仕事柄有名な方とご一緒させて貰う機会多い、で、そん時良くスマホ片手に『一緒に写真良いですか?』って有名な方にお願いする人いるけど、自分は基本的には言わない。ってかその発想がない。で、これは別に悪いとか良いとかの話ではない、自分はしない、って事。


何でかを考えてみる。


有名人と写真撮る人は、めちゃくちゃその方のファンの場合は記念に、って事だろうけど、その他は大概自分のSNSに載せる。これが自分には出来ない。恥ずかしいから。


何がって、この行為にどうしても『この有名な方と俺は知り合いなんだアピール』が含まれちゃう気がしてならない。しかも相手に、周りのスタッフに、『こいつまたこの有名な方を利用して自分のステータス上げようとしてまっさ』などと思われてんじゃないのかと感じた瞬間、自分は下品に成り下がり、そうなったらいてもたってもいられなくなり7階だろうが12階だろうが窓突き破って落下したい気持ちでいっぱいになります。でも死にたくないから『ここは多分頑丈だろう』ってガラスを瞬時に見定めてそこに体当たり(全力で行くと見せかけ実際は8割の力)して、大袈裟に跳ね返される猿芝居でも打って『ちくしょー!』を自分の出せる精一杯の声量で言います。


要は、人を利用して自分が徳をしようとする、これがイヤなの。あたしこれがイヤなの。申し訳ないよ、そして我々は信頼の世界で生きてますから、こんなちゃっちい事で信頼を失いたくないのよ。


まあ、物心ついた時からインターネットがある世界に生きている若者達からしたらそれは普通の事かもしれないけど、1979年産まれの自分はしない。


思い返してみたら、自分が尊敬している芸人、アーティスト、文化人、この様な事してる人いない。ちゃちくない。自分もおこがましいけどこうありたい。自分の好きな方が有名人との写真をSNSに上げ、『フォローお願いしまーす』の文言を必ず添えてたら、僕は指針を失いどこに進んで良いか分からずそこいら中の壁にぶつかって進んでまた戻ってぶつかっての繰り返し、側から見たらRPGダンジョンで一旦トイレ行くっつってコントローラー置いた隙に飼ってるネコがそのコントローラーの上で暴れてるみたいな動きになっちゃう。


あとは、写真撮っても後から見返す事がない。お逢いしたという事実を、自分の心とかそんなとこにしっかり残しておけばそれで良い。で、時間が経って思い出せない様なものは自分にとってはそれだけの物だったという事だ。



自分が、『写真お願いして良いですか』と頼んでもらえる事もある。俺も40年生きてきた人間だから、『ああ、この人は俺みたいなもんに好意を抱いていてくれてんだ、有難い』ってすぐわかる。嬉しい。


だから、そんな事言いつつ自分も今まで何度か自分から写真をお願いした事あるのは、『きちんとこの方を純粋な気持ちで好きだし、勝手ながらもそれが相手様に伝わり、向こうもそれを快く受けてくださって、しっかり扉を開いて下さっている、だから、飛び込める』って時だけ。それ以外では基本行かない。



もしも自分に息子がいて、人の写真使って自分のステータス上げようとしてる素振り見せてたらまず『これは、その、どういう意図?あ、意図、ってわかんないか、そのー、何でこういう事してんの?』って聞いて、もしもやましい気持ちがあんならマゴマゴするはず、そん時はしっかり俺の意思を伝えたい、が逆にしっかりとした信念があるなら良し、これ以上ないくらい美味しいお稲荷さんをたくさんあげますね。