6,7年ほど前になると思いますが、
これも不思議な体験でした。
gooブログの時。
一切経山へ若い時に登っていて、
その時の写真と阿部貞任の伝説を書いていた時だったと思います。
※噴煙あがる一切経山
不思議とこの頃、「安倍貞任の末裔です」という
複数の安倍氏の子孫の方からコメントやメールを頂いた事がありました。
たまたま重なっただけと思いますが、
みな女性で、このブログを読んで頂いている方の多くは、
ご先祖様のことを調べて来られる方です。
たまに、情報を教えて頂けることがあり、
それは私としてはとても有難く、
できるならば、大事にひろって記録してあげたいと思うほどです。
その中で安倍さんのお一人とコメントが続いたことがありました。
ちょっと不思議なことを仰る方だったのですが、
まだその頃、私は安倍貞任がどういう人かよくわからず。
源義家の伝説があるな~くらいな知識で、
悪いのは、源氏=源頼義・義家と思っていました。
何度かやりとりをしていたのですが、
安倍貞任と源義家?(源氏との関係)は、
実はそんなに悪い関係ではなかったという内容だったと思います。
どこかで互いに尊敬しあっていた部分があったという事でした。
そんなやりとりがあった後、すぐ数日後に、
偶然、ここに来たことは驚きでした。
「前九年の役」古戦場跡
源氏と阿部氏のことが書いてあります。
「人倫の世にあるは皆妻子のためになり」
目的は、伊治(これはり)の城跡だったのですが、
帰り道に、看板をみつけたのが、前九年の役の合戦場跡で
「阿久利川」だったのです。
なので、近くにあった八幡神社へお参りしたことを覚えています。
安倍氏は、敵だろうが味方だろうが、
「皆、妻や子のためだ」そこは許せ、という人である。
ということを知り、安倍貞任への認識が変り、
また源氏が悪人と思っていたのも、薄れました。
発端は、この一切経山から。
一切経山について
そんなことがあったのですが、
ブログを書くよりずっと前に登っていた一切経山から、
初めて安倍貞任のことを知りました。
吾妻山(山頂まで行けば階段で簡単に登れます)
吾妻山の噴火孔
※右が吾妻山
吾妻連峰に連なる一切経山は、
仏教的な名前の山ですが、伝説では「安倍貞任が」
経典を埋めたと伝わります。
※一切経典は、全国でも唯一、数多く納められているのは、
山形県慈恩寺、名取市熊野神社(文殊堂)、平泉中尊寺です。
また、一説によれば、この地を訪れた弘法大師が、
山中に仏教教典の一切経(大蔵経)を埋めたという伝説も。
山に経典を埋める話は東北各地に多く、平泉が主です。
後世に残すために隠しておくという方法は、メソポタミア文明が発祥。
神殿や城など記念物などを埋めることは昔から行われており、
現存する人類最古の文学であるギルガメシュ叙事詩の冒頭は、
ウルクの城壁の礎石の中にある銅の箱の見つけ方から始まったそうです。
この箱にラピスラズリの銘板に書かれたギルガメシュの
物語が保管されており、ここから彼(イシュタルなど)の物語が語られることに。
また末法思想の影響を受けた日本では、
経典を後世に残すために陶・石・金属などで
作られた容器(経筒)に納め、さらにそれを石・陶製の外容器に入れて、
除湿剤(木炭)ともに埋納する経塚が多数作られた。( wikipedia)
吾妻山から福島盆地を見下ろす
「魔女の瞳」と称される青池(一切経山の山頂に登らないと見られません)
紅葉の頃がおすすめ。
たぶん、磐梯山の方。
和歌の話
源義家が安倍貞任を追っている時にうたった和歌があり、
それは古今著聞集で、鎌倉時代に橘成季の説話なのだそう。
「~衣川の館、岸高く川ありければ、
盾をいただきて甲に重ね、筏を組みて攻め戦ふに、
貞任ら耐へずして、つひに城の後ろより逃れ落ちけるを、
一男八幡太郎義家、衣川に追ひたて攻め伏せて、
「きたなくも、後ろをば見するものかな。
しばし引き返せ。もの言はむ。」
((敵に)背中を見せるものよ。
少しの間引き返してこい。言いたいことがある)
貞任見返りたりけるに、
「衣のたてはほころびにけり」
(衣の縦糸がほころぶように、衣川の館は滅んでしまったぞ。)
と、(義家は)言へりけり。
貞任くつばみをやすらへ、しころを振り向けて、
「年を経し糸の乱れの苦しさに」
年月を経た糸には乱れがあるので
(それと同じように、衣川の館も年月のほころびにより
戦にこらえることができなかった)
と(貞任)付けたりけり。
そのとき義家、はげたる矢をさしはづして帰りにけり。
さばかりの戦ひの中に、やさしかりけることかな。
この義家の和歌の返しに
安倍貞任の文才能力を認め逃した、という話です。
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一切経山に登った時に、安倍貞任の和歌のことを知りました。
でも、その時は、歴史に関心がなかったので、
そういう人がいたんだな~くらいでした。
2019年の頃の内容↑
過去に何度か小規模噴火をしています。
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場所は飛んで、岩手県。
2年前に鳥海柵跡の「近く」へ行った時のこと。
その冊子には、「梅」のことが書かれてありました。
「北梅の図」安倍宗任
宗任が都にいた時に、ある公家が梅の花を指して
「この花をなんと申すか?」と聞く。
梅の花を知らないだろう
と馬鹿にして聞いた説と、
東北のなまり(方言)
で言い返すことを、面白がって聞いている。
それに対し、安倍氏は和歌で返した。
『わが国の 梅の花とは 見つれども
大宮人は いかがいふらむ』
(私の故郷にもあるこの花は、
我が故郷では梅の花だと言うのだが、
都人は何と呼ぶのだろう)
都人は梅の花を知らないのかwww
といった意味も含めた返し。
安倍氏は教養があった人なのですが、
それを知らなかった公家が恥をかいた。
という話です。
この事は、伊達政宗にもある。
伊達政宗が都に行った時も、
公家から桜をさしだされ、
和歌で返したのが、
「都人 梅に懲りずに 桜かな」
と和歌で返したという。
懲りない輩は、今だに健在するのだね。。。
許しがたいことを許すことは、苦しみでもあります。
しかし、
私たち子孫が、守るために戦う、
戦うことは美徳だ、
とか言ったら、
せっかく平和を築いてきた先祖の想いを裏切ることになるのでは?
一度、足を止めて振りかえり、
今度は、私たちが安倍貞任へ和歌を贈る時では?
と、思ったんだけどー。
しかーーし!(激しく)
あべの背に
つつがなき我が子は
かみしもに
しがみつきまどろう水辺
と、思い浮かんだ連歌(れんが)みたいなのを
「あつがし」と「蓮」をかけて、
(頭文字を並べると言葉ができる)
この前、伊豆沼のことを書いたんだけど、
先日の大雨で増水し伊豆沼の蓮が水没したと・・・
偶然にしても、ああ、蓮が眠ってしまったか、と思う。
少し水が引いてくれれば、蓮も姿を見せるのでしょうけど、
早い復興をお祈りしております。
おしまい。