今回は、お盆とあって身内が実家を占拠しているため、

小鹿野の「須崎旅館」に泊まりました。
創業117年の老舗旅館。

 

※グーグルマップより


2015年日本の宿100選、
選考委員会特別賞になった旅館です。

 



お盆期間はなかなか秩父のホテルが予約できなかったのですが、
須崎旅館に宿泊できてよかったです。

貸切露天つきの部屋などもあるそうです。

 

私は外泊だとあまり眠れないのですが、
よ~く眠れてお風呂も気持よくて、

長旅の車の疲れがすっかりとれました!ウインク

 

 

大谷藤子の『須崎屋』という本のモデルになった旅館とも。

 

 

秩父の歴史本もいっぱい。

 

 



こちらの部屋は、秩父銘仙体験。

予約すれば着られるプランがあるそうです。

 

 

ぶーちゃんがまた小さくなっちゃったね。。。

 

 

 小鹿野ノスタルジア

 


ここ最近、秩父では小鹿野ばかり行っているなぁ。
一昨年12月末の冬にも小鹿野へいってました。

夕方になると少し涼しく感じます。
べと~としてますが。

ちょっと散歩してみました。

 

 



望郷って感じの、
こんな風景が、秩父らしい。

 

 

以前、明晰夢をみた時に、ちょっと高いところを飛んでいて

昭和のころのような時代の家(長屋みたいな)風景をじっとみていた。

 

地震か災害か何かがあったようで、町に何も問題がないか、

建物の破損がないかをじっと観察しており、ひとつ街灯がちょっと傾いて

いるだけでしたが、他に問題がなかったことを観察しているのでした。

 

明晰夢というのは、寝ている(夢)だとわかっているけど、

しっかり起きているので、なぜこの風景を観ているのか、

ずっと不思議なまま動画をみているような感覚です。

なので、とてもリアルです。

 

でも空に(℃)の数字があらわれていたな~。

どーいう意味かなあ。

そんな明晰夢でみたような風景に「感覚」が似ている、かも。

 

 

路地裏さんぽへ。

 

 

 

 

 

 

↓すごいお不動さんみたいな石碑と家が・・・人は住んでいると思います。

 

 

そのそばに立派な御堂

 

 

やっぱりお不動さんでした。

 

 

 

 

植木鉢と透過している・・・

 

 

 

 

 札所巡礼の十輪寺

 

旅館のそばに、古いお寺がありました。

 

真言宗智山派の寺院。

 



創建年代は不明。
中興したのは盛賢であることは分かっているが、
盛賢もいつの時代の人物であるかは不明との事。

 



かつては約5町(約545メートル)北に位置していたが、
享保年間(1716年 - 1736年)に現在地に移転した。

「補陀場十五番」と刻まれた石碑があるという。

「補陀場」とは秩父三十四箇所のこと。


現在、秩父三十四箇所の第15番札所は少林寺であるが、
かつては「蔵福寺」が第15番札所であった。

蔵福寺は秩父神社の別当寺であり、
明治初期の神仏分離の際に廃寺となってしまった。

 



当寺の末寺の「泉蔵院」も秩父神社にあり廃寺となった。
当寺では、撤去費用10両を秩父神社に支払い、
蔵福寺と泉蔵院の什物を引き取った。

「補陀場十五番」の石碑は、この故事に由来する。
(左の石碑)↓

 



当寺の本尊は、かつては阿弥陀如来であったが、
1883年(明治16年)の火災で焼失し、
現在は十一面観音が本尊となっている。

これは蔵福寺か泉蔵院にあったものといわれている。

(wikipediaより)

 

 

 

秩父は各地から修験者がたくさん巡礼にお参りにくるところです。
 

金剛杵(こんごうしょ)

 

 

 

 

立派な五輪塔は、関東一円に多いですね。

関東は、武士の聖地。

 

 

 

 

いたるところに金剛力士がもつ金剛杵(こんごうしょ)があります。

 

※ネパールの金剛杵

 

日本仏教の一部宗派(天台宗・真言宗・禅宗)や

チベット仏教の全宗派で用いられる法具。

 



仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、

インド神話上の武器に譬えて法具としたもの。

 

 

 

 

ちょっと何の碑かわからなかった・・・

 

 

民俗文化財に指定されている上町屋台

 

 

小鹿野の屋台が保存されている建物です。

 

 

<場所>西武秩父駅または秩父駅より西武観光バス
「小鹿野車庫・栗尾ゆき」にて「小鹿野町」下車 徒歩2分

 

 

 

 夢のこと

 

ちょっとスピリチャルな話。

 



このお寺の門をくぐったら、ふっと2年前の6月にみた夢を
思いだしたのです。ひらめき電球

そんな前の夢を思いだすってことが、ほんとに不思議。

なんだろう?
繋がっているのかな・・・

夢日記をつけていたので思いだしたけれど、
夢に出てくるお寺の門だけが雰囲気が似ていたので、
思いだした感じです。

夢では、もう少し住宅街で明るい感じがした。

「知らない町、空に凧が飛んでいる。
お寺があり門をくぐると2,3mくらいの巨人が
数名歩いてきて、高身長なので遠くにいても近くにみえた。

ちょっとびっくりしながら歩いていくと、
横に看板があり、その前で女性のガイドが観光客に説明をしている。
(観光客は普通の人)

そのそばを通った時に聞こえたのが、

「円仁は、はしはか王の子」という言葉でした。

はしはか・・・王?

気になる話をしているのだけど、時間がない。
奥に本堂らしき建物があり入ると和室。

男性が数人の人に何かを話しているけれど、
難しくてわからない。
茶室のような感じ。

帰らねばならないと思っているけれど、
話に混じっている。

帰ろうとして裏舞台のような奥の狭いところへいく。
しかし、そこではないようで、再び和室に戻ったら、お茶を頂いた。

また、そこでまったりしながら談話し、

観光パンフなんかも置いてあるから観光地っぽい。


女性と何かを話していたけれど、覚えていない。

どこから?と聞かれたと思い、
「東北からきた」と答えたのは覚えている。
相手は、ピンときていなかったが。

そんな夢。

 

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円仁は、天台宗なので東北とは縁があると思う。

今回の十輪寺とは関連はないと思いますが、
でも、なぜ、その夢がふっと降りてきたんだろう・・・

「はしはか」というのは、奈良県に
古墳があるけれど、その事なのかはさっぱりわからない。

「箸」としたら、箸の風習は出雲が最初との事。
お箸の縁で結ばれた二人という。

 

 
でもねぇ。
王って何の?
 
どうも、修験者なり信者だった過去世が重なっている。。。

箸墓古墳の「箸墓」も「箸」なんですよね。

夢にみた巨人族?ですが、
実際、はるか昔、背の高い人はいたんだそうです。
2m~3mくらいの。
遺伝的にそうなのか、全く別の人種なのか、わかりません。

スミソニアン博物館で巨人の遺骨などを保管していたけれど、
証拠隠滅なのか紛失したとか言われていた。
 
たぶん、イワクラ信仰は巨人の名残と思います。

地球は、何度も大変革を起しており、
実際、巨大な恐竜がいたり、動物も大きいのは存在している。

人間は小さい。
なぜ、小さくなったか。

地球の回転速度?

はて?
宇宙は果てしない。

地球も、ノスタルジア

翌日は、浦山鍾乳洞のカフェでまったり。
夕方は風が吹いて少し涼しくなって助かった。

でもその後、関東でよくあるゲリラ豪雨。
ただ、電車内にいたから問題なかったけれど、
最近、特に増えてますね。

そんな夏の終わり、
つくづく、仙台は涼しい。

次は、栃木県の佐野へ。

またあの泉へ行ったどー♪
 
 
■他、秩父ノスタルジア