さて、次に能褒野古墳へと向かいます。
ヤマトタケルのお墓として有名な場所ですが、どのようになっているでしょうか。
(古墳なので、浄化日記にしていますが、浄化の必要は無いと感じています。実際浄化していません。)
案内図
古墳の他に、ヤマトタケルを祀る能褒野神社があるようです。
墓の周り
金属っぽい陰陽のエネルギーが流れています。
田畑が広がるのどかな風景です。
入口前看板
能褒野神社には、県主神社や那久志里神社という2つの神社も合祀されているようです。
ヤマトタケル・オトタチバナヒメの他に、吉備武彦の娘とヤマトタケルの子である、建貝児王(タケカイコ)を祀っているようです。
東征の立役者である、吉備氏を祀ってある。と考えるのが良さそうです。
入口前の池
古墳・神社前の外鳥居
なんとなく元伊勢っぽい形をしています。
ここから感じるエネルギーは、そんなに重たくはありませんが、ヒンヤリとした金属のどっしりした武人系のエネルギーを感じます。
ちょっと須佐神社と似ているかも・・・。
金属系の陰陽エネルギーを保存しているようです。
まずは、古墳に行く前に神社にお参りをします。
【能褒野神社】
入口の鳥居
参道
きちんと祈り込めがされバチバチとしたエネルギーが取り巻いています。
手水
参道右側の木々
参道を取り巻くバリアエネルギーと、陰陽のどっしりした金属エネルギーが混濁しているような場になっています。ちょっと頭を揺さぶられてグラッとする感覚がします。
内鳥居
バリアのエネルギーが強くなりました。
拝殿
白灰色のバリアエネルギーが更に濃くなり、共感覚的に”酸っぱい”という感覚になりました。温度が低くそれが凝縮しているからなのかもしれません。
イメージ的には、ステンレスのスプーンの裏側を下に押し当てて感じる酸っぱさと同じです。唾液が出て来ますね。
大和朝廷が、日本全体に勢力を広げる際の立役者としての兵士たちをヤマトタケルというヒーローとして祀ってあるように感じます。
”感謝”とか”憧れ”という念もここから感じるエネルギーに含まれていて、古墳で在りながらも清涼な場を保っています。
草薙の剣が振るわれた、草薙や焼津、そして日本平の近くで育った私としては、ようやくここに来ることができたという感覚もありますが、
ヤマトタケルという一人の人格というよりかは、建国と勢力拡大に関わった大勢の武人たちを祀っているんだな、と解ってなんとなく満足しました。
合祀されている那久志里神社がこちらの摂社のようです。
那久志里神社
元々の祭神は、長白羽神・瀬織津姫命だったようです。
天白信仰+滝・川の浄化の女神信仰、もともとの土地神信仰のようです。
山神
水神
波動が細かくキュウキュウしてきて、手が圧迫されるような感覚があります。
さらに強制的に瞑想状態に陥りそうになりました。
祀ってある神様は、自然の根源神寄りの強力な神様のように思います。
連理の榊の案内
さて、戻り、古墳の方へと向かいます。
と、ここで見渡してみると、かなり沢山の古墳が既にあるような・・・。
小さな古墳群たち(円墳)
すでにこの時点で、この場所はヤマトタケル一人を祀るために景行天皇が作った所というよりかは、この地を治めた朝鮮半島由来の渡来豪族の首長たちのお墓という感じがしっくりきます。
さて、この感覚が正しいのかどうか。ヤマトタケルのお墓へと向かいます。
ヤマトタケルのお墓入口
お墓の正面
のどかです。
お墓の参道
宮内庁がヤマトタケルのお墓として認定しているようです。
能褒野古墳(ヤマトタケルのお墓)
チクチクと刺さる、古墳特有のずっしり感がありますが、ネガエネルギーはそこまで感じません。
写真ではわかりにくいですが、結構大きな円墳?のようです。
googleMAPで見てもやはり円墳のようです。
さて、古墳の周りを進んでみることにします。
古墳の周り
何となく、円墳状こんもりしている感じが木々の間から見て取れます。
能褒野古墳飛地い号
大きな古墳の周りに小さな古墳が幾つもあるようです。
そのいくつかは宮内庁の管理としているようです。
人ひとりがギリギリ通れる道を抜けると、
住宅地と公園が広がっており、子どもたちが元気よく遊んでいました。
裏側の看板がいい味出しています。
裏側のこあたりの地点が、ヤマトタケルのお墓の形が分かり易いように感じます。
大きな円墳を中心に、幾つもの小さな円墳が密集しているような古墳でした。
※wikiなどの情報を見てみると前方後円墳ですが、方墳部分があまり良くわかりませんでした。
この時代の天皇の古墳というと、大和朝廷(奈良県桜井市)付近に、法則性をもって、前方後円墳として建てられているように感じます。
12第天皇の実子であり、14代仲哀天皇の父であるヤマトタケル(小碓)が、大和朝廷からかなり外れた三重の辺境に、他の古墳と一緒に密集して祀られるとは考えにくいので、やはり東征の立役者であり、ここに居を構えた渡来系豪族一族の古墳群として考えるとしっくり来ますね。
一人の人格としてのヤマトタケルのお墓とはやはり考えにくいです。
それに、このお墓も、明治になり宮内庁がヤマトタケルのお墓として認定しており、それまでは荒廃していたようですし。
次回は、このすぐ近くにある白鳥塚古墳へと向かいます。
(2018.10.27)