ある記憶喪失者の妻の追想 16 | ゴマメの呟き・アンモナイトの徒然草

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その27 駆け付けた父親


電話を聞いて飛んできた父親は、母親から事情を聞くなり、「そりゃ、王次さんの事、警察に届けをしないわけにはいけないだろうな。」と言い切ります。


続けて、『もし放っておいて、何か起こった時、それこそ大変なことになりかねないんだから。放っておいても、人の口に戸は立てられないから、早晩、噂は広まるに決まっているし、もしそうなってから王次さんに、何か事が起こったことが分かったりしたら、場合によっては、警察の取調べを受けなければならないことだって、起こり得るんだよ。」


『貴方の気持ちも分からないではないけど、ここはお父さんに任せて、貴女は一時ここを離れて、家で静養することになさい。診療所の人たちには、貴方が。最初事務長さんに説明した通り、「王次さんが、心臓が悪くなって、急に入院した。そのため、先生も体調を崩して、今は、きちんとした診療が、できる状態でないから、しばらく静養させてもらう。」ということにしておくから。』


『「患者さん達のことを思って、急に辞めるわけに行かないという、あなたの気持ちは分かるし、医師として立派だと思うけど、冷静になって考えてごらん。今の状態で診療して、間違った診療をしたり、手抜きの診療をしたりしたら、かえって患者さん達に、迷惑をかけることになるのではないかなー。よく考えてみて。医師は常に万全の状態で、完全な診療をするように心がけねばならない職業なんだから。』と父はいいます。


「うん。それは分かるけど、何しろ此処は私一人しか、いないんだから。何の申し送りもせず、どこへも紹介もしないで、患者さんを放り出すといった、そんな無責任なことも出来ないでしょ。だから当分でいいから、此処にいさせて。その間に、患者さんを別の所に紹介するとか、別の先生をここに、来てもらうようにするから。」と梨佳は必死にくいさがりました。


しかし父親は、「お前は、今の自分の状態が、よく分かっていないようだけど、正直言って、今の状態はまともでないよ。

そりゃ患者さんの前に出れば、もう少し、しゃんとはするだろうけど、しかしそんな状態で患者さんたちの前に顔を見せれば、かえって変な噂を早く広めるだけだと思うよ。


今、患者さんを放っておいて、辞める訳にはいかないと言うのなら、お父さんのところにお勤めしている若い先生に頼んで、2カ月位の間、臨時に此処を見てもらう事にするから、それでどうかなー。それならいいでしょ。

ここに迷惑をかけてはいけないから、貴女は、一旦は、此処を辞めることにしなさい。

そして、私の所から、代理の先生を派遣している間に、此処はここで、新しい先生を探してもらうように頼んでみるから。

貴女が今後とも、お父さんの病院にどうしてもお勤めしたくないというのなら、貴女の健康が回復して、きちんとした診療が出来るようになった時、この診療所の医師の席が、まだ空いていれば、此処に戻ってきてもいいし、空いていなかった時は、何処か他の所にお勤めしてもいいんだから。」

「無論お父さんの本音は、貴女に、家の病院に残って欲しいだけれどね。」と父親は言いました。しかし最後の言葉を言う時には、その口調は、少し寂しそうでした。


その28 実家に引きあげる


翌日診療所は、梨佳先生急病の為、臨時休業ということにして、三人は、その日のうちに、診療所を後にしました。


梨佳の気の変わらないうちにというので、荷物は後から取りに来る事にしての旅立ちでした。

幸い急な旅立ちでしたから、村の人達にも、あまりその話は伝わっておらず、見送ってくれた人も、診療所の職員以外は、ほんの数人の患者さんしかいませんでした


彼らは皆、急な旅立ちを不審がり、理由を聞きたそうな顔をしていましたが、真っ青な顔で、話をするのも辛そうな梨佳の様子をみて、誰もが話しかける事を諦め、ただ無言で見送ってくれました。


折角、良い先生にきてもらったと喜んでいた先生に、急に辞めると申し出られた事務長も、最初はとても困惑して、なかなか辞める事を承諾しませんでしたが、2ヶ月間は父親の病院から代わりの先生を、派遣してくれるという申し出に、少しはほっとして、気持ち良く送り出してくれることになりました。


なお、梨佳の父親は、去り際に、派出所に立ち寄って王次の捜索願を出しきました。

その時、派出所に勤務していらっしゃった警官は、もう、かなりの年配とお見受けする方でしたが、本当の名前も、住所も分からないという男、そんな記憶喪失の男の捜索願などというのは、始めてのようで、最初は、とても面食らわれました。

そこでその警官は、県警の本部と長い間相談していらっしゃいました。その結果、最終的には、梨佳達の提出した王次の写真に姓名、住所とも不明の人として記載して、その捜索願を受理してくれる事になりました。


又、父親は、梨佳が最後まで心配して、此処から去りたがらなかった理由である、王次が診療所へ戻ってきた場合の事についても、自分の所から派遣する若い先生に細かい所まで指示を出して、梨佳が安心して自宅に戻れるようにしてくれました。                


 次回記憶が戻った武人(=王次)に続く


次回投稿は01月27日を予定