まずは、今回の地震で被災された方へ心からお見舞い 申し上げます。
また被災された方々が少しでも早く元気と希望を持ってくれることを心から願っています。
さて、私は1990年代の前半を宮城県で過ごしていました。
そして宮城県を離れて15年になります。
そう15年前の事を思い出してきました。
今でこそサークル代表やミクシィのコミュニティーで管理人を務めるなど、サークルやコミュニティーの運営を務めていますが、
その原点になったのが、仙台での社会人サークル活動です。(当時主に20代30代の人が職場外でも繋がりを持とう!という趣旨で活動を始めました。)
当時の同年代のある仲間に誘われて、今度サークルの立ち上げをするので、一緒にやらないかとの趣旨のものでした。俺がサークル運営?!と当時かなり戸惑っていた私を大丈夫だから!と言ってくれ、それがきっかけで始めました。それが今のコミュニティー運営だったり、また色々なセミナー・ワークショップに興味を持つ原点となった、つまり職場外にも仲間との繋がりを広げる事が出来るんだ!ということを最初に知ったのが、この仙台の地での出来事です。)
今日の東京でのみなさんとの出会いは、1990年代、上記の仙台での出来事がもしなかったら、なかったと言っても過言ではありません。
それほどに仙台で多くの仲間と出会い、多くの楽しい時間を共有できたことは、一生の宝物です。
その仲間たちには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
そう15年前の出来事ですが、私が千葉に転勤になるということで、サークル仲間で送別会を開いて
くれました。
みんな満面の笑みで接してくれ、楽しい思い出~松島や気仙沼、亘理(宮城県南部の町)など色々なところに
行ったこと~を共有していました。
(※これら上記のところは、今回の地震の津波で大打撃を受けたところばかりです・・・)
最後にピンク一色の大きな花束をもらい、大切にしていたこと、今鮮明に思い出してきました。
その時花束を渡してくれた女性は、仙台で家庭を持っています。
そして今は連絡をもう取っていないが、恐らく今も仙台市や宮城県内に住んでいるだろうと思われる仲間は多数にのぼります。
あの時楽しい時を共有した仲間は一体今どうしているのだろう。
そう考えると、いてもたってもいられません。
(改めてこうして文章化すると、余計に思いが募ってきます)
無事を祈るばかりです。
長文になったので、この辺で書くのを止めます。
(上手く文章にまとまりましたが、これでも書くのに1時間以上かかりました。)
最後にこのブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。