20歳、専門学校の卒業頃、TOKIOにハマりました。
専門1年生の頃、臨んでいた舞台の雰囲気に、当時リリースされた「Ambitious Japan」が自分の中でぴたりとハマって。
勝手に自分の中でテーマソングになりました。
そこから2年生の1年間、TOKIOが気になり始めて、卒業頃にリリースされたアルバム「Act Ⅱ」を買って、それで本格的にハマって。
当時のバイト先にいたパートさんもTOKIOファンで、それまで余り喋れなかったけれど、会話の機会が増えました。
それまで2次元ヲタやってたから、初めは長瀬さんと松岡さんの顔の区別がつかなくて、イラストで似顔絵を描いて特徴を把握したりしました。
全然見なかったドラマ、バラエティ。
TOKIOが出るからテレビをつける機会が増えました。
あたしがハマるのに引き摺られて一緒に沼に落ちた妹と一緒にお金を出し合って、ファンクラブに入りました。
ライブ千秋楽のチケット争奪戦で血眼になって、リーダー凱旋の奈良ライブで、初めて親も学校も絡まない旅行をしました。
ライブのブロマイドやポスター、団扇は、5人全員分を買いました。
リーダーが24時間テレビで走った時には、武道館までゴールの瞬間を観に行きました。
5人で笑ってる姿が、5人が立つステージが好きでした。
中でも、いわゆる推しメンは
山口さんでした。
4月の末、仕事終わりのTwitterで、リツイートで回ってきた書類送検のニュースを見たときは、考えることを、脳が拒否しました。
何かの間違いか。
何をしたのか。
何が起こっているのか。
理解できない。
したくない。
してはいけない。
思考を停止させて、Twitterを閉じました。
帰宅ラッシュの電車の中でした。
詳細を見て、その場で正気でいられる自信はありませんでした。
直後の日曜日。
まだ詳細を調べる事ができないままでいたときに、母がたまたまつけていたテレビが、山口さんの記者会見の様子を写しました。
アップで、俯いた顔で、歪むのを堪える表情、震えるのを堪えた声、
一瞬で、テレビを消しました。
何が起こったにせよ、自分で直に触れるのは耐えられない。
そう考えて、GWに帰省した妹から、整理した内容を話してもらうまで、一切の情報をシャットアウトしました。
事件については、触れません。
山口さんが起こしてしまったこと、
山口さんの犯してしまった罪の、
被害者がいるということ。
それが、事実。
私には何をどうすることも叶わない、現実。
山口さんの、歌声が好きでした。
ボーカルは長瀬さんで、
もちろん彼が唱うTOKIOの歌が大好きなわけですが、
好みの歌声は山口さんでした。
8年通ったボーカル教室では、大好きなTOKIOよ歌を課題曲に何曲も選んで、ファルセットのひよひよした高い音でしか歌えなかった声を、TOKIOの歌が地声で歌えるくらい声域を広げられました。
通っていた時は、3オクターブいけました。
TOKIOにハマってなかったら、きっと一生ファルセットでしか歌えなかった。
今ハマってるソシャゲ「バンドやろうぜ!」も、同じTOKIO好きの友達が、私ならハマる!と熱心にプレゼンしてくれたからやり始めたものでした。
いつも映画に行く別の友達と一緒に新宿御苑に行って、いい場所だねって知ることができたのも、ふたり共通でTOKIOが好きで、ダッシュを、見ているからでした。
10年以上。
TOKIOが好きでした。
20周年ライブの千秋楽には、老若男女本当に様々な人がたくさんいて、こんなたくさんの人に愛されてるバンドなんだって、TOKIOが誇らしかったです。
TOKIOの音楽が好きです。
彼らの歌に憧れて、
彼らの歌に背を押されて、
バンドやろうぜ!で、欲しくて欲しくて仕方なかったハイレアカードも、彼らの歌を流して引いたら、2回も連れてきてくれました。
素敵な歌が、たくさんあるんです。
私が「歌を好きだ」というそのルーツは、
TOKIOなんです。
その歌達は。
「TOKIO」が成してきた全ては。
なくせない。
テレビから消されても、
山口さんがいたTOKIOの記憶は、
私の中から消えない。
どうしていいか、この2週間、わからなくて。
他に楽しいことはちゃんとあったし、
仕事も普通にある。
次のイベントに向けて描く絵もあって、
誕生日もあった。
私は私の生活を、切り離してしてこなしていかなくちゃいけない。
山口さんのいなくなったテレビと、
山口さんを批判する週刊誌の車内広告を見ながら。
そんな中、今日のダッシュは、観るのが怖かった。
山口さん抜きでも継続が決まったダッシュ。
でも、デビューしてからの5人を作り上げてきたと言って過言じゃない、ホームと言える番組。
観なければいけないと思いました。
記者会見の影像すら未だ観れないでいるけれど。
山口さんが、カットされた総集編は、辛かったです。
切り取られたフレームの、外に。
ミュートされた音声の、中に。
彼は、いたんです。
名前が一切呼ばれない影像。
でも、ダッシュ村の、蜂の巣箱に掲げられた「山」の字の看板が、
彼がそこにいたことを無言で示していて。
辛くて。
もう2度と、還ってこない景色なのかって。
そして、最後に。
男米をめぐってリーダーが発した、
「苗に罪はない」
という言葉に。
リーダーを、迎え入れた福島の農家のみなさんの、言葉が、表情に。
やっと、泣くことができました。
「帰ってきて欲しい」
その思いについては、わかりません。
それが、山口さんの重荷にならないか。
被害者を、苦しめはしないか。
そう望んでいいのか。
その望みが私の中にあるのか。
何が最善か。
何も、わかりません。
整理は、未だにつきません。
ただ、TOKIOの音楽を自分が愛したこと、
TOKIOの歌がくれたもの、
それを抱いていきたいと、思います。
ダッシュは、見続けて行こうと思います。
山口さんのいないTOKIOを見るのは苦しいけれど、TOKIOがこれから繋いでいくものを、そして紡ぎ出すものを、歩いていく先を、見守っていきたい、そう思いました。
それは、山口さんも一緒に築き上げて来たものの、未来だから。
そして虫のいい願いだとわかっているけど
どうか1日も早く、TOKIOが心安らげる日が来ますようにと、
今はそれだけを祈るばかりです。