ゴマメの呟き・アンモナイトの徒然草 -3ページ目

ゴマメの呟き・アンモナイトの徒然草

他所のブログを2つもっています。ぜひ遊びにきてください。

このお話はフィクションです。

その42

具体的なお話は、もう少し後でするとして、今さしあたっての、貴方がしなければならない事は、本当に委託してあるお金を、返していただけるかどうかを確認してくる事です。

もし返していただけるのであれば、何時までに、どれだけのお金を、どういうふうに返していただけるのかと言う事を、早急に取り決めていらっしゃい。

この話を、夢物語で終わらせたくないとお思いでしたら、今度は命がけで回収するくらいのお覚悟が必要です。

お金の工面が出来ましたら、私の所へ連絡してください。そうしたら、測量のできる弟子をつれて、またここへやってまいります。

測量から設計図の完成までには、10カ月くらいはかかると思っていて下さい。

設計図が出来たら、なるべく安く上がるように、二人で相談しましょう。

なお私、あちらこちらへ、出かけている事が多いので、ご連絡を頂いても、すぐに来るというわけにはまいらないかもしれません。

しかし必ず、そして出来うる限り早く来るようにはします。

その43

所で、これ余分な、お話しですが、祐貞さんとお米さん、貴方達お二人は、お互いに好きあっていらっしゃるのと違いますか。

先ほどからのお二人のご様子からは、どうもそのようにお見受けされてならないのですが。それとも、もうお二人は、実質上の御夫婦になっておられるのですか」

と上人。

真っ赤になった二人は、下を向いて、ただ首を横に振っておりました。

やがて顔をあげたお米が「お上人様の前でございますから、正直に申し上げます。確かに私、若旦那様の事を、お慕いしております。

しかし、私は、ここの使用人でしかございません。

それに右手もやや不自由でございます。だから私は、そのような大それた事を、夢見た事なんか、一度もございません。

ただお傍にいさせていただいて、少しでも、若旦那様の、お役にたつ事が出来れば、それだけで十分なのでございます」と言いました。

「古い。古い。こんな家の状況で、今更、家柄も身分も、あったもんじゃないでしょ。

お互い好きあっていればそれで十分。第一、今、お前、手が不自由といったけど、私の見る所、そんな風には見えないが、ちょっと動かして見てくれんか」と上人

お米は、お上人様に言われるままに手を動かしてみました。しかし全く不自由な所はありませんでした。

使っているうちに、いつの間にか手の不自由さは無くなってしまっていました。

お米は思わず手を合わせると、はるか高野山の方に向きを変え、

「弘法大師様、貴方のおっしゃっていた通り、いつの間にか私の手は完全に治ってしまいました。

本当にありがとうございます。ありがとうございます。

これからも、お大師様のお言いつけに背かないように、心がけますので、どうか、どうか、私どもをお守りください。

若旦那様も、あれから心を入れ替えられ、今では一粒のお米も無駄にしないよう努めておられます。

若旦那様の、これからしようとされている大事が、成功しますよう、どうかお守りください。

どうか、どうかお願いします」とお祈りしました。

このお祈りの言葉を、お聞きになられた如水上人は、

「今、お米さん、お大師様から、直接、お言葉を賜ったかのように言っておられたが、それはどういう事かの」とお尋ねになりました。

そこで祐貞が、自分達と、お大師様との間に結ばれている縁(えにし)についてお話しました。

それを聞かれた上人は、

「そうでしたか。そんなことがあったのですか。貴方達は、よほどお大師様と深い縁がお有りなのでしょうね。

私なんか、一度でいいからお会いしたいと願っていますのに、いまだに夢の中にも、出てきて下さらないのでございますよ」と少し羨ましそうです。

「それなら話は、早い。お二人は、もともと御縁がお有りなのですから、私が仲人を勤めますから、お二人はこれを機会に、身をお固めなさい。

これから大きな事業をするにあたっては、祐貞さんにしても、お米さんにしても、身を固めておかれた方が、世間の信用も付き、そのほうが、ずっと都合がよろしいですよ。

そうして、二人、力を合わせて、これからの大業に立ち向っていかれれば、一足す一は二ではなく、十にも、二十にもなりえます。

特にお米さんは、今のような宙ぶらりんの立場でおかれているよりは、きちんと座る所へ座らせてもらわれたほうが、いいのです。

そうすれば、誰に指を、指される事もなく、大っぴらに、祐貞さんを支えることもできますし、祐貞さんが他の用事で出向けない時には、祐貞さんの代理を勤めることだって出来ますからね」

「どうじゃな。こうなれば、善は急げじゃ。これからお二人の結びの式をあげることにしては。

どうせ、今の状況なら、正式な結婚式なんか、出来る状態ではないのだし、招待客と言っても、せいぜい村に残っている数軒の家族ぐらいのものでしょ。

それらの人達だって,今では、式に呼ぼうと思うほど親しくしていらっしゃらないでしょ。

まして親戚なんか、貴方達が近寄ってくると、物入りだとばかり、敬遠していて,出席してくれっこないでしょ。

だったら、そんな形式なんかに拘る(こだわる)事はありません。

お二人だけで、今夜、式をあげる事にしましょう。

仲人は、私、立会人はお兼、吉六さん御夫婦と御仏ということでどうじゃな」

その44

夜中に起こされて、何事か起こったかと、訝りながら(いぶかる)、お上人様のいらっしゃる座敷にやってきたお兼、吉六の夫婦は、これから、祐貞、お米の結婚式を執り行うから、立ち合い人になってくれと頼まれて、二度びっくりしてしまいました。

「でもお二人の身分が違い過ぎていますから、世間体が」と躊躇するお兼に対し、お上人様は、

「構わぬ、構わぬ。先ほど、二人から、幼い時、お大師様に会った時の話をきいたが、それから考えると、このお二人は、前世から結ばれる運命(だだめ)になっている仲に違いない」

「わし、今回は、明朝早く、ここを出発せねばならぬことになっている。

だから済まぬが、これから結婚式の準備を、と言っても簡単な三々九度をする用意だけでいいのじゃが、それをしておくれ。

そしてお二人は親代わりとして、また立会人として、二人の幸せを祈ってやっておくれ」とおっしゃると、自分も直ぐに衣を纏われ、仏壇の前にお座りになりました。

こうしてその夜の内に、二人のささやかな結婚式が執り行われました。

お米は嬉しさと感激のあまり、涙が止まりませんでした。三々九度のお酒、実際はお酒のような贅沢な物は家にありませんでしたから、御飯粒を砕いて浮かべたお水でしたが、それが塩辛くなってしまうほどに泣き続けました。

何しろ、長い間密かに思い続けていた人、叶わぬ恋と、心の底深くに閉じ込めてしまっていた人と、結ばれる事になったのですから、こんな嬉しい事はありませんでした。

今の出来事が夢ではないかと思えてなりませんでした。しかし何度抓っても、痛く、それが覚めることもありませんでした。

祐貞は男でしたから、それほど感情を表には出していませんでした。

しかし式の間中、顔を紅潮させながら、いかにも愛しげな顔をして、お米を眺め続けておりましたから、後々まで、お兼、吉六夫婦に、からかわれる種となってしまいました。

次回へ続く 

その40

お泊りになった如水上人を相手に、祐貞は、ここ何年間もかけて作ってきた、村再生のための計画書と、再生事業完成後の、村の見取り図をおみせし、自分が立てた、この計画についての、上人のご意見を求めました。

土木に詳しい上人の目から見れば、それは子供の画いた夢の世界の見取り図にすぎません。

しかし、そこから、祐貞が目指す、再建後の村の姿と、それにかける祐貞の熱意は、良く読み取る事が出来ました。

「ところで、これだけの大工事と言うことになりますと、とんでもない金額が掛かる事になりますが、それはどうされるおつもりですか」と上人が御尋ねになります。

「実は、私の家では、代々、桑名のある廻船問屋に、運用を任せてきた、かなりの額にのぼるお金がございます。

所が、間が悪い事に、私どもが、こういう状態になって、急に、お金が入用になった時、あちらの廻船問屋さんの方にも、持ち船が、沈んでしまったというような不幸がありまして、その時、返していただけませんでした。

あちら様のお話では、3年後には、倍にしてお返しくださると言うお約束でございました。

所が、そのお約束の期限は、もうとっくに過ぎているのでございますが、まだお返しいただいておりません。

もしかしたら、もうお返しいただけないお金かもしれませんが、そのお金さえあれば、なんとかなるのではないかと思っております」と祐貞。

「よく分かりました。しかしこれほど沢山の費用の掛かる事業を、貴方、お一人でなさるには、あまりにたいへんな事業で、無理があるのではないでしょうか。

藩の方にも、援助を、御願いされたらどうでしょうか」と上人。

「藩には再三交渉し、お願いしてきたのでございます。しかし藩の財政も苦しいからとおっしゃって、結局一文の援助も出来ないとの事でございました。

どうも、これほど酷い状態では、お金を出すくらいなら、見捨ててしまった方が安上がりと考えておられるように思います」

「さようか、しかしながら、費用の方は、貴方お一人でなんとかされたにしても、今の事業計画では、採算がとれないと思いますよ。

費用をこちらで持つのでしたら、新田開発の費用を、個人で持つ代わりに、年貢をまけていただくという事にでもされないと駄目です。

そうしないと、つぎ込んだお金をとりもどすことができないどころではありません。

工事が終わった後も、農地から、実際にお金が入ってくるようになるまでには長い歳月が必要で。その間は、入植してきた人達にも、多少の生活の援助もしてやらねばなりません。

その間は、工事人夫として雇ってやるにしても、貴女の自家用地の作男として働いてもらうにしても、只というわけにはまいりません。だから、その間は、大変な持ち出しになる可能性が大です。

新たに入植してきたお百姓さん達だって、いつまでたっても、バラック住まいと言う訳にはまいりませんよ。

生活が安定し、家を造り、家庭を築けると言う希望がないかぎり、入植者を募集したって、誰も応募してきませんからね。

その為には、ある一定期間は、地代も安くしてやらねばなりません。

そこへ工事が完成したからといって、普通の村々と同じように、お上から年貢をかけてこられたら、いくらお金をもっていても、足りません。

ですから、この計画では、おそらく早晩、行き詰まってしまうでしょう。

何しろ藩の年貢は高いですからね。

藩のお役人達は、机の上の計算だけで、年貢を決めてきます。

ですから、工事が終わったとたん、以前この村に存在していた農地が、そのまま回復されたものとして、年貢を決めかけてくる可能性が強いとおもいます。

しかしこの荒れ地は、堤防が出来、用水路が完成したからといって、直ぐに、作物がつくれる農地になるものではありません。葦や、雑草、灌木を切り払い、根を取り去り、石や塵を取り除きながら、開墾して行って初めて農地となる土地です。

まともに作物がつくれるようになるには、何年もかかります。

もし、まともに作物が収穫できない間から、どんどん年貢として藩に持って行かれたら、入植してきた者達は、貴方のところへ、地代を払うどころではありません、たちまち行き詰って、夜逃げして行ってしまいましょう」

「年貢を負けてもらう?

そんな事、あの頭の固い藩の役人どもが、してくれますかね」

「それは交渉次第ですよ。

あちらさんだって、今のまま放っておいて、全くお金が入らないより、何年後からでも、年貢が入ってくるようになった方が、いい事くらいは、分からないはずがありませんからね。

何しろこのお話、自分の懐を痛めなくて済む話なんですから。

そちらの方は私にお任せください。藩のお重役方の中にも、知り合いがおりますから、その人たちに頼んで、なんとかしますから」

「それから、この見取り図はあくまで、出来上がった時の姿が描いてあるだけです。実際に工事をするとなると、精密な設計図と、その実行を監督指導する土木技師が必要となります」

「設計図の作成は私がするとして、土木技師をどうするかでしょうね。

私が常時付いていると言う訳にもまいりませんし。

ある程度信用できる、腕の良い人を頼むとなると、これまた、だいぶお金が必要となりますが。

監督料の他に、宿泊する場所も準備しなければなりませんし、そう言っては何ですが、監督さんには、貴方達が今食べていらっしゃるような粗末なお食事と言う訳にはまいりませんでしょうしね。

期間が長い分、その費用も馬鹿になりませんよ」

その41

「更に、今から考えておかねばいけないのは、堤防が完成した後、誰を入植させるかということです。貴方のお心算では、誰をお考えですか」

「私としては、以前の村人たちに声をかけようと思っていますが」

「それはお止めになさい。

彼等の殆どは、既に、移動した先で、収入の多寡はどうあれ、夫々、そこに落ち着いております。

それを、もう一度こちらへ呼びもどして、新田開発に当たってもらうには、無理があります。

特に所帯持ちには無理でしょう。

始めのうちは、殆ど収入もないような状態から、初めて貰わなければなりませんからね。

寝る所だって、貴方が、済む家迄作ってやっていたら、どれだけお金があっても足りません。

初めのうちは、そこらに転がっている流木を集めてきて、入植してきた者同士助け合いながら、バラックを作ってもらうより仕方がありません。

更に、用水路の建設、ため池の建設などといった、皆で利用する施設についても、開拓の時間の合間を見ては、順次、皆で共同して整備していって、もらわなければなりません。

そうなりますと、そのまま昔の生活に戻れる事を夢見て入ってこられるであろう、昔の小作達では、不平不満ばかり多くて、それに耐えられないと思います。

堤防が再決壊した後の、小作人達との、あのごたごたを思い返してごらんなさい。

あれを、もう一度再現したいとお思いですか。

あんな目には二度と会いたくないと思われるのでしたら、そういう人達は避けるべきです。将来、食べていくのに充分な土地を、貸してもらえるようになる事を、素直に喜び、最初の間の苦難に耐え、一日でも早く、きちんとした生活が出来るようにと、一生懸命、頑張ろうとする、真更(まっさら)な人達を集められた方が良いでしょう」

「そんな人、どうやって集めるのですか」

「それも、私が藩の重役方に頼んでみましょう。この近在にだって、農家の二、三男坊に生まれた為に、嫁をとる事も出来ず、その家で、一生、飼い殺しになっている人達は一杯います。そういった人達の中から、素直で、勤勉な子達を集めればよいのです」

続く


一粒の米にも店主原稿その11

このお話はフィクションです。

その37。

この二人の切ない、感情を、一緒に生活している、吉六、お兼夫婦が、気付かないはずはありません。

祐貞、お米達と同居するようになって間もないころより、既に、その兆候を感じておりました。 

しかし、昔気質の彼らには、身分の掟という呪縛(じゅばく)からのがれることはできませんでした。

年の割に純情な二人の切ない愛を感知し、心情的には、その愛の成就を願ってはいましたが、二人の仲をとりもったり、それを積極的に応援したりするような事はできません。

まして単なる使用人にすぎない自分達が、仲人として、その愛をまとめるなどという、大それた事など、考えも及ばないことでした。

こうして愛し合い、思いあっていながら、互いにそれを表に現す事も出来ない、二人の切ない愛は、何の進展も見ることなく、その年もまた、年を越す事になってしまいました。

その38

年も替わり、村は、新しい春の訪れを迎えました。しかし春はこの村に、喜びや希望だけを、運んできてくれるものではありません。

住人たちは相変わらず、暮らしていくのに精一杯で、川の氾濫の恐怖に怯えながら、今日の糧をもとめ、地の上を這いずりまわるようにして作物をつくりながら、日々を過ごしておりました。

彼等は少しでも時間があると、自分たちの住んでいる場所とその周辺の、作物が作ってある土地の回りに、土をもり、石垣を作り、ちいさな土手を築いて、少しでも水の被害から、免れようと試みておりました。

彼らにとっての春は、種を蒔き、作付を始める時でありますが、どれと同時に、川の増水の季節の始まりを告げる時でもありました。

春の彼岸が過ぎれば、間もなく、この村には、川の増水の季節がやってまいります。

雪解け水に始まる、梅雨、雷、集中豪雨、台風などなどが、川の水嵩を増やし、氾濫を起こさせます。それは、程度によっては、家も、田畑、作物も、場合によっては人の命さえも、奪っていくものです。

堤防と言う、川の氾濫を防ぐ手段を失ったこの村では、いまでは、それがいつ起きるか分かない状態です。

だから、この村の住人達にとっては、春の訪れは、新しい作付の時を告げる時でしたが、洪水への恐怖の始りの時でもありました。

それを防ぐ手段は、彼らにはもう、天に祈ることしか残っていませんでした。

村人達たちは皆(と言っても数軒しか残っていませんでしたが)、朝には、今日一日の無事祈り、夕には今日一日が無事であった事に対して、感謝の祈りを捧げました。

彼等は、自分達が、草原の草木や、地の虫、空の鳥、水の中の魚等といった、いろいろな生き物の命と同じように、自然の中で生かされている生き物達の、単なる一員でしかない事を、弁えるようになっていました。

自分達の命は、神仏の御心のままであり、その御加護によって、生かされている身にすぎない事を知るようになっておりました。

それだけに、今の時代の人には考えられないほど、皆、真剣に祈りました。

その39

そんな日々の続くある日のことでした。

この村がまだ繁栄していた頃、観佐衛門の家に、時々、お泊りになった事のある、一人の托鉢僧が、(祐貞の所へ、)訪ねてまいられました。

「いやー大変なことになっておりますなー。

拙僧これまで奥州から、関東方面に掛けて、回っておりましたので、この村が、これほど酷い事になっているとは、露ほども存じませんでした。

それにしてもお父上の、観佐衛殿にはお気の毒な事でしたな。後で、ご冥福をお祈りさせていただくことにしましょう。

お父様には亡くなられ、村はこの惨状、祐貞殿には、さぞや、大変な御苦労をなさった事でございましょう。

でもまあ、良く我慢なさって、村を棄てる事もなく、これまで頑張ってこられましたなー。ご先祖様が、さぞ、喜んでおられ事でございましょう。

それにしても、何時水の底に沈んでもおかしくないようなこんな川洲では、作物の収穫も不安定で、食べていくのも大変だったでしょうに、本当によく我慢なさいました。

でも、こんな状態のままでは、永久にここに住み続けるわけにはまいりますまい。

今後の事、どう考えておられます?」

「お父上には随分お世話になった事でもありますし、祐貞様のお考え次第では、私も出来る限りの協力を、させてもらうつもりでございます。」

「さあ、ご存念をお聞かせくだされ」と申し出てくださいました。

僧侶はその名を如水といい、谷汲村に、小さな庵を構えておられる、真言宗の僧侶でした。如水上人は、加持祈祷に秀で、これまでも、その祈りによって、数多くの人をお救いになって来られたお方です。

その為、当時、今弘法とよばれるほどに、人々から慕われ、崇められておられました。

そのせいもあって、庶民の間だけではなく、藩の役人たちや、重役達の中にも、信者が少なからずおりました。。

また上人は、土木工事にも精通しておられ、これまでも、いろいろな藩から頼まれ、数多くの橋、用水路、堤防の修理だとか、建設などに係わってこられました。

続く