このお話はフィクションです。似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。
その7
海外赴任に当たって、久美の両親は、娘を自分の在所(実家=母の家)に預ける事に決めましたが、久美の母親和子は自分の母(久美の祖母)の所とはいえ、今まで、顔も見たことない見知らぬ人達の中に、たった一人で取り残される娘の事を思うと、不憫と不安で胸が詰まり、涙が止まりません。
「こんな小さな子を、たった一人残していかなければならないけど、一人で残して本当に大丈夫かしら。
私達が発った後、この子どうしているだろう。
甘えっ子のこの子が、私達がいなくなった後、一人で大人しくしておるだろうか。
泣きじゃくったり、やんちゃをしたりして、母や、義姉を梃子摺らせる(てこずる)のではないだろか。
それとも、あのきつい母や、意地悪な義姉に、叱られたり、虐められたりして、いじけてしまうのではないだろうか。
甥の寛太ちゃんや、姪の珠代ちゃんは仲良くしてくれるかしら。彼らから苛められるような事はないだろうか」
などなど次から次へと気掛かりが浮かんでまいります。
「いっそ親子3人一緒に赴任して、何が起ころうと、同じ運命をたどった方が良いのではなかろうか」
「それとも、私がこの子と残っては駄目だろうか」などなどと、心が千々に乱れて定まりませんでした。
そんな事は、夫に言うまでもなく、無理だと言う事は頭では分かっていました。
ですが、どうしても思いきれません。
「お母ちゃん、どうしたの。なぜ泣くの。お父ちゃんに叱られたの?ポンポ痛いの?それともおツム(あたま)が痛いの」といいながら、手を差し出したり、額をつけてきたりするそのあどけない言葉の一言、一言が、その仕草の一つ、一つが、彼女の涙線を刺激して新たな涙を誘います。
起きている時は起きている時で、その仕草や、言葉に、寝ている時は寝ている時で、その寝顔に涙が出てきて、赴任が決まってからの、和子の目は、涙の途絶える事はありませんでした。
子供を一人国に残して赴任していかなければならない身としての、不安や不憫な思いは、父親、哲だって変わりませんでした。
父親の方は、我が子を思い、取り乱している妻も又不憫でした。海外に行くのを止められるものなら止めてやりたいとも思っていました。
しかし現実はそうはまいりません。
父親、哲は、強いて冷静さを装いながら、妻を慰め、子供に言い聞かせました。
「久美ちゃん、お父ちゃんたちはね。お国の用事で、どうしても遠い、遠いお国へ、いかなければならなくなったの。だからお利口にして、おばあちゃんの所で、留守番していてね」
「いやだ、だったら久美ちゃんも一緒に行く」
「それがね、とっても遠い所で、何日も何日も御船に乗っていかねけりゃならない所なの。だから久美ちゃんには無理なの」
「久美ちゃん、お船、大好き。だから一緒に行く」
「それがね、とっても怖い所へ行くの。だから、子供は乗せてもらえないの」
「だったら、お父ちゃんも止めたら」
「それがね、そうはいかないの。お国の命令だからね。だから久美ちゃんは、お利口にして、おばあちゃんの所で待っていてね。すぐに帰るからね」
「すぐ帰ってくるの。だったらいいよ」
「おばあちゃんや、伯父さん、伯母さんの言う事を良く聞いてお利口にしているんだよ。お利口にしてないと、お父ちゃん達は帰らないからね」
「ウン、分かった。お利口にしている」
「泣いたり、やんちゃを言ったりしないね」
「ウンしない。だから早く帰って」
「お婆ちゃんの所にはね、お前と同じくらいの年の子供たちがいるけど、その子たちとも、仲良くするんだよ」
「うん、わかった。そうする」
何も分からず、神妙に返事を返す久美。しかし、いつもと違う父親の様子に、いかにも不安げです。
「お利口さん、お利口さん。なんてお利口さんなんだろうね」といいながら、父親、哲は、久美を抱き上げると頬擦りしました。
しかしその可憐な、健気なさに、彼の腕には思わず力がこもり、目からは、堪らず涙が零れおちます。
「お父ちゃん、痛い、痛いって」久美の口を尖らしての抗議の言葉も、耳に入らぬかのように、彼の腕には、なお一層力が加わりました。
次回へ続く。