三つの短編で構成されているんだが、三つ目の「ヘロディアス」は読み飛ばした。
まー、時間があったとしてもこれに関しては読み飛ばしたのではないかと思われるが、なんでそんなに大急ぎだったかと言うと、今日からの連休でリョサの「緑の家」を読みたかったからだ。
メモを取りながら、付箋を貼り付けながらでないとまず読めないだろう「緑の家」上下巻。
通常の日常生活の中ではなかなかに読んでいくのが困難そうな、このノーベル文学賞作家の代表作である「緑の家」。
そのため、ここまでずっと読まれることなく後回しにされ続けてきた可哀想な「緑の家」。
今日から読む。
おめでとう!
なんとか少しでもちゃんと理解して読めますように!
ありがとうございました。
とこれではフローベール先生とそのファンの皆さんに怒られるw
フローベール先生の代表作はいわずもがなの「ボヴァリー夫人」と相場が決まっているんだが、画像を見てお分かりの様に、本文庫の帯にはこの「三つの物語」こそが彼の最高傑作であると謳ってある。
安かったのとこの帯文句につられて購入し、読んでみたんだが、んー、私的にはフローベールは「感情教育」が一番好きだなあ(「サランボー」は読んだことがない)。
正直この本、解説が一番読みごたえがあるww
というのか、解説がないと最後の「ヘロディアス」なんか私のようなキリスト教だのなんだのについて全くと言っていいほど知りもしない人間に分かりっこない。
訳者による長く詳細な解説によってですね、私はこの本のほとんどを理解いたしますたw(親切な解説でした)
ごくごく簡単にいうと、最初の「素朴な人」が牧歌的ともいえる人情もの、次の「聖ジュリアン伝」が聖人の伝記もの、既出「ヘロディアス」が紀元前のパレスチナものなんだが、わたしゃ「素朴な人」が一番好きである。
圧倒的に。
「まことのいとおしみだけが授ける想像力」というフレーズに代表されるような、主人公の老お手伝いさんの描写が素晴らしい。
べたべたの娯楽小説とは一線を画す、文学作品としての矜持溢れる描写でもって、貧しく学はなくも心優しき女性の半生が描き出される。
なんでもこのフローベールという作家はとにかく紋切り型の表現を嫌う人らしく、極端に言えば物語の内容などなくとも文体だけでもって読者を黙らせたい!という人だったようである(解説に書いてありますたw)。
ということで、世間並みに、バイト生活者の私も今日から連休である。
宣言したように、読書に明け暮れる予定であるが、読み始めたら断念するかもしれんw
複数の物語が時系列も場面もぐっちゃぐっちゃに書かれているという、そんな本がこの私に読めるのだろうか?
まあよい。
頑張ります!
晴れてきたし、これからぬこさん探しのお散歩がてら、100円ショップで付箋を買ってまいります。
ありがとうございました。