このお話はフィクションです。似たような事件、地名、人物が出てきたとしても、偶然の一致で、実際の事件人物とは全く関係ありません。
その26 エピローグ
その後、半年くらい待ちましたが、館長をしていた井戸氏の所からは、何の連絡もなく、無論お金を送ってくる事もありませんでした。
脳卒中で、右半身の麻痺と、言語障害を残し、別居していた奥さんのお世話になっているという井戸氏が、気の毒で、なかなか、お金の請求をする事が出来ませんでした。
いろいろ交錯する、複雑な思いはありましたが、半分はもう(お金を返してもらう事を)諦めてはおりました。
しかし、あんな迷惑をかけておいて、何の挨拶もないというのはどうにも気が収まりません。
直接、病気療養中の井戸田氏に言うのも、なんとなく憚られましたから、あの受付の男性の所へまず電話して、私どもへの借金が残っている事を、井戸田氏に伝えて下さったかどうか、確かめてみることにしました。
彼は「あの後、確かにお伝えしておきましたよ。エーッ、まだ何も言ってこられてないのですか。おかしいですねー。
あの方たち、そんな方じゃないはずですがね。
どうされたんでしょうね。
念のため、もう一度いっておきますわ」と言ってくれました。
それから数日後の事です。
井戸氏の奥様と教師をしておられるというご長男の方とが、連れだって、訪ねて見えました。
「いろいろご迷惑をおかけしましたようで、すみませんでした。
お宅からお金を借りています件につきましては、大谷さん(受付の男性の名前)から承って(うけたまわって)おり、すぐにお返し、しなくてはと、ずっと、気にかけておりました。
しかし、何しろ、主人もまだ病気療養中の身で、目が話せるような状態ではありませんでしたし、美術館の後始末の方も、いろいろありましたから、こんなに遅くなってしまって本当に申し訳ありませんでした。
大谷さんから電話があったのは、やっと主人も快方に向かい、美術館の方の、後始末の方も、略終わりましたから、浅茅さんの方へ、ご挨拶に伺わなければと、ちょうど思っていた所でした」
「これで主人が、お借りしているお金のすべてだと思いますが、どうかご査収ください。長い間、本当にありがとうございました」と言って、お貸ししていたお金の残額を、一括してお返し下さいました。
これには驚きましたねー。
しかし、それにもまして、あんな状態だったのに、お返し下さった事自体が、とても嬉しかったですねー。
オーバーな言い方かもしれませんけど、なんだか人間というものへの信頼が、再び戻ってきたような気がしました。
でも、きっと無理をなさったんだろうなと思うと、なんだか悪いような気もして、中から20万円を抜き出し、お見舞い金としてお渡ししました。
その時の、奥様のお話では、
『主人は退院してきた時に比べれば、大分良くなって来ては居ますが、未だ右半身の麻痺と、言語障害はかなり残っております。
今は、リハビリに通っていますが、国語の教師とか、狂俳の宗匠のような、言葉を操る事を生業(なりわい)としていた人間が、言葉を失うという事は、命を失うより辛いことだったようで、気分的な落ち込みが酷く、退院後しばらくの間は、「死・・たい」死・・い」と片言で漏らすものですから、目が離せるような状態ではありませんでした。
でも最近では、花咲かおる画伯の業績を人に知ってもらい、そしてその画業の集大成ともいうべき、挿絵原画を保存するという生きがいを、再び、見つけだしましたから、せっせと、リハビリに励んでくれるようになりました』
「どうしてそのようになったかって、お思いになりますでしょ。
その理由はひょんなことから、花咲先生の挿絵原画を、手に入れることができたからです」
『美術館を閉館した時には、花咲画伯画業の資料は、挿絵原画を始め、デッサン、油彩などなど全部まとめて、お兄さんの所に、一旦はお返ししました。
所が、ご縁があったのでしょうか。驚いた事に、それがまた主人の所に戻ってきましたの。
お金が欲しかった花咲画伯のお兄さんは、私どもが画伯の絵をお戻しするとすぐ、それらをまとめて、業者に、売りに出されたのだそうです。
所が業者から、こんな紙屑みたいなもの、全部まとめても、100万円出せるか出せないくらいですと言われてしまいました。
がっかりした花咲先生のお兄さんは、
「そんな値段でしか買ってもらえないのなら、兄の絵の価値を分かってくれていて、大切にしてくれそうな、宅の主人に、持ってもらった方がまだましだ」と思われたのだそうでございます。
こういった経緯で、業者の提示した価格に、少し色を付けた程度で、それらの絵の版権も含めて、全資料が、私どもの下にくることに事になりましたの」
『最初、私としましては、あまり買いたくありませんでした。なにしろ今住んでいる家は狭くて。そんな物引取っても、保存場所に困ります。
それに、主人が言っているほど、そんな貴重な資料でしたら、今の私どもの環境では、とてもお預かりできるような状態ではないと思いましてね。
だから最初は、断るつもりでいましたの。
ところが、その話をききつけた主人が(主人は、言葉を忘れ、字を書く事が出来なくなっていましたが、人の言う事はあらかた理解できるようでした)不自由な言葉を操り(あやつる)ながら「ホシイ、ソ、ソレカッテ、カッテ」と言ってききませんでした。
子供達にも相談した所、「お父さんがそれほど拘る(こだわる)のなら、どんなに無理をしてでも、買ってあげようよ」と言います。それで、それらの作品の版権も含めて、合わせて150万円で引き取ることにしましたの』
「主人はそれを買ってからは、生きがいが出来たと見え、とても熱心に、リハビリに励んでくれますの。
『言葉がきちんと話せないので、断定はできませんが夫は、「チャンスがあれば、何処かでもう一度公開したい」と思っているのが窺えます。
でも、私も、子供も、もうそんなのこりごり。絶対そんなことさせる気はありませんけどね」
私はね、主人が先に亡くなったら、その後は、高山市の図書館にでも寄贈して保存してもらおうと思ってます』
「それじゃー、奥さんはまだご主人の事、赦していらっしゃらないのですか?」と私が聞きますと奥様は
「許すも、許さないも、この人の、ああいう青年のような情熱と、一本気の所、私、もともと、嫌いじゃーありませんのよ。まして飛騨地方の文化財の保存と文化の振興のために,私欲を捨て、あれだけ、まっしぐらに突き進んでいける姿勢は、羨ましいくらいです。その姿には、私、むしろ尊敬していますの。
ただ今回の場合は、あまりにも度が過ぎ、このままいったら、とんでもない事になるのではと、恐ろしくなりましたので、その前に、ちょっとお灸をと思って、一時的に、家を出ただけの話です。
それがこんな事になってしまって、私も少し後悔しています。
だから、主人には、できるだけの事をしてあげようと思い、花咲先生の全資料も、買う事にしましたのよ」とおっしゃいます
「でも失礼ですが、私の所へお金を返されるだけでも大変でしたでしょうに、その上のもの要り、随分ご無理をされたと違います?」と聞きましたら、奥様は
「無論、私どもが建てた家も、義父様から相続した土地も、長年にわたって貯めてきた貯金も皆無くなってしまって、二人とも今では、スッカラカンの素寒貧(素寒貧:すかんぴん:極めて貧乏な事)ですわ。
でも、財産なんかどうせ、持って死ねるわけでもありませんし、子供達が一人前になった今では、子供たちにも、残す必要もありません。
ですから、財産なんて、もともとなかったと思えばそれだけの話です。
いまさら無くなったからと言って、何て事もありませんわ。
生活の事は、幸い私達夫婦は、二人とも、長い間お勤めしていたでしょ。
だから二人の年金を合わせれば、美術館の運営というような、無謀な事に手をだしてくれさえしなければ、なんとかやっていけると思っております。
万一、あたしたちの身になんか起こった時は、この子たちも、協力して、面倒をみるといってくれていますしね」とおっしゃる顔は、サバサバしていて、とても爽やかでした。