ワールドカップアジア最終予選日本×オーストラリア戦、日本は埼玉スタジアムでのホーム試合試合結果は、1-1となりましたが、日本がワールドカップ5大会連続出場となり、良かったです。一点入れられてどうなることかと思いました。
長篠城跡と設楽ヶ原(長篠の戦い)先週末、土曜日は職場は出勤日でしたが、午前中で切り上げ、午後からは愛知県は新城市にある、長篠城跡と長篠の戦い跡(設楽ヶ原の戦い)を見物に出かけました。東名高速の豊川ICから15キロメートルと距離感はありましたが、意外に道がせまく遠いほとんど夕方になってしまいましたが、長篠城跡と資料館を見学。戦国時代の史跡としては良質のもので、徳川家康と武田信玄、勝頼の戦いの変遷が分かりました。その後、設楽が原の戦い跡の資料館へ行き、武田騎馬隊と織田徳川の足軽鉄砲隊の争いについて、見学してきました。資料館内部は火縄銃や大鉄砲の陳列がされており、建物の屋上からは、長篠の戦い跡を眺める事ができました。もちろん、資料館回りには、武田軍の陣地が沢山ありましたが。その後、武田軍の陣地や信玄塚などを見て、戦いの戦没者を痛むとともに、信玄公の地域での影響力を知ることとなりました。最後に織田徳川の足軽鉄砲隊の威力を知らしめた馬防柵。近くに連吾川と田んぼ、柵を設置して盛り土でトーチカ?ができています。鉄砲隊の三段打ちで武田軍が負けたと言うより、地形効果を活かした織田徳川軍に軍配があがりましたね武田軍が一敗地にまみれたのですが、残念なのが、武田軍の頭領である勝頼の若さであったかも知れないです。それまでは勝頼も徳川軍に勝ち続けていましたし、負けを知らなかったからかも知れません。また同時に国力に差があり、当時の石高では、織田400万石、徳川49万石、武田140万石であったことを考えると、いずれは決戦は避けられなかったわけですが、いわゆる信長包囲網(毛利、本願寺、浅井、朝倉、武田、その他)で最大兵力の武田が破れたのは戦術だけでなく、戦略的にも厳しかったはずです。今の平成の時代の鉄砲は、さしずめスマートホンかな?自分も変化の激しい時代でもあり、時代にそくした「鉄砲」を持ち、一般常識にとらわれることなく、多くの情報を「鉄砲」で三段打ちして、対応力をつけていきたいですね。もちろん、それで獲られる果実もいただいていきたいですね。日経平均先物大丈夫かなあ確認してからお休みです。
最近の話早くも6月になってしまいました。五月は仕事も忙しく、試行錯誤もあるなかで、やっと覚えて完成したものもありますねえ。世間ではアベノミクスの経済成長で株価上昇といきたいところですが、日本は一部のみ利益を得て、まだまだの様子。円安で物の値段があがるだけです厳しさを増す水無月に入りますボーナス大丈夫か(涙)