人生、好き嫌いで生きるとどこまでもシンプルになる。

今、何かしらで悩んでいる場合、嫌いな事をしている場合が多い。

例えば、人間関係で悩んでいるとしよう、あなたが学生の場合、好きでもない子とご飯を食べたり、遊んだりして苦しんではないだろうか。

サラリーマンの場合、好きでもない人との飲み会にうんざりしてないだろうか。

友達と話してて妙に相手を気にしてはいないか。

これらはすべて自己愛に関わっている。

本来、人は好き勝手生きて良いはず。

なのに、こんなにも生きづらい世の中になったのは、あなたが自分を愛していないからである。

なぜ自分を愛さないと生きづらいかというと、自分を満たすためになにもかも外側から受け取るようになるからで。その結果、他人から好かれる事ばかりに目を向け、自分の心の声は無視される。

でも、自分の人生を生きるのは自分。他人は自分の人生のために生きてくれない。

自分の心の声にもっと耳を傾けてみよう。

では。



人間誰もが快を求める。

快とは楽ではない。快とは何かを成し遂げた後に感じる何か。

例えば、腕立て伏せ1日500回とか、勉強1日10時間とか、好きな子に告るとか、ギリギリで届きそうなところを達成できたとき快を得られると思う。

そしてその快を持続的に得るために、継続が大事になる。当たり前の話になるが、心にも筋肉がある。そして、この筋肉を使わないとだんだん疲弊しちゃう。

例えば、3日間ランニングをしてた子がその後1ヶ月さぼって、再びはじめようとするとものすごいエネルギーが必要である。

このように快を得るためには好きな事をギリギリ届きそうなレベルで、持続する事が大事である。

今日はこのへんで。

僕らは一人一人違う。顔の形、肌の色、声質、身長...あげれば切りがない。もちろん、得意不得意も皆それぞれ違うだろう。でも、学校教育を受けると、いや、受けさせられると、みんな同じ事を学びそして、そのルールで勝手に優劣をつけられる。でもこれっておかしくない?だって勉強が得意なやつばかりじゃないじゃん。サッカーが得意な人もいれば、絵を描くのが得意な人もいる。ゲームが得意な子もいれば、コンピューターが得意な子もいる。みんなそれぞれ個性がある。でも日本という国はみんな同じ枠組みに入れられ、同じ枠組みで評価される。これで、勉強が不得意な子はだんだん自信を奪われ生きるエネルギーさえも奪われる。まじでおかしい。アメリカとかヨーロッパとかは多民族が集まって出来てるから、みんな個性が違うのが当たり前の認識が強いらしい。髪が明るくても注意される事は無い。自分の肌が他の誰かと違うからって自信を失うなんてない。そう、みんな一人一人違う。だけど、みんな『対等』。多くの人はこの意識が低いと思う。常に誰かと比べられ自分がだめなんじゃないかといつも不安がる。だから、周りに追いつこうと資格をとったり就職とかしちゃう。でもそうじゃない。みんな違うのが当たり前で、それが普通じゃないの?
結局何が言いたいのかというと、みんな同じではないけれど、対等という事。赤ちゃんも大人と力の差はあれど、人間としての価値は同じだと思う。

では。