3月31日

生態系は全体として観察し理解すべきものである。
部分は全体との関連において意味をもつにすぎない。



数学者と論理学者の世界では、知覚的な認識は感覚にすぎず、疑わしいもの、神秘的なもの、捉え難いもの、不可思議なものだった。機械的な世界観は、知覚的な認識は理性的でなく、したがって趣味の世界にゆだねるべきもの、すなわちそれ抜きでも支障のないものとした。

だが生物的な世界では、中心に位置するものは知覚的な認識である。生態系なるものはすべて、分析ではなく知覚の対象である。それは全体として観察し理解すべきものである。部分は全体との関連において意味をもつにすぎない。350年前、デカルトは「我思う。ゆえに我あり」といった。今やわれわれは、これと同時に「我見る。ゆえに我あり」といわなければならない。

新しい現実は、すべて形態的である。したがって、それらの問題を扱うには、分析とともに知覚的な認識が必要である。今日の多元社会の不均衡状態、グローバル経済、地球環境問題、緊急に提示することが求められている教育のある人間のモデルなど、すべてが形態的である。
『新しい現実』





成長、均衡、調整、統合の結果としての全体の成果が重要であるとの考えは、分析と知覚のいずれを重視するものでしょうか。


どちらも重視しなければならない。




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伸びちゃってますね。。


駒井さーん!!