---注意点---
魔王の独り言。毎週金曜22時更新。通常の記事は月・水・土の22時更新です。
魔王の独り言vol.000 ※この記事の趣旨を書いています。
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12419942575.html
※陰寄りな表現しにくいことを、チラシの裏に勝手なことを思いつくまま書いた記事。
この記事に関しては、完全なるフィクション記事として扱ってください。
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陰陽の特異点と時空
第3回のテーマは、陰陽の特異点と時空です。
まずは、この世界(宇宙)はトーラスのようなエネルギー場の循環によって成り立っていると想定します。
そして、トーラスを中心で横方向に輪切りし、その上側を陽(光)の場、下側を陰(闇)の場として想定します。
”それはどうしてなの?”と訊かれるとするならば、
その答えは、”そう受信したから”、とか、”そう考えるのが妥当であると今までの事象から感じるから”としか答えられないのが苦しい所ですが。
(この前提が崩れるとするならば、今回の話の全てが崩壊します。その程度の内容だと考えてくださって結構です。)
さて、この前提の通りに宇宙が作られていると仮定し、先に進みます。
トーラスを上から見ると渦、横から見ると8の字。
中心部を上に上昇するように動くのであれば、陰の極から上昇し、1点に集約され、そこから陽の極へと拡散し、また外周を通って、循環し陰の極へと戻る。
横に循環するとするならば、左の円から中心の”×”へと集約され、右の円の外周を通り、また”×”に集約され、左の円の外周を通る。
結局のところ、この図形は、陰・陽が対称に存在していて、”×”を通って性質を変え、別の属性へと形を変え循環していくこととなります。
つまり、前提の通りだとするならば、万物は絶えず振り子運動のように循環し、陰陽へと循環し変化しているわけです。
一日で言えば昼と夜、一年で言えば、冬至と夏至。ひと月で言えば、満月と新月。
太陽の周期、月の周期、地球の周期が占い・スピリチュアル・祭事に密接に関わってきました。
日本でも古くは縄文時代から磐座などを使って、太陽や月・天体を祭事に使っていました。
(2か月ほど後に、下呂の磐座遺跡のレポで後日説明します。)
昔の暦では、必ず1日が新月、15日が満月、それが当たり前であり、神社や神棚では15日置きに、榊の入れ替えを行いますが、満月・新月の月の周期が、それだけ祭事に重要であったことを意味しているのです。
で、今回特に書きたいのは、Xの中心部(トーラスの中心の収束し拡張する一点)なんです。
陰でも陽でも無い点。全てが何もなくなり、一方で全てが生み出される点。
”全てが無く、全てでもある点”。仏教でいうところの”空”の思想に近いと感じます。
海外由来ですが、現代の日本でも12月の冬至(日が最も短くなる切り替わりの日)付近に、”X”の御祭を大々的に行っているわけですしね。
(冬至は、海外では、太陽神の再生の日と位置付けたり、古代暦では一年の始まりの日となっていました。)
私はこの点こそが、宇宙の法則から逃れられる唯一の点であり、陰陽統合の力でもあると感じるのです。
この点により新しい物が生み出され、そして次元を超える力を体現できるのではと感じていて、忍術などの物理次元に作用する力を体現できていた時代も、実はこの力を使っているのではないかと感じているわけです。
ヘミシンクで言えばF15。無時間の領域と呼ばれる次元です。
当然のことながら、これらの力を扱うには陰陽両方の領域にアクセスできる力が必要だと思っていて、しかしながら、一方で、陰陽それぞれの極にアクセスすることができればできるのではないかとも感じています。
それはどうしてかというと・・・。
陽の極(創造主・イシター・アシュタールなど):光しかない世界。白で埋め尽くされる世界。全てのものが一体化している世界。
陰の極(大日如来など):黒い宇宙空間の中に漂い、無限に拡散する世界。全てのものが一体化している世界。
陰陽の特異点(X・空など):すべてのものが集約し、無くなり、全てのものが生み出され一体化する点。
”陽の極と陰の極、そしてその間の特異点は近い位置でつながっている”
からなのです。
(2018.11.20)
・陰と陽は同等に存在・循環し行き来している。恒久な陰・陽の存在は無い。
・両方の中間に特異点が存在し、全てを内包する。