(中田観音)の事です

 

 

野口英世の母、シカは囲炉裏で大火傷を負った

清作(後の野口英世)の治癒と立身出世を願い

猪苗代からここへの月詣りを欠かさなかったとの事

 

 

会津坂下町の隣、柳津(やないづ)町には

日本三大虚空蔵の一つとされる圓藏寺があり

 

 

境内からはこんな絶景が臨めます

 

 

境内の赤べこ 柳津町は赤べこ伝説発祥の地

 

 

温泉街へと続く坂道の途中、お菓子屋さんからは

朝早くから湯気が盛んに噴き出しています

 

 

湯気の正体は柳津名物の「あわまんじゅう」

 

 

200年ほど前に福満虚空蔵尊が大火事に遭った際に

当時の和尚が二度と災難に「アワ」ないようにと

配ったものが柳津名物になったとされ

黄金色の美味しい饅頭でしたが、

日持ちしないので道中でムシャムシャ

 

(※画像借りています)

 

この先は温泉が至るところに湧き出ていまして♨

圓藏寺下の柳津温泉と共に西山温泉も有名、町内の

滝谷駅前からは西山温泉へのバスが走っています

 

滝谷駅前のバス停に湧く中野の岩清水、

清冽な水でした

 

 

滝谷は本来は柳津町の隣、三島町の地名ですが、

駅は柳津町側にあり、隣町からの利用も多いとの事

 

駅付近の中野(郷戸)地区には20戸程の家屋が

ひっそりと建ち並び、長閑な山村風景

 

 

中野の岩清水の隣に建つこの建物は昔は旅館、

その後、商店に変わり、今は冬への準備中、

ここから先は日本有数の豪雪地帯へといたります

 

そして、着きました 福島県三島町

 

 

続く